Neetel Inside 文芸新都
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「どう? 気分転換してよかったでしょ?」
 どろどろに濡れた指をティッシュで拭きながら、エニスが問いかけた。
 テーブルに頬を押しつけたまま、ルイゼは泣きそうな顔で答える。
「馬鹿。最後の一本、仕上げられないかも。まにあわなかったら、あんたのせいよ」
「ねえ、マドレーヌ食べる?」
「人の話、聞いてた?」
「聞いてたよ。ねえ、緊急プロジェクト始動。あたしがマドレーヌを用意するから、ルイゼはカフェオレを用意して。いますぐに」
 ひと仕事終えたような満足顔で立ち上がると、エニスはソファへ走り寄り、バッグからモロゾフの紙袋を取り出した。
「用意って、マドレーヌは買ってきただけでしょ。しかも、あなたじゃなくマネージャーが」
「お金は払ったよ?」
「そういうこと言ってるんじゃないけど。……まあいいわよ。カフェオレね。はいはい」
 よろけながら立ち上がると、ルイゼは毛布を引っかけたままキッチンへ移動した。
 彼女はコーヒーの愛好家で、冷凍庫には三十種以上の豆が保管されている。買ってくるのは生豆だ。彼女のオリジナルブレンドは、知人たちの間で人気が高い。
 冷凍庫を開けると粉が残っていたので、ルイゼはホッとした。この時間から豆をブレンドしたりローストしたりと考えると、気が遠くなる。やれやれとばかりにコーヒーメーカーのコンセントを差して、ドリッパーをセットし、目分量で粉を投入。ポットから湯を入れると、すぐにドリップが始まった。
 その匂いに引き寄せられたように、エニスがやってくる。
「ああ、いい香り。これを嗅ぐと、我が家に帰ってきたって思うよね」
「あ、そう」
「あたしの親が、カフェやってたからさぁ」
「それ、千回ぐらい聞いた」
「もっと言ってると思うけど」
 エニスはサイドテールにしていたシュシュを外して放り捨てると、ルイゼの背中に胸を押しつけた。
 コートを着たままだ。ボタンはかけてない。ゆたかな胸の谷間がつぶれて、形を変えた。
 ルイゼは何も言わず、エニスの体温と息づかいを感じながらコーヒーメーカーを見つめている。ぽたぽたと落ちてくる琥珀色の液体を、意味もなく数えた。ひとつ、ふたつ、みっつ──。
「コーヒーって、媚薬の効果があるんだよね」
 体を押しつけながら、エニスは大きく口を開いて舌を出し、ソフトクリームでも舐めるようにルイゼの首筋を舐め上げた。
「っ……!」
 声が出そうになったのを、ルイゼは反射的に噛み殺した。つい数分前いかされたばかりで、ひどく敏感になっている。どこを舐められても、甘い声が出そうだった。どうにか落ち着かせようと、シンクの天板に両手をついて呼吸をととのえる。
「……それも千回ぐらい聞いたから。だいいち、私が教えたことじゃないの、それ」
「うん。ルイゼには色々おしえてもらったよ」
 まるで痴漢のように、エニスは手の甲でルイゼの尻を撫でまわした。
 もう一方の手は、ルイゼの髪をとかしている。美容師のように慣れた手つき。ただ、とかした髪に唇を寄せる美容師はいない。
「なんなの? 発情期? 生理には早いと思うけど」
 生理が近付くと色情魔になるのがエニスの欠点で、ルイゼはその周期さえ完全に把握している。数日の狂いはあるとしても、まだ一週間以上早い。
 エニスは首を横に振り、しきりにルイゼのうなじを舐めながら「ちがうよ」と言った。
「じゃあ、なにがあったの?」
「今日、試写会に行くって言ったじゃん?」
「うん」
「見てきたんだけど、ひどい映画でさ」
 熱い息を吐きながら、エニスは何度も何度もルイゼの首や耳を舐める。ドリップされるコーヒーの一滴一滴と同じリズムで、その動きは休みなく繰りかえされた。
「ひどいって言われても、それだけじゃなにもわからないし……。どういう映画だったの?」
「結婚して五十年も仲良くしてる夫婦がいるんだけど、偶然おなじ日に別々の場所で事故で死んじゃうんだよ」
 話している間も、エニスの舌は同じ箇所を舐めつづけている。肩から耳にかけてのラインを、何度も何度も。そのたびに、ルイゼの体はピクッと動く。
「ふうん。……それで、最後はどうなるの?」
「どうもならないよ。五十年間の夫婦生活を映して、最後に死んでオシマイ。それだけ。たぶん、『天国で再会しました。めでたしめでたし』ってオチなんだろうけどさ」
「なにそれ。くだらない」
「筋書きは幼稚だったし俳優も普通だったけど、音楽が良くてさ。いつのまにか泣いちゃった。あれ撮った人はタダモノじゃないよ」
 ルイゼの耳たぶをそっと噛みながら、エニスは強く腰を押しつけた。後背位から犯すような姿勢。びくんと全身を震わせて、ルイゼは立ちすくんだ。
「やめてってば! コーヒー飲むんでしょう!?」
「コーヒーも飲むけど、これも飲む」
 エニスが、いきおいよくルイゼの上着をたくしあげた。真っ白な腹部があらわになり、毛布が床に落ちる。
「ちょ……ちょっと待って!」
 振り向いたルイゼの背中が、シンクに押しつけられた。生まれつき体の柔らかいルイゼは、押されるままに体を反り返らせる。ナイトウェアなので、ブラジャーは着けていない。こぼれだした乳房の頂点が、くっきりと尖っていた。
 お菓子を目にした子供みたいな笑顔で、エニスはそれを口に含んだ。豆粒のようになった乳首を、舌で何度も転がす。
「馬鹿。やめてって……!」
 ルイゼは声をあげたが、それは彼女自身にもわかるぐらい愉悦に満ちた声だった。いま指を入れられれば、数秒で逝きそうだ。
「ミルク出ないね」
「出るわけないでしょ」
「つまんないの」
 最後に舌全体を使って乳首を舐め上げると、なにごともなかったようにエニスはリビングへ戻っていった。
 ひどく中途半端な気分で置き去りにされて、ルイゼは全身で溜め息をついた。まるで、不能者にレイプされたような心地。トイレに入って自分で処理しようかという考えが頭に浮かんだとき、コーヒーメーカーがアラームを鳴らした。ドリップが終わったらしい。
 下等動物のような考えを振り払い、ルイゼはペアのマグカップを持ってきてコーヒーを注ぎ分けた。酸味と甘味の入り交じった香ばしい匂いが、熱くなった頭を少しばかり冷静にさせる。エニスのカップにだけミルクと砂糖を足して、リビングへ。

       

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