Neetel Inside 文芸新都
表紙

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「このレモンティーみたいな香水、気に入っちゃった。あたし」
 体をくっつけたまま、ルカはブラウスのボタンをまたひとつ外した。もう、かかっているボタンはふたつしかない。
「だったら、また買おうかな……」
「うん。そうしなよ」
 香水だとかなんだとか、ふだんどおりの会話をしながら、わたしたちはふだんとまったく違うことをしている。
 いったい、どこからどうしてこうなったのだろう。
 わたしが泣いたから? ルカの絵が写真みたいに上手いから? 夕焼けの赤が綺麗だから? どれもが正解のようで、どれもが間違っている気がした。きっと、すべての要因が──
「い……っ!」
 ぬめっとした感触が耳の中に入りこんできたおかげで、つまらない思考はたちまち吹っ飛んだ。なにをされたのかわからなくて、一瞬うろたえてしまう。
 熱い吐息が浴びせられたところで、ようやく理解した。耳を舐められたのだ。
「また、どうでもいいことをマジメに考えてたでしょ」
「……ごめん」
「そんなところで謝るから、クソマジメって言われちゃうんだよ」
「言ったのはルカでしょ」
「そうだっけ。まぁ、そういうところが好きなんだけどね」
 今度は、うなじを舐められた。次は耳の裏側。そこから首筋へ。さらに鎖骨をたどって胸元に降りていく。
 見れば、ルカの舌が通ったあとにはカタツムリの這ったような跡。
 その舌先が胸の先端に触れる寸前。彼女と目があった。猫を思わせる瞳は、お酒でも飲んだみたいに焦点がずれていて──。彼女は自分の唇を舐めると、小豆みたいに固くなった部分をそっと口の中に入れた。
 心の準備はできていたはずなのに、それでもわたしの体はビクンと跳ねた。
 たまらず、ルカの頭を抱き寄せてしまう。
 つぶれた乳房に、ルカの顔が埋まった。
「ぐっ」という声。
 苦しかったのかもしれない。力をゆるめると、ルカは大袈裟に息をついた。
「窒息するかと思った」
「ごめん」
「ほら。また謝ってる。……だいたい、謝る必要なんかないんだよ。亜矢子は」
 なにか意味深なことを言って、ルカはもういちどわたしの胸に口づけた。
 口の中で彼女の舌がどういう具合に動いているのか、わからない。ただ、次から次へと注ぎ込まれてくる快楽に、頭がおかしくなりそうだった。
「ねえ、ルカ……。こっちも舐めて」
 わたしはなにを言ってるんだろう。自分の言ったこととは思えない。
 でも、そう言いたくもなる。ルカときたら、左のほうばかりいじってくるのだから。
「亜矢子は、こういうの好きだった?」
「……うん」
「お絵描きと、どっちが好き?」
「そんな質問ないよ……」
 答えられなかった。きっと、どちらを選んでも嘘をついた気分になるだろう。
 答えがほしかったわけではないらしく、ルカは追及してこなかった。そのかわり、右の乳首をかるく噛まれた。
「あたしは、こっちのほうが好き」
 その言葉に対してなにか言いたかったけれど、適切な言葉が見つからなかった。
 わたしの頭は、もうだいぶおかしくなってきている。──それとも、とっくにおかしくなっていたのかもしれない。中学生のとき、はじめてルカを見た瞬間から。
「ねえ、一目惚れだったって言ったら信じる?」
「なに言ってるの……?」
 心を読み取られたのかと錯覚しそうなタイミングだった。
 一目惚れ? それはわたしのほうだ。
 ルカは舐めるのをやめて、指でつまんできた。濡れているせいで、よくすべる。指よりも舌のほうが気持ちよかったけれど、さすがにもういちど「舐めて」なんてことを口にするのは勇気が必要だった。
 そんな逡巡を知ってか知らずか、ルカはマイペースに話をつづける。
「初めて会ったときのこと、おぼえてる?」
「おぼえてるよ。中一のとき、あなたが転校してきて。朝のHRで……」
「ところが違うんだな。そのまえに会ってるの」
「え……?」
 初耳だった。それとも、作り話? いや、そんなことをする理由がない。
「転校初日の朝にさ、電車の中で見かけたんだよ、亜矢子のこと」
「そうなの……?」
「小説読んで泣いてたでしょ。すごく綺麗だった」
「うそ……。全然おぼえてない」
「かもね。小説とか映画とかで、しょっちゅう泣いてるからなあ、亜矢子は。でもとにかく、あの瞬間あたしは恋に落ちたのでした」
 意外すぎて、返す言葉が見つからなかった。
 ルカは、言いたいことを言ったぞとばかりに満足げな顔だ。
 けれど、そんな話をしている間もルカの指は片時たりと止まらない。
「あのとき読んでた本、なんていうの?」
「おぼえてるわけないよ、そんなの」
「ざんねん。もういちど読ませて泣かせたかったのに」
 とっくに察していたけれど、この人はサディストだ。だいたい、泣いている姿を見て一目惚れなんて──ふつうとは思えない。そもそも、女の子が女の子に惚れるということ自体が──。でも、それを言うならわたしも同類だった。

       

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