Neetel Inside 文芸新都
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 新幹線の車輪と線路が生み出す周期的な揺れが、座席と背骨を通じて私の頭を刺激していた。
 京都発、東京行きのそれの車内で、私は行きとは打って変わってすっかり覚醒した意識のもと、その日あった極めて非日常な出来事に思いを巡らせていた。
 水のでない蛇口。ドラえもんの足音。空色オヤジ。もう一人の自分。……時間遡行術初級。
 思い返せば思い返すほど、それは手の中からサラサラとこぼれ落ちる砂のように現実感を失っていく。もう一人の私も空色オヤジももうここにはいない。
 あの時始めて時間遡行に成功してからのコトは、特に語るまでもない予定調和の出来事ばかりだった。……空色の服を着たオッサンが虚空から突然滲み出すように現れるという現象を予定調和と表現するのは非常に乱暴ではあるが。
 あれから少しの間、私は未来の私による時間遡行のレクチャーを受けていた。もっとも最初の一分間の時間跳躍に成功さえしてしまえば、それは自転車に乗れるようになった後で徐々に乗る距離を増やすのようなものであり、反復作業の繰り返しでそんなに面白みのあるものではなかった。
 結局その2時間で、私は約10数時間分の練習をしたと思う。一番長い時間遡行でも一時間だったが、繰り返しているうちにそのくらいの時間は経過してしまったのだ。
 もうどんな長さの時間でも跳ぶことができる。私がそう確信した瞬間の事だった。先ほど言ったように、なにもない空間から空色オヤジがまさにわいて出たのだ。
 それがどのような原理によるものなのか、などということは、その時の私にはもうどうでもいいことのように感じられた。長時間の練習に疲れていたこともあるし、時間を何度も遡って、増えたり減ったりしている私が空色オヤジを変だということはできないと感じたこともあるかもしれない。
 突如現れた空色オヤジは手品を披露する瞬間の奇術師がやるように指をぱちんと鳴らした。
 その瞬間、私の鼻や耳がしばらくの休暇から大急ぎで復帰したように感じられた。
 化粧室の匂いが漂ってくることをこんなに嬉しく感じられたことはそれまでの人生では一度もないし、これからもないだろう。
「じゃあ行こうか」
 空色オヤジは口の端をくいっと持ち上げるような、爽やかさにかける微笑をたたえながら言った。
 彼の意図するところがわからなかった私がぽかんとしていると、彼は目を細めて説明を付け加えてくれた。
「わかってると思うけど、君はこれから2時間半前に戻って過去の君に時間遡行術のレクチャーをしに行かなきゃいけないんだ。理由はもちろん一つ。君が君よりも未来の君にそうされたからさ」
 もうこんな分かりにくい言い回しでもわかるようになってしまった自分に驚きを感じつつも、私はコクリと頷く。
「そうだね……未来の私がこんなに丁寧に練習をさせてくれたわけだから、私もそれを私よりも過去の自分にしてあげなきゃいけなんだね」
 そう言って私の練習に付き合ってくれた未来から来た私の方をすがめみると、彼女は歯を見せてにっこり笑ってくれた。
 私はこんな顔もできるんだな、と少し自分を見なおしてしまった。これは私が数十時間後に見せる笑顔なのだし。
 そこからは今度こそ本当に予定調和。
 私は未来の私にされたことをそのまま過去の私にしてあげた。
 出会いから、状況の説明。時間遡行術初級。ウィンク。
 すべてが終わって通常の時間に帰ってきたときには、私は完全に疲弊してしまっていた。無理も無いと思っていただきたい。ろくに寝ていない一週間の後に、24時間相当のほぼ不眠の時間を過ごしたのだから。
 そんな長時間の体験にも関わらず、結局のところ私は、空色オヤジの真意を聞くことができなかった。
 彼はなぜ私にこんな力を授けに来たのか。
 その最大の謎に対する答えを得ることはできなかった。
 私は一体この力で何をすればいいのだろうか。
 そこまで考えたところで、現実離れした体験のインパクトに完全にノックダウンしていた私の眠気がようやく意識を取り戻し、代わりに私の意識を奪っていった。
 新幹線の振動が、今は揺りかごのように感じられた。

       

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