Neetel Inside 文芸新都
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「この間のリポDと同じだよ。これ自体はただのオロナミンCドリンクだから、怪しまないで飲んじゃってくれ。1965年発売の由緒正しき栄養ドリンクだ」
 私は空色オヤジから茶色い瓶を受け取りながら、京都で飲んだリポDを思い出していた。わざわざ正式名称であるオロナミンCドリンクと言ったのが少し気になる。
「前のと同じで……『意識を変えるお薬』、そういう認識でいいの?」
 私は空色オヤジに確認を取る。あの時のリポDはそう説明されたはずだ。
「そんなところだね。時間遡行術は頭の中での認識をちょっと変えるだけでできるお手軽なものだから」
 簡単に言ってくれるものだ。こいつがいつの時代から来たかは知らないが、時間遡行工学科に在学する学生はそれができなくて毎日ひーひー言いながら研究にいそしんでいるというのに。
 この私もその一人なのは言うまでもない。
「わかったよ。嘘だとしても確かめるすべもないしね」
 そう言って私は瓶の蓋に手をかける。気持ちのいい音とともにそれを引き剥がすと、腰に手を当てて一気に喉へと流し込んだ。
「ふぅ……これでいい?」
「もちろん。ふふふ、林田助手の奥さんを助けたいというのは、どうやら本気みたいだね」
 口角を釣り上げて微笑む空色オヤジの顔には一片の可愛らしさもない。私は睨み返すことでその言葉に返事をする。
「さて、それじゃあ時間遡行術・中級の講義を始めようか」
 返事をしない私をどう思ったのか、空色オヤジは居住まいを正して語りだす。
「基本からおさらいしよう。時間というものは3つの要素からできている。何と何と何だったかな」
「幅、奥行き、高さ」
 私は即答する。時間遡行工学の基本だ。
「その通り。君が以前に教わった時間遡行術・初級では、そのうちのどれを扱ったか覚えているかい?」
「……時間に奥行きがあることを意識しろ、って習った気がする」
 私は少し考えてからそう応えた。確かそんなことを言っていたはずだ。
「……つまり、中級では幅か高さについて教えてもらえるってこと?」
 私は空色オヤジの返答を待たずに続ける。
「うん。中級では、時間の『幅』を意識してもらおうと思う」
 オヤジはあっさりとそう言った。時間の幅、それについて学べば京子さんを助けることが出来るのだろうか。
「君は時間遡行術・初級を学んだ。それは言わば暗闇の中に一本の道を照らされたようなものだ」
 私はオヤジの方を向き直る。
「自分が道の上に立っていて、前と後ろに進むことが出来る。そう認識できたってことさ。それまでは暗闇の中手探りで前にだけ進んでいたのにね」
「わかりやすいのかわかりにくいのかわからない例えだね。奥行きがそれなら、幅はなんだって言うのさ」
「幅は、道の分岐点さ」
 もしもオヤジがタバコを持っていたならば、ここでそっと火をつけただろう。そんな印象すら覚えるほど彼はハードボイルドな雰囲気を漂わせていた。
「一本道だと思っていた道は、実はそうじゃないんだ。どこかで別れて、どこかでつながって、平行して走る道もたくさんある」
 私は言われた言葉を精一杯噛み砕こうとする。
 道は、時間の流れの例えのはずだ。
 並行する道がある。それはつまり--。
「つ、つまりその並行した道の中には……」
「そうだ。林田助手の奥さんが死なない道も、あるかも知れないってことだ」

 パラレルワールド。SFなんかでよく聞くやつだ。
 今自分がいるのとよく似た世界がどこかにあって、でもその世界はどこか違っている。世界観としてはかなり使い古されたものだ。

「つまり、パラレルワールドの中から、奥さんが死なない世界を見つけ出せばいいってわけだね……」
「うん。だいたいあってるけど、ちょっとだけ違う」
「え?」
 オヤジの言葉に私は目を白ませる。
「確かに、そういう世界を見つけることは必要だ。でもそれだけじゃ駄目だろう?」
「それだけじゃ、って……どういう……」
 私は腕を組んで考えこんでしまう。
 パラレルワールド。今私がいるのと、ほとんど変わらない世界。
 そこには教授がいるだろう。奥さんがいるだろう。そしてもちろん--。
「私が、いるっ……」
「そうなんだよ。パラレルワールドにはもう一人の君がいるのさ。そいつを何とかしない限り、君はあくまでも別の世界から来た異世界人でしかない」
 何とかする。
 何とかするって、なんだ。
「いやなに、殺せなんて物騒なことは言わないさ。君は、パラレルワールドものの小説を読んだことある?」
 ある。もちろんある。時間遡行モノは大体読んでいる。私だって一介の時間遡行工学者だ。
「あるけど……それがなんの関係があるのさっ」
「ああいう話って、冒頭はどんな感じで始まることが多いかな?」
「ぼ、冒頭?」
 私は一番好きなパラレルワールドものの小説を思い出す。
 それはたしかこんな書き出しで始まっていたはずだ。
「『一体全体どうしてこんなことになってしまったのか。ある朝目を覚ました僕は、自分が今までとは全く違う世界に迷い込んだことに気がついてしまった』」
「おお、僕も好きだよ。その小説。それで、考えて欲しいんだ。その主人公はなんでその世界に迷い込んでしまったんだろう。元々その世界にいた主人公はどこに行っちゃったのかな?」
 そんなこと、深く考えたことは無かった。これはそういう物語なのだ。たしか物語中でも言及はされていなかったはずだ。
 ここは逆から考えてみよう。元々この話になったのは、『自分がパラレルワールドに移動したい時、そのパラレルワールドにいるもう一人の自分をどうするか』という話だった。
 そいつをそこから排除したい。でも殺すなんて残酷なことはしたくない。ということはどこか別の世界に移動すれば--。
「あっ」
「うん。そういう事なんだ。あの主人公。別の世界の自分に入れ替えられてしまったのさ」
 オヤジはそこで一拍置く。
「あの主人公、パラレルワールドに飛ばされて大変な目に合うよね。アレと同じだ。君もこの悲劇的な世界を、別の世界の自分に押し付ければいい」
 夏空の元、私の背筋に寒気が走った。

       

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