Neetel Inside 文芸新都
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 しばらくの間私はじんじんと痛む頭を抱えて研究室の自分のデスクに突っ伏していた。研究室で机にほおづえをついて妄想にふけっていた私が悪いのはどう考えても明らかではあるが、それで頭の痛みが消える訳ではない。デスクの上で丸まった私の肩の小さな震えで、同じくデスクの上におかれたカップのコーヒーの水面が揺れていた。
 この痛みを与えた私の上司である林田教授は、今やもう自分の居場所に戻ってコーヒーをすすりながら書類に目を通していた。
 私はちらりと教授の方に目をやると、恨めしい視線を精一杯送りつける。もっとも私のかけている度の強い黒ぶち眼鏡の奥から、いったいどの程度の視線が届いたかは全くさだかではない。
 国立T大学工学系研究科時間遡行工学科、林田和希研究室。それが私が所属するこの部署の名称である。
 最近できたばかりの学科だから、あまりなじみの無い名前かもしれない。
 時間遡行工学科。それは読んで字のごとく時間を遡る技術の工学的な応用の研究を目的として作られた部署だ。
 『二度の世界大戦や、世界的な不況を経験した前世紀。そんな国際的な政治不安定に加えて、様々な環境問題、すなわち資源枯渇や地球温暖化、エネルギー問題などに追いつめられた人類の世紀末の閉塞感は、種としての終末が近いことを感じさせていました。
 ノストラダムスの大予言が的中してくれた方がまだ救いようがある。そんな風に考えてしまうような状況の中でも、人類は手に入れたある程度の文明を手放すことを嫌い、必死に体面だけを取り繕ってそれまでどおりの生活を送ろうと躍起になっていました。
 そんな暗闇の中で一歩踏み出すような形で始まった今世紀。前の世代が抱え込んだ問題をどう処理するかに頭を悩ませ続ける一世紀になるだろう。誰もがそう思っていました。
 一本の論文が世に出るまでは。
 みんさんご存知の「時間遡行に関する基礎研究とその理論」。日本で発表された研究ではあるが、もちろん原題は英語です。日本語訳するとこういった題になるのです。
 あくまでそれは可能性にすぎませんでした。可能性にはすぎなかったのですが、今まで何の糸口も見つかっていなかった時間遡行というサイエンスフィクションに対する確かな突破口となるのは間違いがありませんでした』
 私は目の前のパソコンに表示されたそんな文章を視線だけで追っていた。研究室のパソコンなので研究以外のことに使ってはいけないのだが、所属する学科のウェブサイトなら比較的後ろめたさは少ない。
 トップページに戻ると無駄にこったフラッシュで「時間遡行への確かな可能性」という文字が踊った。
 確かな可能性というほど世間の研究者たちは確信を抱いていた訳ではなかったが、この研究テーマはやはり人間の心をとらえて離さないものであるようで、うちの大学にもここ数年で急激にいくつもの時間遡行関係の研究室が設けられて、今に至るという訳だ。
 量の増加は質の低下につながるのは当たり前の話で、推進の波に乗って設けられたそれらの研究室の多くは資金不足に悩んでいる。
 我が林田研究室がこんなにも狭っ苦しい部屋に、教授一人の学生一人で細々と研究を続けている理由もそこにあるのだった。
 なんでまたそんな研究室にわざわざ所属したかというと、これもまたいろいろと理由があるのだが面倒なので割愛させてほしい。
 大事なのは、なぜ林田研究室に来たのかではなく、なぜ時間遡行工学を勉強しようと思ったのか、そちらの方だ。学問においてその根本となるモチベーションをしっかりを築くことは非常に重要だと私は思っている。
 というか、思っていた。過去形になってしまうのは、自分がなぜ時間遡行にここまでの興味を持っているのか全く覚えていなかったからだ。
 幼い頃からなんとなく興味はあったような気がする。中学高校と必死で勉強して、理学部物理学科に所属するために今の大学の門をくぐったのがつい最近のようだ。
 それでも、その幼い頃の興味の源泉はわからない。おそらくドラえもんとか、そういった子供向けのSFのおかげだとは思うが断言はできない。
 何はともあれ、私は時間遡行工学科に配属になり、現在ではこの林田研究室に所属しているというわけだ。
 学部の四年生の一年間をこの研究室で過ごしたにもかかわらず、私は林田教授の有無をいわせず人を叩く生態にいまだに慣れていなかった。
 修士過程の一年生として半年を経過した今になってみても、少しでも気を抜けば振り下ろされる論文や教科書にびくびくする日々はしばらく続きそうである。
 私は白衣に包まれた両腕を胸の下でくみながら、目を細めて自分の状況を嘆くのだった。

       

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