Neetel Inside 文芸新都
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 そんなことを考えているうちに、その時はやってきた。
 私の居る屋上に京子さんがやってきたのだ。その顔色は悪い。直後に自分が死ぬことを理解しているはずなので、仕方ないだろう。
 
 あー、辛いな、これは。

 何度見ても慣れない。死を覚悟した京子さんの表情。でもこれで終わりだ。全てを終わりにするために、私はここに来た。
「京子さん……」私は物陰から出て話しかける。
「っ!?……あ、さっきの……どうしたんですか、こんなところで」
 これから死のうとしているところに、つい昨日知り合った他人が現れたら、興も削がれるだろう。
 京子さんの口調に覇気は無い。彼女の心情を考えれば当然とも言える。
「話は後です。あなたがこれからしようとしていることを、私は知っています」
「な、なんのことですか……」
「だから話は後です。いいから私の手を取ってください」
 私は右手を差し出して言う。京子さんは怪訝な顔で私の手を見つめたあとに、
「い、嫌です……!」
 そう言って一歩下がった。
「私は……信じられないと思いますけど……もう何をしても死ぬんです!あなたが何をしようと!あらゆる世界で死ぬんですよ!」
 彼女が体験した彼女の死が、彼女の口から語られる。
「お父さんと……和希さんとこれから、ずっと幸せに暮らしていくはずだったのに。子供も作って、家族を作るはずだったのに……!」
 京子さんの目から、とめどなく涙があふれる。過去の世界で自分のお見合いを目撃して、その時の気持ちを思い出した。その時は違う涙を流している。
「私は、なれなかったっ……!」

「和希さんの居場所には、なれなかった……!」

 肩を落とす彼女に、私は一歩近づく。死から救うよりも先に、彼女に伝えなければならない言葉がある。
「嬉しかったって、言ってましたよ」
「……?」京子さんはわずかに目を上げる。
「『おかえりなさいって言葉は、言われ慣れてない人間が言われると嬉しいものだ』って、言ってました。
 あなたは今日死んでしまうのかもしれません。でも10年後の未来でも、林田教授の居場所はあなたのところだけなんですよ」
 一瞬の間があって、京子さんはしゃがみ込んだ。泣き顔のような、笑顔のような、そんな顔で、悲しいような、嬉しいような涙を流し続ける。
 そんな彼女が泣き止むまで、私はその場でそっと待っていた。



 そんな時、どこからともなく声が聞こえた。その声が、私と京子さんしかいない屋上に響く。
「お疲れ様。ようやくここまで来たね。長かったような、短かったような……」
 私と京子さんは、同時に声のする方へ顔をやる。私達二人とも、その声には聞き覚えがあった。
 視線にひっかかったのは、真っ青なシルエット。屋上の背景の青空に溶け込むような、空色のスーツだった。

「空色、オヤジ……!」

 私はその名前を初めて口に出す。空色オヤジは、それを聞いて少しだけ顔を歪めた。
「僕のことかな?ずいぶん嫌な呼び方をするね」
 言っていることとは裏腹に、その口調は楽しげだった。
「なんであんたがここにいるの?」
 私は問いかける。
「理由はおいおい伝えよう」
 そう言って空色オヤジは私の方へ一歩踏み出した。それを凝視していた私は彼の体の色合いがわずかに薄くなったのに気がついた。
 それは私が時間遡行術・上級を使っている時の姿に似ていた。
「時間遡行術・上級。もちろん身に着けてきたんだよね。ずいぶん時間がかかっただろう。お疲れ様」
 こいつが上級を使えることに驚きはない。初めからそれを示唆するように、私に初級と中級を教えていったのだ。
 しかし、今ここで上級モードになる理由はわからなかった。
 京子さんの姿を見るまでは。
「京子さん!?」
 私の呼びかけに、彼女は答えなかった。
 時間が止められている――。かつて京都の学会や、地下鉄で空色オヤジが現れた時と同じだ。
「時間遡行術を使える者は、時間を止めても意識が残ってしまう。君が地下鉄で体験した通りだよ。京子ちゃんも同じだ。ただし、上級モードに入った僕が時間を止めれば話は別だけど。彼女は上級を使えないからねえ」
 ますます私の方へ近づいてくる空色オヤジに、私は身構える。
「彼女には、これからの僕と君の会話を聞かれるわけにはいかないんでね。さあ、なんでも聞きなよ。知ってることは教えてあげる」
 あくまで余裕を感じさせる空色オヤジにイラつきながら、私は問いかける。
「……なんで、私に時間遡行術を教えたの?」
「なんだそんなことか。もう自分でもわかってるんだろ?……でもまあ、教えてあげようか」
 種明かしをする手品師のように、空色オヤジは楽しそうだった。
「お察しの通りだよ。君には時間遡行術・上級の理論を完成させてもらわなくてはならなかったんだ。ただそれだけの話さ」
「なんで、なんで私なんかに……!?他にもふさわしい人はいたはずだよ。時間遡行学をやってる人なら誰だっていいはず……」
 そこまで言ったところで、私は自分のセリフに、ハッと気づかれされた。

そうか、そういうことか。

「そうさ、誰でも良かったんだ」
 空色オヤジはあっさりと言い放った。

       

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