Neetel Inside 文芸新都
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 時間遡行。少なくとも時間遡行工学者の端くれである私としては、それは物理的、工学的に引き起こされるべき現象である。
 その意味で空色オヤジの「時間遡行能力」という言い方は私にそれなりの違和感を与えた。
 ……というよりも、むしろその発言自体が荒唐無稽ではあるのだが。
「……聞こえた? 君に時間遡行能力を授けるって言ったんだ。まあほんとにただ言っただけで伝えただけだから、これに対して君に何らかの判断を求めているわけじゃ無いことを理解してほしいな。ということで、あげるから。どう使うかは好きにしてよ」
「な、何言ってるんですか! あ、あげるって……なんで、どうして、どうやって! だ、大体、そんなこと出来るわけ無いじゃないですか!」
 私はジェットコースターのような急展開に全くついて行けていなかった。
 たった今私に何らかの判断を求めているわけじゃないと伝えられたばかりだというのに、私の口からはひたすら彼の真意を探る言葉だけが飛び出していた。
 私にまくし立てられて、空色オヤジは初めて比較的強い感情らしいものをその顔に浮かべた。
 めんどくささ。その感情を一番適切に表現すればこうなるだろう。
 空色オヤジはその感情を特に消そうともせず、そのままのやる気のない様子で私の質問に答え始めた。
「やっぱり多少の説明はしないとダメか……。それに関してもできるだけ簡潔に言わせてくれ。君がこの後この能力を受け取るから、今僕のとなりには『君』がいるんだ。言っていることはわかるよね?」
 私は目の前にいるオヤジの隣で所在なさげにしている非リア女の方に目を向ける。
 さっきからの話し通り、この女性が本当に私自身だとしたら、ドッキリでないとしたら、それは今ここにいる私ではない別の世界から来た私だということになる。
 別の世界というだけで別の時間から来ているとは限らないのだが、仮にも時間遡行を学ぶものとして異世界よりは異時間軸の存在を信じたい。
 そう考えると、私はどうあれこのおっさんの申し出を受け入れるしか無いということになる。そうしなければ、今この場に二人の私が存在するわけがない、するべきではない。そういう理論になる。
 私はそう思い至って、完全に黙りこくってしまった。
 どんなに論理的な裏付けがあろうとも、信じるものは自分で決めるというのが人間の美徳の一つであると私は勝手に思っている。
 どうしようもないこの状況に対しては、沈黙を守る他なかった。
 そんな私の沈黙を、空色オヤジは別の意味に受け取ったようである。
「うん。わかってくれたみたいだね。物分りが良くて助かるよ。じゃあ後のことは全部こっちの『君』に聞いてくれ。気心が知れた相手の方が話しやすいだろう?」
 この世で一番気心が知れているのは間違いない。そんなに年さえ違わなければだが。さすがに幼稚園児の時の私と、当時ハマっていた魔法少女の話題で盛り上がれるとは思えないし。
 私がそんなことを考えながらおかしくなりそうな頭を抱えていると、目の前にいた非リア女が私の方に歩み寄ってきた。
 私はそちらに目をやって、それからふと視線を元の空色オヤジの方に戻した。
 その時にはもう、そこにあったのは化粧室の入り口だけだった。
 私がその事実に戦慄する間もなく、非リア女は先程より少し砕けた調子で話しかけてくる。
「行っちゃったみたいだね。私の時もそうだった。これからは、過去の私と今の私、あなたにしてみれば『今の私と未来の私』になるのかな? とにかくこの二人だけで話をさせてもらうから」
 非リア女はそこで少し間を置いた。まるで私からの質問を待ち受けるように、じっと私の方を見ていた。
 私は我慢できなくなって、頭の中を飛び交っていた様々な疑問を溢れさせる。
「もう……わけがわからない……。これ夢じゃないの? さっきのオッサンは一体なんなの? あんたは私なの? もしも私なら、一体いつの私だって言うのよ……」
 次々に打ち出される私の質問の散弾を、非リア女はやはり黙って受け止めていた。
 私が弾切れになってから一拍おいて、ようやく彼女は口を開く。
「うん。わけがわからないのは当然だと思うよ。もちろんその質問には答えられる範囲で応えたいんだけど……その前に、」
 そう言うと非リア女は改めて私の瞳をじっと覗き込んだ。グッと近づいてきた彼女に瞳には私の姿が映る。きっと私の瞳には彼女の姿が映っているのだろう。
 そんな回りくどい鏡合わせに私が心の中で苦笑したが、ふと目の前の非リア女の顔に僅かな感情の色が混じっていることに気がついた。
 眉間によった皺。固く引き締められた上まぶた、真一文字に閉じられた口。
 な、なんか怒ってる……?
 彼女の表情には明らかな怒りの色が浮かび始めていた。
 私には非リア女を怒らせるような心当たりはなかったので、ただただ面食らって彼女を見つめ返していると、ようやく彼女は口を開いた。
「さっき、私があんたに話してたときさぁ……」
 絡むような口調で彼女は続ける。
「『処女のくせに……』とか思っただろ! へんだ! あんただって処女のくせに!」
 非リア女は私に人差し指を突きつけて言い放った。
 ああそうだもっともな話だ。
 今の私が考えたことは、未来の私も知っている。
 彼女が非リアなら、私も非リア。
 私は自分の器の小ささを目の前の女から感じて少し悲しくなったが、そのバカバカしさのせいか、先程まで感じていた気が狂いそうな思考の嵐は過ぎ去ってしまっていた。

       

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