Neetel Inside ニートノベル
表紙

能力収集者レビト
序章

見開き   最大化      

「あなた」
 若い女性の声がした。青年はかぶりを振って辺りを見回した。しかし地面から突出した背の高い岩山が点在するほかに誰かがいるというわけでもない。薄暗くてよく見えないが、その岩山の上に潜んでいるのでもないようだ。声は同じくらいの高さで、それもすぐそばから呼びかけているように聞こえた。
「あなた、聞こえていますか?」
 そもそも彼には「あなた」などと呼ばれるような間柄にある人物はいない。いや、いないはずだ。はずだ、というのは、つまり彼は目下のところ記憶喪失状態にあるためだ。
彼は自分の名前の他はほとんど何も覚えていなかった。持ち物も粗末な洋服を着ているほかはなにも無い。ただ少なくとも「あなた」と呼ばれるのがどうしてもしっくりこないという点は確かだった。
「誰だか知らないが、俺を呼んでいるのか?」
「よかった、聞こえていましたね」
 青年が姿の見えない声の主に向かって返答すると、すぐに安心したような声色で応えがあった。
「しかしその様子ではまだこちらの姿は見えていないようですね。少しお待ちください」
 姿の見えない女からの声はそれから少しの間途絶えた。しかしその裏では何かやっているようで、かすかに機械を操作しているような音がしていた。
 しばらくして、何の前触れも無く目の前の空中に女の姿が現れた。二十半ばくらいの髪の長い女で、白いワンピースを着ている。うっすらと茶色がかった髪と裸足である点を除けば、至極特徴の無い姿だった。
「これで見えるでしょうか」
「ああ、見える」
「承知いたしました」
 宙に浮かぶ女は確認したようにうなずくと、さっと手を振って光る板状のものを取り出した。そして指でそれに触れながら女は話を切り出した。
「それでは初回転移者様向け解説に入らせていただきます。ご質問ある場合は各項の終わりに受け付けますのでご了承ください」
「分かった」
「ありがとうございます。当局はあなたの目的や行動については一切関知いたしませんが、この世界で生活するにあたり、最低限必要な説明、初期持参品のご用意はさせていただきます」
 女の持つ光る板から光が伸び、空中に見たことも無い地図を映し出す。
「まずあなたがいまいるのはラスティノアと住民より呼ばれる世界です。あなたはつい先ほどここに降り立ちました。大小さまざまな国が入り乱れ、様々な人種、多様な動植物、それに人を襲う魑魅魍魎にあふれています。それぞれの生物は不思議な力を生まれつき持っており、生活や争いごとに用いています。これを魔法と呼びます。このあと魔法の扱い方をお教えいたしますので、先の生活の参考にしてください」
 女は、青年がまだろくに見てもいない地図を光る板に納めると、代わりに一条の光線を彼の足もとに伸ばした。
「この光があたっている場所の土を軽く払ってください。中に箱が埋まっており、魔法の習得に必要なものやこれからの生活に必要な物品が入っています」
 青年がちらりと足元を見、つま先で光があたっているあたりを掘ってみると、確かに木製の箱のものらしい天板が見えた。
「その前にひとつ質問だ」
「ええ、どうぞ」
「さっき人を襲う化け物がいると言っていたが、ここいらにも出るってことは無いのか?」
 女はそれを聞くと軽く首を振って否定した。
「この近辺はごく最近、地元の討伐隊の手により殲滅作戦が行われています。有害な生物は残っていないでしょう」
「なるほど、わかった」
「では、よろしければ足元の箱の中身を取り出してください」
 青年はつま先で天板に掛かった残りの土砂を取り払った。木箱は両手で抱えられるほどの大きさで、金属製の取っ手が付いている。天板を取り外してみると、そこには羊皮紙製らしい巻物が三本と革製のリュック、きれいにたたまれた寝袋が入っていた。
「リュックの中身は、五日分の食料と水、食器や火点け道具などの日用品が入っています」
 リュックは持ち上げてみると、大分ぎっしりと詰め込まれているようで重かった。とはいえ、それは背負って旅をするにあたって支障が出るほどでも無いようだ。
 よく見るとリュックの脇には逆さになったナイフが取り付けられていた。ボタンで簡単に取り外せるようになっているそれは、日用的に使う用途のみならず、どうやら不測の事態に対応するためでもあるようだった。

     

「赤い軸の巻物はこの大陸周辺の地図です。おおよその地形は把握できるようになっていますが、詳細の分からない暗黒地帯も多く存在します。そもそも細かな地形や場所を記した地図は少なく、またお目に掛かるとしても高価なものです」
 青年が赤い軸の巻物を開いてみると、確かに言われた通り大体の地形は分かるが、たとえば大きな山のふもとに城があるだとか三叉になった川の中州に村があるだとか、相当にあいまいな代物だった。
「現在地点は地図のやや右下、たくさん棘が並んでいるような印がある岩山地帯です。すぐ左上に村落がありますね」
「たしかに、縮尺はわからないがほぼ隣接しているように見えるな」
「はい、半日もすればたどり着ける位置です。のちほど方角をお教えします」
 青年は一度軽く地図を確認すると、巻物をたたんでリュックにしまいこんだ。リュックにはあらかじめ巻物をしまうためにか、きっちり巻物三本分くらいの隙間があいていた。
「では次に黄色い軸の巻物を開いてください。これはこの世界で魔法を扱うに当たって最も初歩にして最も重要な魔法の巻物となっております」
 黄色い軸の巻物は地図の巻物と同じくらいの紙面だったが、大きくそれと違うのは抽象的でありつつもかろうじて理解できた地図の代わりに、理解する手掛かりもないほどに乱雑な絵図と見たことも無い文字が並んでいた点だ。
 文章になっている部分は絵図のあちこちに散りばめるように配置されていて、何かひとつの文章を形作っているというより絵図の一部であるか絵図の部分部分を説明しているように見えた。
「右下と左下に二重丸になった部分があります。そこへ両手の親指を押しつけてください」
 青年は言われるままに巻物の紙面に指を押しつける。しかし件の二重丸は巻物が縦に読む種類のものであるため、軸が垂れ下がり非常にやりにくい。
「あー、すこぶるやりにくいんだけどな」
「申し訳ありません。その魔法は書式を変えることができないため、高さを確保する必要があったのです。本来なら机などに置いて行うものなので、お手数ですが足元の箱の天板を利用するなどして代用をお願いします」
 青年は箱が土の中にきっちり埋まっていたため掘りだすのはあきらめ、天板を元通りはめ込んで、その上を机の代わりにすることに決めた。
 天板の上に巻物を置き、改めてふたつの二重丸の上に指を置く。始めはなにも起きなかったが、五秒ほどしてうっすらと、一瞬だけ巻物の絵図が光った。
 やや間をおいて、宙に浮く女が出して見せたような光る板の縮小版のようなものが出てきた。大きさはこどもの手のひらに収まるほどで、『了承』と『撤回』というふたつの単語だけが浮かんでいた。
「了承を押してください。あ、もう巻物から指を離していただいて結構ですよ」
「いや、先に何を了承するのか聞かせてほしいな」
 青年は巻物から指を離して女の方を向く。光る板は巻物から離れても消える気配はない。
「はい、それはベースカードを作るための魔法を発動するかを聞いています。ベースカードとは魔法の発動に必要な魔法カードを作成にあたって必要なもので、初めて作る場合最低でも二枚必要となります」
「代償は?」
「あなたに初期値として与えられている魔力を少し、それだけです。毎日少しずつ蓄積されていきますし、作ったカードに不満があるならいつでも魔力へ還元することが出来ます」
「分かった」
 青年は巻物へ目を戻すと、迷わず了承を押した。
 光る板は指を離すとすぐに消えた。そして光る板が現れる直前のようにうっすらと絵図が光ったかと思うと、色のついた空気が寄り集まるようにして巻物の上に一枚の紙の札が現れた。
 続けて、青年は女にうながされるまま都合二枚目のベースカードも作り出した。
「これがベースカードか」
 青年は手元のベースカードをまじまじと見つめる。ベースカードの巻物は既にたたんでリュックにしまってある。
 ベースカードは良質な堅い紙でできているように見える。茶色地に木の根のような模様が描かれている方が裏面だろう。表面は上半分に正方形の枠、下半分には無地の空白が用意され、縁に黒い線が引かれていた。
 なぜ青年に上下の区別がついたかと言えば、表面の下端に『銘』と『ID』が刻まれていたからだった。

     

「レビト・スウィーダ、これが俺の名か」
「はい、その通りです。魔法カードには必ず作成者の名前が銘として入ります。銘が自分のものでない場合、使用や還元はできますが、効果の編集はできません。そのため購入あるいは譲渡されるなどしたカードの扱いには注意してください」
 二枚のベースカードのうち銘は一致しているが、IDは『1』、『2』となっていて違う数字が入っている。
「IDは、これは作成順だな」
「はい、ベースカードを作成するごとにひとつずつ数字が増えていきます。これは不変のもので、たとえカードが還元されても作成されたカードの枚数は保持されます」
「つまり、例えばこの二番のカードを還元してからもう一度ベースカードを作っても、そのカードに表示されるIDは『2』ではなく『3』ということだな」
 レビトが確認するように女を見ると、女は理解が早くて助かるとでも言うように軽くほほ笑んだ。
「その通りです。ベースカードを二枚作っていただいたのは、これ以降のベースカードを作成する作業を簡略化するためです。前準備として、まずリュックの中から鉛筆を取り出してください。細めの木の筒の中に削ったものが入っています」
 レビトはリュックを再び開け、木筒を取り出す。説明の際に取り出しやすいようにか、木筒は荷物の一番上にしまわれていた。なめらかな材質の木で出来たそれの中には、先がナイフで鋭く削られた鉛筆が四本入っている。
「それでは二番目のベースカードへ、このように書いてください。『ID1のカードの複製を作る。』と」
 レビトが女の言うとおりに書きあげると、彼が書いた文字から光が生じ、次いでカードから剥がれるように文字が宙へ浮き出した。文字が完全にカードが離れてしまうと同時に、先ほどベースカードを作成した時のように、了解を取る旨の光る板が浮かび上がった。
「そこで了承を押せば書いた内容がカードへ反映されます」
 レビトはうなずいて了承を押す。すると光る板が消えると同時に、カードへすいこまれるようにして文字が転写された。表面をさすってみても鉛筆の粉が指につかないことから、彼が鉛筆で書いた文字そのものではなく、完全にカードと文字が一体化してしまったことが分かった。
「これで完成です。このように文章を書いてカードへ効果を付与する際も魔力を消費します。それについてはまたあとで説明します。まずカードを使ってみましょう。方法はいくつかありますが、最も基本的な方法はカードを手に持って『発動』と念じるか、口にするだけです」
 レビトは出来たばかりの、転写された一文以外はベースカードと何も変わりの無いそのカードを見つめながら心で念じた。
(発動)
 瞬間、カードの表面が淡く光り、まもなくして巻物で作った時と同じように空気が寄り集まるようにして空中にベースカードが生成された。
レビトは生成が終わっても空中に浮いたままになっているそのカードを手に取り、ふと発動と念じたベースカード作成カードを見た。するとカード表面は煤にまみれたように真っ黒になっており、しかもそれは時間の経過に従って黒さが薄くなっているようだった。
「カードが黒くなっているのは再装填時間に入ったことを表しています。魔法カードは使用後、一律十秒間の待機が必要となっており、その間は発動を念じても発動させることができません。色が薄くなっていて発動できそうでも、発動できないときはカード表面下半分の効果説明欄が黒塗りになっていますので参考にしてください」
 確かに説明されている間にも徐々に黒さが薄れていき、完全に元の状態に戻るまではカードの下半分は黒いままだった。
「思ったより簡単だったかと思います。他にもカードに名前を付け、その名前を前につけてから発動と念じても発動できます。この方法でも魔法カードを使ってみましょう。ID3のカードへこのように書いてください。『対象のオーナー権があなたにあるカードを還元する』と」
 レビトは言われた通りに書きうつし、現れた光の板から了承を選んで、その効果を転写した。
「次にカードの上半分、正方形の枠上の隙間に『オーナーカード還元』と書いてください」
 危なげなく狭い枠の上の隙間に名前を書ききったレビトは、もはやお約束となりつつある了承の文字を押して文字を転写し終えた。
「そのカードを持った状態で『収納』と念じてください。もちろん口にしても構いません」

     

(収納)
 レビトがそう唱えると同時にカードがたくさんの光の粒となり、そのまま宙へ溶けるようにして消えていった。その様子はちょうどベースカードが生成される光景の時間の流れを逆にしたようであった。
「同様に『支出』と念じれば収納したカードを取り出すことができます。これはベースカードにもともとついている機能なので専用にカードを作らなくてもよいのです。さて、先ほどカードに付けた『名前』、『発動』、それから『ID1』の順に念じてください」
 ID1のベースカードは収納せず、まだ手元にある。レビトはそれを見つめながら心で念じる。
(オーナーカード還元発動、ID1)
 すると、手元にあったベースカードがさっきカードを収納したときのように光の粒にばらけ、今度は宙に分散せずレビトの胸へ吸い込まれていった。
「これでID1のベースカードは魔力に還元されました。こうして還元された魔力はおよそ百七十五時間のあいだ、カード生成には使えないのでご注意ください」
 レビトは光の粒が吸い込まれていった胸をさすりながら、ふと、むうとうなる。
「なるほど……、しかし収納と支出はできて、なぜ還元は出来ないんだ?」
「それはカードで、ということですね。ごもっともですが、しかし、これはこういうものとしてご理解ください。なにしろ古いものなので」
「ああ、そういうことか」
「そういうことです。このようにしてカードを作り、カードへ効果を書きこんで今後の旅の助けとしてください。質問が無ければ次へ移りますがよろしいですか?」
 レビトは女の問いを聞き流し、しばらくカードを収納したり支出したり、あるいはあらたにベースカードを何枚か作り出したりして実験していた。やがて合点がいったのか、ふむとうなずいて女のほうへ向きなおった。
「とりあえず分かった。次の説明を頼む」
「了解いたしました。次が最後の説明となります」
 女は光る板を取り出し、何やら操作した。するとその光る板から光が伸び、宙に何かの図を映し出した。図の上部にはゼロが三つ入った枠、下部には格子状になった無数の枠があった。格子状になった無数の枠のひとつひとつには文が表示されていて、それらがゆっくりと上から下へと流れている。
「この世界の人々は生まれつき何らかの能力を持っています。それは歩いたり喋ったりといったありきたりのものではなく、火の玉を生みだしたり、水を酒に変えたりといった超常的なものです。これを持たないあなたにこれらの能力のうちひとつを与えます。ただし」
 なぜか女はそこで一旦言葉を切り、レビトを見つめた。
「与える能力は私がルーレットで選ばせて頂きます」
 ちろりと、女が舌なめずりしたように見えたのはレビトの気のせいであっただろうか。しかし女の顔を見ればかすかに頬が紅潮し、さっきまで無表情だった顔も一転して微妙に笑みを浮かべているようにも見える。
「このルーレットにはこの世界に伝わるあらゆる能力が網羅されています。これらのうちひとつを人の手で選んでしまうのは、この世界で運命に翻弄されている人々に対して不公平でしょう。そのため私のほうでこのようなものを用意させていただきました」
「まあ構わない。これもカードになるのか?」
「いいえ、これはカードを介せず、あなたの意思のみによって扱うことが出来る力です」
「不公平と言ったが、それはつまり能力によっては不公平が起きるほどの力を発揮するということか?」
「その通りです。幸も不幸もルーレット次第、得た能力を活かすも殺すもあなた次第、というところです。問題なければルーレットを回しますがよろしいでしょうか」
 懇切丁寧な雰囲気を醸し出していたルーレット前の女とは打って変わって、今の女は慇懃無礼な態度を隠しきれない、嘲笑したい衝動をなんとか抑えているかのようだ。
「ああ」
「では、始めさせていただきます」
 女が光の板を操作すると、途端に表の上に表示された三つの数字が目まぐるしく変化し始めた。釣られて表の方にも変化があった。枠のうちひとつが赤く光り、それが数字の変化に合わせて動き始めたのだ。恐らくはあの数字が止まった時に合わさっていた枠の文がレビトに与えられる能力の名前なのだろう。
 多くは動きの速い赤い枠に翻弄されて確認出来ないが、中にはちらりと目に飛び込んでくる名前もある。ほとんどが抽象的なものだが、一部は彼にも想像することが出来た。

     

(稲妻……かまいたち……は、まあ分かるな。しかし空掻きやら枕木渡りやらは何に使うのやら)
「ルーレットを止めるためのボタンをお渡しします。押す瞬間はお好きなときで構いません。とはいえ、止まる位置はランダムに決定されますので、押す行為そのもの雰囲気となります」
 女が言い終えるや否やレビトの目の前に小さな光る板が浮かび上がる。それには『停止』と書かれたボタンだけが付いていた。
「ルーレットによって決定された能力は自動的にあなたの体へ組みこまれます。また一度与えられた能力の削除もしくは変更は出来ません。二つ以上の能力が与えられることもありません」
 レビトは女が次の言を継がないことを確かめると、迷わず停止を叩いた。光る板は瞬間的に消え失せ、代わりにルーレットが表示されている光る板から発せられる光の強さが若干大きくなる。せわしなく動き回るルーレットは赤い枠は二呼吸の間だけそしらぬ顔をして等速で動いていたが、やがて徐々にその速度を下げていった。
「確かにただ能力名を告げられるよりは雰囲気はあるかな。ちと派手だが」
「そうでしょう。苦労して作り上げましたので、そう言っていただけると嬉しいです」
 女の顔は本当に嬉しそうだ。多少不気味ではあるが、お役所仕事のように無表情で説明をされるよりは立ち位置が近くなった分だけよいのかもしれない。
 十分に減速した赤い枠はふらふらと表のあちらこちらをうろついていたが、最後に三度ほど間を置きながら動いた後、完全に動きを止めた。停止した赤い枠の中には『同化術』と表記されている。
 一呼吸おいて表を構成していた光の板が赤い枠と表の上の数字を残して光る粒にばらけた。その様子はカードを還元した時によく似ている。
 それから光る粒は還元の時とは違って一度に少しずつ、帯のようになってレビトの体へ流れ込み始めた。
「能力の擦りこみが始まりました。この作業は少々時間がかかりますので、しばらくそのままでお待ちください」
 女は言葉を区切ると、実に楽しそうな顔をしながらレビトから目を離し、ルーレットに映る能力名を見た。
「さて、これからあなたに与えられる能力は……えっ?」
「……なんだ」
 女の顔は無表情、嬉しそうな顔ときて、今度は狼狽しているように見える。
(なんとも忙しい奴だ)
 と彼が思うのも仕方ないところだろう。
「あー、いえ……」
 女はしどろもどろになって、小声で何かつぶやきながら手元の光る板をいじっている。
「どうした?」
 じれてレビトが少し大きな声で問うと、口元に手をあてて「どうしよう」などと呟いていた女は途端にぴしっと背を伸ばした。
「ええとですね、ごく簡単に申し上げますと、つまり……推奨されていない能力を差し上げてしまった、ということです」
「ふむ」
 レビトはなるほどと言いかけたが、考えてみると事故で推奨されていない能力が混ざってしまったとするなら、ルーレットを動かす前後の悦に入ったような表情はなんなのだろうか。
「しかしもう変更はできないのだろう?」
「その通りです」
「ではとりあえず能力の説明をしてくれ。それからなぜ推奨されていないかもな」
「分かりました」
 女は出てしまったものは仕方ないと割り切ったらしく、憮然とした表情をしながらルーレットと赤い枠を消した。レビトと女のやり取りの間に光の粒は全てレビトの体へ吸収されてしまっていた。
「あなたに与えられた能力は『同化術』といいます。手で触れた物体を身に取り込み一体化してしまう能力で、生物であればその魔法や能力、特技を、非生物であればその特性を使えるようになります。同化しても体の大きさは変わらず、それでいて同化したものの能力だけは相互に干渉すること無く扱うことが出来ます」
「……」
「これは別名『同化の禁術』とも呼ばれています」
「禁術?」
「はい、この世界の国際的な基準で禁止されている能力のことです。おもに自他への危険性が高いものが選出される基準となります。禁術を習得していることが明らかになった場合、収監、もしくは処刑されます」

     

「ふーん」
 妙に納得したような反応を示すレビトに、女は毒気を抜かれたような顔をした。生きているだけで犯罪者にされてしまった人間の反応とは思えないのだから当然だろう。
「禁術という呼ばれ方をしているということは、これは本来魔法カードに対する基準なのか?」
「資料によりますと……、能力のほうが先のようですね」
「なるほど、能力が先か。つまり能力に存在するものは魔法カードにも記述できるということだな」
 女はハッとしたようにレビトを見た。どうやら開示する気の無い情報をうっかり漏らしてしまったらしい。
「まだ色々と隠している情報があるようだな。たとえば、さっきは最後と言ったが、魔法カードを作成したり効果を記述したりで消費する何かの説明をまだされていないはずだが」
「なかなか、鋭いですね。確かにご説明していない事柄はまだ山ほどあります。ご質問さえしてくださればいつでもお教えいたしましょう。それからご安心ください。回答にうそ偽りは一切ございませんので」
 女はにっと笑ってそう言った。
「話は必要なところだけ、過不足なくしてほしいな。夜が明けるまでここにいるつもりか?」
「分かりました。ここからは簡潔に参りましょう。まず、能力はご自分が使いたいと思った時にそう念じていただければよろしいです」
 レビトは軽くうなずいて了解の意を示す。
「魔法カードの作成や魔法の記述に消費されるものは、通称『魔力』と呼ばれています。単位はそのまま『魔力』です。三十日でちょうど一単位蓄積されます」
「何を基準にした単位なんだ?」
「ベースカードを一枚作成するために消費される魔力量です。魔法の記述は、その効果により消費量はさまざまですが、最低単位として一魔力消費します」
 つまり小数点以下の消費魔力であっても、必ず繰り上げした魔力消費になるということである。
「時空転移者であるあなたには、初回特典として二百単位差し上げております。参考までに申し上げておきますと、還元もベースカード作成も消費量は一単位です」
「同化術の消費量は?」
 女は、レビトからは確認できないが手元にあるらしい資料を確認している。
「ええと、七百二十単位ですね」
(七百二十、一年あたり十二単位としても六十年分か。現実的ではないな)
 この説明にまだひとつふたつ秘密があることに気づいたレビトだったが、ひとまずここでは伏せておくことにした。質問があれば言ってくれという口ぶりから、この後でも質問をする機会があると踏んだからだ。
「能力、魔法を含めた全説明はこれで以上となります。よろしいでしょうか?」
「ああ」
「ありがとうございます。それでですね、ひとつ提案があるのですが」
 それきた、とレビトは内心予想が当たったことに感謝した。
「しばらくあなたについていってよろしいでしょうか? もちろんこの姿のまま、あなたから以外は見えない幻影としてですが」
「こっちは構わない。まだいくらでも質問するべきことはありそうだし、なにしろ一人旅は退屈だしな」
 女はぺこりと感謝の代わりにお辞儀をした。
 レビトはそれを一瞥すると、手元に残っていたカードを全て収納し、巻物の類を詰めたリュックを背負った。一度跳ねて肩ひもの位置を直した以外は、もうほかに用意もする必要がないと言うかのように顔をひきしめて女を見つめた。
 女はここで初めてレビトの顔をまじまじと見たかのように見惚れた。
 ツンツンと跳ねた栗色の髪が印象的だが、顔じゅうに残ったいくつもの傷、とりわけ無骨な骨格の顎の右端にある痛々しい切傷痕がレビトの辿ってきたであろう尋常ではない人生を物語っていた。少し浅黒い肌、紫水晶のような底の見えない瞳もまた彼に不思議な魅力を与えている。
「わッ、私はグラマ、グラマ・ベナンスと申します。以後よろしくお願いいたします」
 ふと我に返ったグラマはごまかすように大声で叫んだ。
「ああ、よろしく頼む」
 レビトは表情には出さないものの、苦笑したくて仕方がなかった。
(面白い奴だ。退屈はしなさそうだがな)
 グラマがまだ何か言おうとしていないか確認した後、レビトはリュックの右脇、ナイフが刺さっていた方の逆側に手を伸ばした。

     

 リュックの右脇には、やはりナイフと同じようにいくつかの日用道具が収納されていた。レビトが手を付けたのは、そのうちのひとつ、コンパスであった。
 少し前に目を通した地図上では、レビトが立つこの岩山地帯から北西の方向に集落があった。とはいえ、あの抽象的な地図では今彼が岩山地帯のどこにいて、そこからどの方向に向かえば集落へ辿りつけるかは分からないのだが。
 レビトはコンパスを開いて北西を確かめると、なんとなく見当をつけた方向へと歩き始めた。
「集落の方向は分かるのですか?」
「いいや? だが、大体の方向さえ合っていれば目ぼしい目印でもあるのではないかと思ってな」
 ちらちらと揺れ動くコンパスの針を気にしながら、レビトは特に足元を気にすることも無く砂利だらけの坂を下っていく。それもそのはずだ。彼の靴は山登りに使われるような大きい溝が入っているし、何より砂利によって足元が確かでない状況に慣れているかのようで、上手に体重移動をこなして平衡を保っていた。
「よろしければそのお考えをお聞かせ願えませんか?」
「ここいらに化け物が出るかどうか聞いた時に君はこう言ったな。大規模な討伐作戦が行われた、と。あの地図の集落に使われているシンボルを見る限り、大規模と言うにはちと小さすぎる」
 地図上にある集落のシンボルは積み木のような、四角と三角を組み合わせたものだ。他に散見される集落の中には塀らしきものがあったり、城が書き込まれていたりするものもあった。それらに比べると、小さな家のシンボルが三つしか書き込まれていないこの集落は比較的小さなものだと言えるだろう。
 無論、地図の情報が古い可能性は考えられるがね、と付け足してレビトは話を続けた。
「ともあれだ。この岩山地帯に一番近い補給地点はその集落なのは間違いないところだろう。とすれば、その討伐部隊の足跡やら轍やらが残っている可能性は大きい。そもそも討伐部隊が向かうということは、それなりに両者間の距離が近いということだからな」
 グラマは感嘆したように吐息をもらした。
「概ねおっしゃる通りです。このまま歩かれても標識かちゃんとした道に出会えることでしょう。ただ、私の本来の職務としては、あとひとつあなたにしていただきたいことがあります……どうされました?」
 軽快に足を進めていたレビトが突然立ち止り、踏み出していた右足を後ろへ戻したのだ。
「何か踏んだな。高弾力性の何かだ」
 そういう間にもゆっくりと後ずさり、足元にあった何かから距離を取る。
「ああ、それは……丁度よかったですね。探す手間が省けました」
「何か知っているのか?」
「はい、恐らくこれはこの地に生息する粘液状生物でしょう。雑食性ではありますが、おもに腐肉や汚物を食べる無害な生物です。食べる物のイメージに反して清潔な生物でもあり、近くにいても悪臭に悩まされるということはありません」
「なるほど、だから討伐の対象になっていないわけだな?」
「その通りです」
 レビトが見つめる地面には、さっき彼が付けた足跡がある。それは一見して砂地についた変哲もない足跡に見えるが、考えてみればこれまで歩いていた下り坂にはまとまった砂地などなかった。砂利だらけの下り坂にひとまとまりだけ砂地が存在する光景はかなり異様だ。
「特に身動きする様子も無いな」
「もともと天敵がいない生物ですから岩が転がってきた程度に感じているのでしょう」
「なるほど。では、用件を聞こうか」
「は……ああ、先ほどの件ですね。実は私の本来の職務は集落を案内し一晩越すところまでとなっているのですが、その集落に着くまでにやっておかないといけないことがあるのです」
 グラマは手元に光の板を取り出した。ただそれに表示されている文を読んで軽くうなずいた様子をみると、別段何かの操作をしているというわけではなく情報の確認をしたというだけのようだ。
「能力の説明だな?」
 レビトはくっきりと足跡がついた粘液状生物を見ながら言った。
「はい、集落に着く前に一度実際に使ってみないと勝手が分からないと思いますので。影響する範囲が狭いものならあの場で試してもよかったのですが、同化術となりますと相手が必要になりますから……」
「それなら君と同化したいな」

     

「は?」
 レビトはそう言いながら彼の隣で浮いているグラマに触ろうとする。
「そ、それは、私には職務がありますし、第一、私の実体はここにはありませんから不可能です!」
 グラマは彼の手から逃れるようにあわてて飛びのき、それからもっと高空に上がって彼を睨みつけた。
 グラマに触りかけた手を引っ込め、頭をばりばりと掻きながらレビトは言う。
「冗談だよ」
 レビトは頭上高くに浮かんでいるグラマを見つめていたが、ふとその視線が少し下に移動した。そして軽く苦笑いを浮かべると足元の粘液状生物へ視線を戻した。
「そうですか、それなら良いのです……」
 瞬間、ほっとしたような表情を浮かべたグラマだったが、レビトの視線移動の意味に気付いたのか、ワンピースのすそを叩くようにして抑えた。
「みっ、見ました? 見ましたよね?」
「見てないさ」
 レビトは落ち着き払った様子で粘液状生物に指を押しつけ、そこに指の跡が残る様子を楽しんでいる。
「さあ、それより同化術のやり方を教えてくれないか。いい加減にしないと日が昇ってくるぞ」
「うー……」
 納得いかないような顔をしていたグラマだったが、ついに観念して元の高さへ降りてきた。
「分かりました。あなたの同化術は相手と直に肌で触れ、『能力発動』と唱えるだけで発動します。同化完了までは一分ほど要し、同化を途中で止めることはできません。また例えば服を着ている人間に同化術を使いたい場合、服に手を触れた状態で同化術を発動すると服を同化することになりますのでご注意ください」
「なるほど。では、試してみるか」
 レビトはさっそく、彼の指の跡だらけになっていたそれに手のひらを押しあて、心の中で『能力発動』と念じた。すると魔法カードのような視覚的な変化は無かったが、即座に彼の手のひらへ違和感があらわれた。
 粘液状生物と手のひらが一体化したようにその間の感覚が不明瞭になり、徐々に肉体へ何かが浸透していくような感覚があらわれたのである。
手のひらの辺りから感じる痒いような、こそばゆいような捉えどころのない感覚にレビトは手を引こうとしたが、彼の手は既に年退場生物と同化していて無理に引きはがすことは難しそうだった。
粘液状生物は、その体に付いていた砂やら小石やらを落としながら彼の手のひらへ吸い込まれていき、グラマの述べた通りちょうど一分くらいで同化を終了した。
レビトの手のひらにあった違和感は同化が終わると同時に無くなり、彼の体の内側にあった浸透していくような感覚も直に消えた。
「これであなたは粘液状生物の性質を会得しました。これからは自由に体の形を変えることが出来るようになった、はずです」
「ふむ」
「今回は粘液状生物だったのでそれ以外の特典はありませんが、今後固有能力を持った生物と同化した場合はその能力を得ることが出来ますし、魔力を持っていた場合はカードを含めた全てを得ることが出来るようです」
 と、グラマは手元の資料を見てうなずきながら説明する。
 レビトは試しに『能力発動』と念じてみたが、何も起きなかった。同化術が発動したが、対象が無かったために効果が出なかったのだろう。
 それからしばらくの間、レビトはもくもくと試行錯誤を続けていた。どういうわけかグラマが粘液状生物の能力の発動方法を説明しなかったために、自力で方法を見つけようとしていたのだ。
「あっ」
 手のひらを見つめながらあれこれと念じていたが、単語には一切反応しないのをみて体が融ける様を思い浮かべた途端、熱くしたチーズのように彼の腕が融解したのだ。
「ご自分で能力の扱い方を習得したようですね。この短時間で発見されるとは流石です……資料には載っていなかったので助かりました」
「……何か聞こえたかな」
「いえ、何も」
 レビトは呆れたようにかぶりを振って、再び半ばとろけた彼の腕に集中した。骨格に関係なく曲がり、軽い粘着質を持つあたり全く粘液状生物のようではあるが、透明にはなれないらしい。それからしばらく振り回すなどしていたが、飽きたのか元の形へと戻した。

     

「どうやら粘液状生物の性質は魔法や能力のように単語で発動を念じるのではなく、融けるイメージ、もとの形へ戻るイメージを念じるだけでいいようだな。体の一部分だけを融解させることも出来る分、魔法などよりずいぶんと汎用性が高いようだ」
「意外と便利ですね」
「確かにな。使い道は今のところ思いつかないが、工夫次第で色々出来そうだ」
 骨格に関係なく紙のように薄くなることもできることはさっきレビトが行っていた実験で判明している。同化術は相手の素肌に触らなければ発動できないが、この能力があれば、たとえ相手が鎧を着込んでいても突破できる可能性が生まれるだろう。
「しかし困ったな」
「え? 何がですか?」
 レビトは溜息をつき、目の前に広がる地平線を指さした。
「陽が登ってきてしまった」
「あ……」
 あ然とするグラマを尻目にレビトはさっさと歩き出す。
「ああ、そんな早足で……」
「半日の距離なんだろう? それなら携帯食料を使うわけにはいかん。とっとと行くぞ」
 ずんずんと山道を降りていくレビトを、グラマは足を踏み外しはしないかとはらはらして見ていたが、その必要はなかったとみえ、あっという間に距離が離れてしまった。
 グラマはそれに気がつくと、慌てて宙に浮かんだそのままの格好で彼を追いかけていった。しかしふと立ち止まると、空高く飛び上がって遠くを見通した。
 地平線の彼方に、まるで背景の山々と融合するような形で小さく見える粒。それが彼らが目下のところ目指している村だった。もはや言葉もなく黙々と山を下っているレビトからはまだ見えないような距離である。
「まあ、なるようになるでしょう」
 誰に言うでもなく呟いたグラマは、風圧の影響を受けないスカートの裾をしっかり抑えながら、どんどん小さくなっていくレビトのもとへ降りていくのだった。

       

表紙

青王我 先生に励ましのお便りを送ろう!!

〒みんなの感想を読む

Tweet

Neetsha