Neetel Inside 文芸新都
表紙

髭面男とツリ目ちゃん
運の悪い女から、見知らぬ誰かに送るメッセージ

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 私は、他人というものに期待をしていません。
 だって、他人は自分ではないのですから。
 期待をしていないから、求めることもほとんどしません。
 求めたものと違うものが返ってきても、それで気分を害することもありません。
 自分に関わることを他人に任せて、それで酷い目にあったとしても、突き詰めれば自分の責任なのです。強いて言うなら、運が悪かっただけのことでしょう。

 雨降る空に怒ったところで何になりますか? どうにもなりませんよね? そう訊ねると共感してくれる人は多くいました。
 いきなり殴りかかってくる人に怒ったところで何になりますか? どうにもなりませんよね? しかしそう訊ねると皆が首を横に振ります。
 何故でしょう。空も、目の前の他人も、「自分ではない」という点で全く同じ次元のものなのに、どうして皆は別物のように扱うのでしょうか。
 こんなことを言うと大抵「お前は変だ」と指を差されますが、昔はどうにもその意味がよく分かりませんでした。子供のころは認識の違いで小さな軋轢を生んでいたものですが、最近はそんな考えが他人に理解されないことさえも仕方ないのだと悟ってきました。だって、誰も彼もが他人なのですから。
 私ではないものに、私を理解できるはずがないのです。同じように、私も彼らを理解していません。
 だからこれは蛇足なのですが、「自分がやられて嫌なことは他人にもやるな」なんてご立派な教えは糞の役にも立ちませんでした。みんな「人それぞれ」って、そうでしょう?

 話を戻して、ひとつ例を挙げましょうか。
 山道を下るバスがありました。しかし運転手が居眠りをしたせいで崖から転落してしまい、たった一人の女の子だけが生き残りました。世間の人はバス会社を責め立てたそうです。そしてバス会社の偉い人は多くの人に何度も頭を下げて、女の子を始めとする被害者やその遺族に沢山のお金を渡しました。
 だけどもしバスの転落した原因が、予想も出来ない土砂崩れだったとしたら世間はどんな反応をしたでしょうか。きっと、不運な事故だったと済ませるのでしょうね。まあ実際はそんな「もし」は存在しなくて、家族旅行の帰りで事故に遇った不運な女の子は一人じゃ使い切れない慰謝料を貰ったのですけどね。
 ただし女の子は、どうして自分にそんな大金が与えられたのか理解していませんでした。運転手の居眠りなんて、土砂崩れと同じように、彼女にはどうしようもないこと。単なる偶然。なのにただ運が悪かっただけの子供の人生を、わざわざ周りが身を切って補償するという構図が分からなかったのです。
 そしてそのお金は、親戚の叔父さんに預けられました。女の子が大人になるまで守るという名分でしたが、叔父さんは彼女が大学を卒業してもまだ適当な理由をつけてお金を手元に置いていました。それが世間一般でいうところの「騙された」状態だと彼女は知っていましたが、別に叔父さんを恨むことはしませんでした。所詮は叔父さんも他人であり、そもそも事故の慰謝料なんて、彼女にとっては貰ういわれの無いお金なのですから。
 叔父さんは大人で、彼女よりもずっと世の中の仕組みを心得ている人です。最初から存在しなかったはずのお金が彼の懐を潤して、やがて経済とかいう目に見えない不確かなものを回してくれるのなら、それはとても結構なことでしょう。
 そうです。生き残った女の子は私です。でもそれがどうかしましたか?



 私は、他人というものに期待をしていません。

 だから、

 だから私は、あなたに期待をしていません。
 私は職場で会った男性に口説かれて、断る理由も無いので交際を始めて、いつしか話題がすれ違うようになって、何だか訳の分からない理由で自宅に拘束されて、殴られて、犯されて、ちょっとした隙をついて逃げ出そうとして、後ろから刃物で刺されて、それでもどうにか走り続けて、とにかく身を隠そうとして、今はあなたの家の近くで虫の息になっています。
 それでも私は、あなたに期待をしていません。
 外に出たあなたが私を見つけて、救急車を呼んでくれるかもしれないなんて、全く考えてもいません。だって、あなたは他人なのですから。私の運が悪かっただけなのですから。
 全てはどうしようもない偶然。あなたにとっても、私は他人。

 だから、

 だからあなたが翌朝、自分の家の軒先で見知らぬ女の死体を発見したとしても、それは土砂崩れと同じくらいにありふれた、どうしようもない偶然に過ぎません。
 ただちょっと、あなたの運が悪かっただけのことなのです。

       

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