傘狂いの淳三


 淳三は華奢な傘を好んだ。紋様の華麗さ、柄の触り具合、雨を防げる面積、そういった傘の長所を重要視するのではなく、すぐに骨が折れてしまう傘、柄の割れてしまう傘を愛した。
「また新しい傘を買えるから壊れるのが嬉しい」と淳三は言う。
 安物は作りが簡単で意外と頑丈だとか、わざと壊すのは美しくないとか、盗まれるのもそれはそれでよい、と淳三はのたまった。こんな男なのに細君は美しく、傘に似たところはない。むしろ傘になってやるのは淳三の方で、小町という名のその女房は災難の星の下に生まれた女らしく、掏摸、かっぱらい、詐欺、強盗、暴漢などに頻繁に出くわした。淳三の頬には穴が空き、指は三本落ち、頭の左側には二度と毛が生えてこない。
「雨の匂いやねえ」と小町が呟けばじきに雨が降る。淳三はいそいそと玄関の傘立てから最近買った気に入りの傘を二、三本取り、用も無いのに外へ出て、雨が止むまで帰ってこない。二、三日雨が降り続けば傘は全て失われてしまっている。
 傘に関わる散財について小町は何も言わない。物は言わぬが淳三の頬を引っぱたく。一本壊せば十は叩き、三本壊せば百ほどになる。女の細腕とはいえ、叩かれるがままの淳三の歯が折れることもある。しかし淳三は壊れた傘の分だけまた新しく傘を買いにいく。
「雨の匂いやねえ」小町の鼻は効きすぎて、言わなければいいことまで言ってしまう。
 一降りで傘を破るほどの雨が降る日もある。
 そんな男だから淳三は三十二歳で死んだ。傘も女房も関係なく、流行りの病で頭をやられ、「小町、小町、小町、小町」と譫言を三晩繰り返した後、生きることをやめた。女房への呼びかけ以外、傘に対する執心も、そのことに対する女房への詫びの言葉も残さなかった。三晩のうちに雨は降らず、小町が雨の気配を感じることもなかった。
 淳三の死後、遭難癖のある小町を守ってくれようとする男達は幾人も現れたが、一傷二傷浴びたところですぐに逃げ出し、以後小町は九十二歳で亡くなるまで独り身で過ごした。

 広島県高崎市、小雨寺(しょううんじ)という小さな寺に彼女の墓がある。「雨小町」とだけ刻まれており、そこに淳三の物語は記されてはいない。彼女に関する数少ない資料のうち、最も出自の怪しいものに「雨小町には若い頃、傘狂いの夫があった」と記されていただけだ。ここに書いた内容はほぼ想像によるものといっていい。
 雨小町の墓はかつて雨を欲した人達によって大いに削られてしまっていた。今では墓石を削るものはいないだろうが、それでも柵で囲まれ、彼女の墓に触れることは難しい。
 小雨寺の住職の話では、彼女の墓を洗ってやっていると、雨が近いわけでもないのに、雨が降る少し前の匂いがする時があるという。「かんかん照りの日でも、雪が降ってる最中でも」と住職は笑いながら語った。歯は揃っていた。

(了)