Neetel Inside 文芸新都
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千文字前後掌編小説集
指だったね

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 指が落ちている。
 誰かからちぎれた、きっと人指し指が、根元に血を付着させたままで。車に轢き潰されない程度には歩道寄りの、横断歩道の白ライン上に。
 どこかで見た覚えのある指のような気もするけれど、そんなに他人の指を注視した経験はない。僕には両手合わせて指が十本あるから、落ちていたのは僕のではない。靴に隠れて見えないけれど両足にもきっと指はついている。
「指だったね」
 指の落ちていた横断歩道を渡りきって、それからまたいくつかの横断歩道を通り過ぎて(それらはごく一般的な、指も血もない横断歩道で)から、僕の横を歩く彼女が呟いた。
「うん」
 初デートの際に見るもんじゃないよな、と思いながら僕は頷く。見えてしまったものを違うとは言えない。目的地のライブハウスまではまだ少し歩かなくてはいけない。周囲では同じバンドのファンらしき人達が似た様な足取りで歩いている。それらの誰に聞いても、うん、あれは確かに指だったよ、と答えるのだろう。
 まあそれはそれとして、と彼女は話題を変える。職場の問題児達(「児」とはいってもそのどれもが一回り以上年上の方だけれど)の新たな問題行動を並べ立てたり、新人の癖に年配者への敬いが足りない生意気な若造に釘を刺したり、それ僕のことやがな、と関西弁で僕が突っ込んだりしてみた。

 三回目のアンコールは正直疲れていたから別にいらなかったな、と思いつつも、ライブ鑑賞は無事終了した。死人も出なかったし僕や彼女に怪我はない。汗だくになった彼女の白ブラウスが透けまくってピンクのブラジャーがくっきりと見えていたから、僕は自分の上着をそっとかけてあげた。何これ暑い、といってはねのけられた。
 何となく緊張感を持って、指が落ちていた横断歩道まで辿り着く。指はもう見当たらなかった。血の跡もなく、警察が現場検証していたりもしない。
 突然彼女が僕の右手の人指し指を手にとって強く引っぱった。痛くはないけどポキっと音が鳴る。左手も同様。
「引っぱったくらいで指は千切れません」
 彼女は重大な発見をしたかのように言う。それから指を口に含んで噛んだ。これは結構痛い。
「噛み千切るほど強く噛む勇気もありません」
 こちらは右手だけで許された。僕はこれって結構エロいことじゃいのかな、と思いながら彼女の唇を見る。
「まあ、とにかく指だった」
 そんな結論を口にした彼女と僕は、ちぎれたりしない人指し指を絡めて歩いた。手を全部繋ぐほどの関係にはまだなっていなくて。それ以上のことは何もなかった。

(了)

       

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