Neetel Inside 文芸新都
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千文字前後掌編小説集
ピアノ

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 我が家には古い、というか既にボロボロの、死期が近い老人のようなアップライトピアノがある。母が幼い頃に祖母が買い与えた物だというから、もう五十年ものになるのだろうか。
 音は鳴る。上には物が乗る。長い間、楽器ではなく物置として使われていたそのピアノを見るのが私には苦痛だった。小学二年生から中学一年になるまで、私はピアノを習っていた。高い月謝を払い長年習っていた割には大した腕にはなれなかった。レッスンの前日の僅かな時間、酷い時にはレッスン前の数十分程しか家で練習しないような人間に、美しい旋律を奏で続けられるはずもない。レッスンそのものは苦痛ではなかったが、親に金銭的負担をかけていることや、私がピアノを習いたいなどと言ったが為に、家の一角を常に占領し続けることになった、黒いピアノの存在が私には重くのしかかっていた。
 ピアノレッスンをやめてから、時には母や私がちょろっと触ることはあっても、一曲弾き終わることがされないまま投げ出されるピアノは、その後二十年近くも家の隅に留まり続けている。

 現在臨月を迎えた妻を迎え入れるために、休日ごとに私と妻は実家に来て、ごみごみとした私の部屋を片付けている。大量の書物、どうしてあるのかわからないがらくた達、以前片付けた際にまとめておいたにも関わらず、捨てることを忘れていたゴミの山など。どんどん袋詰めにされていくゴミ、縛られていく書物を眺めていると、それらの総量は部屋の体積を凌ぐとすら思えてくる。作業に慣れてきた妻の、マスクをしてゴム手袋を嵌め、淡々と本を縛っていく様は、引っ越し業者の作業員と比べても遜色ない。
 たくさんの本を捨てた。
 いつ貰ったか思い出せなかった、女性からもらった手紙も見られた。
 エロい物は「もっとないの」と欲しがられた。

 両親との夕食後、私は何年か振りにピアノを弾いた。鍵盤がとても重くなっており、早く弾こうとしても弾けなくなっていた。右手の指だけで「エリーゼのために」や「トルコ行進曲」を弾く。引っぱり出されてきたピアノの本を見ながら「エーデルワイス」なら両手で弾けた。和音を一瞬で読めなくなっていた。シャープやフラットが多い曲は面倒で弾かなかった。
 母がよく弾いていた「思い出のアルバム」を弾く横で、妻はリズムを取りながらゆらゆらと揺れていた。ピアノを弾く私を初めて見る妻は、格好いいなと思ったそうだ。「指がでけえな」「エロいな」と思ったそうだ。
 そんな私達を両親は愉快そうに見ていた。主にゆらゆらと揺れる妻を。後で妻に聞いたが、お腹の中にいる娘も、ピアノの音色を喜ぶように動いていたそうだ。
 私はたくさんのことを投げ出してきた。たくさんの女を抱いてきた。たくさんの罪と借金を重ね、大勢の人間に迷惑をかけてきた。そんな人間でも、これまで重荷だったピアノを使って、これほど幸せな時間を作ることが出来た。大昔の数年間のピアノレッスンには意味があったのだと思う。
 ここまで書いたところで、お腹に手をあてた妻が私を招き寄せ、今娘が動いていることを教えてくれた。耳に当てると何度か「ドン」という動きが私にも伝わってきた。お腹越しに「いーつのことーだかー、思い出してごーらん」と、私独特のか細い歌声で歌うと、「胎教に悪い」といって妻に怒られた。

 まだまだ部屋には本がある。まだ見つけられていないエロ関係の物もある。ちなみに今日は大人のおもちゃを見つけられたが、使いたそうにしていたので、私が奪い取って捨てた。私はまだ自分の肛門を大事にしたい。

 またピアノを弾こうか、と思い始めている。数年後ではなく、数日後、また実家に二人で整理に来た時に。
 ちなみにこの文章は全て妻に読まれながら書いている。妻は優しくてよく笑って私を大切にしてくれる、お尻が大きくて昔の西洋絵画に出てくる、お団子頭の貴婦人像に似て見えることがある。
 愛してる。
 妻へ。
 娘へ。

(了)

       

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