Neetel Inside 文芸新都
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千文字前後掌編小説集
変質

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変質

 
 二歳七カ月になった娘は昨日も近所の公園で四歳の男の子を泣かしていた。
 長い間文章を書いていないと何を書いていいかわからなくなる。自分がどのような文体を用いていたか、一人称は何だったか。どのようなテーマを扱って、誰に読ませようとしていたか。そのどれもまともに考えていなかった気はする。
「サバイバルレース途中経過」という、崩壊間近の職場について書き綴っていた連作についても、辞めていく人達が多すぎて、どれから手をつけたらいいかわからなくなっている。一日三本のレッドブル、平均睡眠時間三時間という生活の中で、読んでいるものといえば「週刊少年ジャンプ」だけ。長い間カバンの中に入りっぱなしだった大江健三郎の単行本は15ページから先へ読み進めることが出来ずに、本棚に移動させた。

 文学少年で文学青年で無職でプータローでギャンブル狂いで女好きだった私はもういない。
 最近話題の本も、世界情勢も、日本の政治もろくに知らない私のスマホにも、台風直撃による避難勧告メールは届く。同じ市内だが幸いうちの家がある地域ではない。
 気が付けば朝が来て。
 気が付けば夜が来て。
 ごー、ごー、と娘が真似をする、私のかいているいびきの音色を私は知らない。

「本当にやばい状況の時はな、ハイロウズの『即死』が頭に流れてくるんだよ。

 入院したくない
 ベッドで死にたくない
 涙はいらない
 即死で頼むぜ
 痛いのはごめんだ
 苦しむのはやだ
 一瞬でいくぜ
 即死で頼むぜ
 即死即死即死即死即死即死で頼むぜ
 即死即死即死即死即死即死でたのむぜ

 てな」
「なんで顔合わせていきなりハイロウズの話なんですか。仕事の話をしましょうよ」
「ちょっと眠い時はスピッツの『チェリー』な。少しだけ眠い~」
「いやだから歌ってる場合じゃないでしょ」
「お前の話は聞いてない。聞く気もない」
「聞いてくださいよ! てか仕事しましょうよ」

 私の馬鹿話に無理やり付き合わされたあいつも今はいない。どこかまともなところに就職して、休日にはアイドルのコンサートに行ってウチワを振ってる。

 雨音が変わらない。サイレンが鳴り止まない。宅配物を届けるバイクの音が近くで響く。少しうなされている娘を覗くと、しかめっつらで眠っている。きっと私のいびきが響いてこなくて寂しいのに違いない。

 台風直撃だけれど、結婚記念日だ。妻を抱きしめると噛みつかれた。あと殴られた。蹴られた。いつものことだった。
 長い時間を取って、長い小説を書かなければ。人生経験をいくらか積み上げた今なら、かつての「長い物が書けない」という悩みからも解放されているだろう。「変質」というタイトルで、現実と虚構の間を行き来しているうちに、本当に現実がどこか変質していくような、文章もそれが事実かフィクションかわからなくなっていくような。書いている本人も自分が生きているか死んでいるかわからなくなるような。何にもなれなかった、完成されなかった、かつての膨大な物語の切れ端が全て収束されていくような。そんなものを書きたいと思っている。

 娘が起きてきた。
 これからキーボードをぐちゃぐちゃにされる。
 そうなる前にとりあえずこの話をきれいに終わらせないと。あ、

(以下代筆)

 泥辺の娘のココでございます。ただいま父をベランダに放り出しました。母と協力して突き飛ばしました。ご心配には及びません。きちんと服は脱がせてあります。びしょ濡れになった服が体に貼り付いて気持ち悪い思いをすることはありません。父はかねてから「小説を書きたい」「時間さえあれば書けるはず」「今ならいいものを」などとほざいておりますが、言い訳でございます。時間など作ればいいのです。今以上に睡眠時間を削り、仕事など途中で放り出し、通勤中にスマホなどいじらず、あらゆる隙間の時間を書くことに費やせばいいのです。その為に命が縮もうが構わないじゃないですか。母はよく言っております。「早く死ねばいいのに」と。愛情の裏返しから来る言葉ですけれども、「死ぬ気でやれば何でも出来るのに」と解釈することも出来ます。窓に父が羽虫のように貼り付いて何か言っております。サイレンが近付いてきていますがあれは救急車のものではありません。うちにはもう馴染みになっているパトカーです。それよりもお腹が空きました。窓越しに見る父はとても楽しそうです。それではまた。

(了)

       

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