8 weeks beater




 一月四日、少し遅い初詣に行くと夫婦揃って大吉を引いた。
 四歳になる娘のココは神社に着いた途端に「にゃんこさんはー?」と言って猫を探し始めた。夏に遊びに行った、長くきつい階段を登った先にある天満宮神社に行った時のことを思い出しているのだ。人懐っこい猫が出迎えてくれた。娘が撫でても嫌がらずにじっとしていた。帰る時も最後まで見送ってくれていた。
 今回の初詣は歩いて五分の所にある小さな神社だ。出店もなく、参拝客もまばらではあったが、私達の前で柏手を打っていた中学生くらいの女の子の熱心さが印象強かった。願うことも多いのだろう。願い続けても足りないのだろう。
 年が明ける前の十二月二十七日、「元気に育ってますね」と産婦人科の先生は言った。七週目だった。
 一月二日、年中無休で動き続ける私の職場に一本の電話が入った。妻からのものだった。出血があったこと。病院で診てもらったところ、お腹の子の心拍数が確認出来ないことを伝えられた。数日前までモニタから溢れ出そうな存在だった我が子が「胎内死亡」という状態であると知らされた。

 ココは神社の裏にまで猫を探しに行ったが見つからないので諦めたらしい。手頃な石を二つ拾い、「ひのようじん、カチカチ」とやり始めた。「マッチいっぽぅおん、くわじのもとー」と適当にやり出した。神社を出る時には二つの石を石灯籠の根元に置いて、パンパンと手を合わせていた。誰に。どこに。
 流産は二度目だった。前回は五週目あたりで係留流産、心拍数が確認出来るところまで育たなかった。妊娠十二週目までの流産の原因はほぼ胎児側にあり、元々育つ子ではなかったということだ。一般的に言われている、冷えだとか重いものを持たないようにだとかはあまり関係がない。十代二十代でも流産率は十パーセントはあり、母体年齢が上がるにつれその確率は二十~三十パーセントにもなる。表立って言う者は少ない。反対に無事出産出来た例が大きく騒がれ、祝われるものだから、隠れてしまいがちにはなるが、生まれることのなかった子供を持つ親は実はかなりの数いるのだ。
 とはいってもそれは理屈だ。数字だ。自分達の身の上に起こってほしくはなかったものだ。育ち続けてほしかった子供だ。

 ココがいつの間にかピコ太郎の物真似をマスターしていた。それほど見せた覚えはない。CMで二、三度程度のはずだ。
「ディスイズアペン、ディスアズアポ、ウゥ! アポーペー」
 大体が適当なのに、手と手を組み合わせる寸前の動きと「ウゥ!」のタイミングだけは完璧なのだ。最初何を言っているのかわからず、先に気付いた妻が爆笑していた。
 八週目で鼓動の消えた子供の事で私が涙を見せていると、ココは妻に「パパいじめないで」と言っていた。普段の私達がどう見えているのだろう。まだ何もわかってないなんてことはなく、もう既に何もかもわかっているのかもしれない。
 これまでなら休みの日には娘の昼寝に付き合ってぐっすり寝ていたが、眠れなくなった。首を寝違えて夜でも二時間ごとに目が覚める。動いてないと気が休まらず、意識に空白を作るのが嫌で、似合いもしない資格の勉強など始めた。これまで休んでいた小説の構想が次々と浮かび、次々と消えていった。
 最近CMでCHARAの「やさしい気持ち」が流れている。「てーぅをー、つーなーごーおー」とココも歌っている。私も好きな曲だから一緒に口ずさもうとする。「パパ、静かに!」とやっぱり止められる。しおらしく「パパいじめないで」と言ったのと同じ口で、私をとても楽しそうにいじめてくる。「ドMの変態だってわかってるんじゃない?」と妻は言う。そんなことはない。

吹きあるゝ嵐の風の末遂に 道埋るまで雪はふりつむ
ふきあるる あらしのかぜの すえついに みちうもるまでゆきはふりつむ

 おみくじに書かれていた歌だ。道は白く染まった。ではそこに黒い文字を記していこう。(了)