牧野信一(ものかくいきもの)

 信一は書いていた。ものを書いていた。小説と呼ばれるものを書いていた。一人で書いていた。書いたものの続きを書いた。続きを書けなくなると違うものを書いた。
 書いたものを次の日に読むと、昨日書いていたものとは違って見えた。こんなものだったかな、もっといいと思ったのにな。あるいは、もっとひどいと思っていたのにな。昨日の続きを書くこともあれば、また違うものを書くこともあった。飯を食べるのを忘れることもあった。朝に書き始めて気が付けば夕方になっていることもあった。または全然書き進められない時もあった。一行書いては一行消した。二行進んでは三行戻った。読点を打って消して、句点を打って消した。書く前に消した。頭の中で消した。考えなくなった。夢で書いた。夢で消した。

 書かなくなると何もしたくなくなるので結局飯も食べなかった。仕方なく飯を食べるために書いた。食べている間も書いた。食べるためには金が必要だった。信一は金を稼ぐために働いた。働いている間も頭の中でものを書いた。書き留めるものがなくて、後で思い出せなくて、ただただ消えていくだけの物語を、木材を担ぎながら、屋台でただ熱いだけで旨くないものを売りながら、太った六十代の女に体を売りながら、書いた。頭の中で書いた。紙に書く頃には半分も思い出せなかった。

「父を売る子」という話を書いた。
「ゼーロン」という話を書いた。
「鬼涙村」という話を書いた。
 谷崎潤一郎に誉められた。坂口安吾と遊んだ。
「俺は長くは生きないだろうな」と信一は思っていた。実際に四十になる前に首を吊った。死んでしまってはものを書けないではないか、とすぐに後悔した。と思ったが意外と書けた。生きている時よりも書けた。飯を食べる必要も金を稼ぐ理由もなかったので書きたい放題だった。「ゼーロン」の続編を書いた。父を売ることのない話を書いた。「父を売らなかった話」という題で書いた。まだ生きていた谷崎潤一郎のところに持っていくと、少し驚かれたが読んでくれた。「生きていた頃の牧野君の小説の方が好きだったな」と言われて打ちのめされたが、それならばもっといいものを書いてやろうと発奮した。妻は信一の小説を読んではくれなかった。縊死した信一を許してはいなかった。死んでからも書くくらいなら生きていても同じではなかったか! あなたが後世再評価されたり、深交のある人たちから追悼の文章を送られたりしたところで、今の今、私たちはあなたがいないことが、死んでしまったことが、悲しくて苦しくて許せないのだ! と妻は怒りと悲しみを隠さなかった。そのことを信一は書いた。もう妻には見せられないものを書いた。谷崎に紹介された津島修治という若者に見せたら喜んで読んでくれた。この若者も長くは生きないな、と信一は思った。津島修治はやがて太宰治と名乗り、信一の予感通り、若くして死んだ。谷崎潤一郎は随分と長く生きた。

 時が経ち、親しくしていた人たちがいなくなってしまったので、信一は書いたものを見せられなくなってしまった。しかし生前に書いたものが本やネットで読めるようになっていた。信一の没後50年はとっくに過ぎていた。そういったものを見ると、ああ、やっぱり俺は死んでしまっているのだ、と信一は得心した。得心したところで書くことをやめるわけではなかった。むしろますます書いた。書くことはなくならなかった。そのようなものかきの魂はそこら中に転がっていた。

(了)