グラフィティ・オン・ザ・トレイン(人の歌声 4)

 停電したからか隣の部屋が騒がしい。台風でも地震でもないのに電気が止まる。少し前なら考えられなかったことが今では珍しいものではない。溜まったゴミを捨てに外に出ると隣の部屋の主人と鉢合わせた。
「おはようございます。そちらは電気大丈夫ですか?」
「止まってますね」
「今管理会社に連絡をしてますが繋がらなくて」
 私はその番号を知らない。自分は女の去った部屋に居座っているだけの不法入居者だ。こういったトラブルの際には騒ぐことも出来ないのだ。緊急車輌の鳴らすサイレンの音があちこちで鳴っている。電力会社や管理会社が訪ねて来たら、私はどう応対すればいいのだろう。隣家の主人は子供たちをなだめるためか、ピーター・ポール&マリーの「パフ・ザ・マジック・ドラゴン」を歌っていた。歌詞が適当過ぎるためか、奥さんと娘さんに同時に駄目出しされていた。
 
 電力会社なりアパートの管理会社なりに訪ねて来られても困るので外に出た。最寄りの駅前に着くと電車が遅れているというアナウンスが流れていた。停電で電車まで止まっている、というわけではなく、お客様との接触がどうのとアナウンスされていた。きっと誰かがどこかで轢かれたのだ。ベンチは埋まっていたのでホームに直に座った。

 同じ曲を繰り返し聴いた。ステレオフォニックスの「グラフィティ・オン・ザ・トレイン」を聴き続けた。真夜中、恋人の枕元から抜け出した男は、電車のドアに落書きをしに行く。辺りは静かだ。翌日、恋人がいつも乗り込む車輌のドアにプロポーズの言葉を書き付けるために線路に忍び込む。しかし落書きを終えた後、男は電車に轢かれて死んでしまう。翌日、男の恋人は駅のホームで列車事故のアナウンスを聞く。彼女の元に「結婚しよう」と落書きされた列車がやってくる…。
 そんなピンポイントでメッセージが書けるものなのか、と思いつつも繰り返し聴く。30分遅れでやって来た電車に落書きはない。代わりに美しく紅葉した写真がペイントされた、観光客を喜ばせる車輌が連なって入ってくる。「結婚しよう」と落書きしたところで目立てず、気付かれないような電車が。赤く染まった銀杏の葉に血のりが混ざっていても気付かないような車輌が7輌編成で入ってくる。私はそれには乗り込まず、「グラフィティ・オン・ザトレイン」を聴き続ける。結局どの電車にも乗らずに駅を出た。行くあてなどなかった。女の部屋に戻ると既に電気は復旧しており、停電時には聞こえなかった、ブウンという冷蔵庫のうなり声が聞こえた。

(了)