Neetel Inside 文芸新都
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千文字前後掌編小説集
夢とバッハとカフェインと

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 夢の中でも強い風が吹いていて、絡み付いて来て、マフラーを徐々にほどいていく。握り締めても指をすり抜ける。巻き直そうとしても、まるで首吊りを止める偽善者のようにして、風はマフラーを少しずつ首から外していく。
 
 眠ったのは真夜中。目が覚めたのも真夜中。天気は変わらず薄曇り。雨の跡はなし。寝る前に集めたゴミを出せばいつもの白黒の猫の姿。陽の光の下ではお前は金色なのかい、と話しかけはしない。猫語は知らない。人語も少し忘れてしまった。隣の隣の部屋から薄明かりとバッハの「平均率クラヴーィア」が漏れている。眠れずにいるのか、眠るためなのか、もう聴いている者はいないのか。動いている者はいないのか。平均率クラーヴィアが遠ざかる。この世の平均が遠ざかる。

 砂糖いっぱいのコーヒーと、レッドブルと、安物のティーバッグの紅茶を飲んでカフェインにまみれる。目が覚めているのに辺りはまだ夢の中みたいに現実感がない。長く続かなくなってきたカフェインの効果が切れると唐突な睡魔に襲われて本当の夢の中に入る。現実よりずっと現実的な夢の中で僕はまともに働いて家族もいて生活に四苦八苦して自由な時間なんてほとんどなくて。でもそれを不満とは思ってはいない。いつまでも。いつまでも。
 というわけにはいかず、暴力的になってきた強い風が窓枠をガタガタと鳴らす音で目が覚める。窓の外には人影が見えた気もする。同じアパートの人間ではなく、あれは猫だ、と思う。人のような大きさの、縦の瞳の。可愛くはない。鼠をいたぶるように人間の子供を狙っている。カラスを一薙ぎで殺す。

 喉が痛む。がらがら声しか口から出てこない。今なら歌える気がして、チバユウスケの声で歌える気がして、「夢とバッハとカフェインと」を歌う。The Birthdayにはアベフトシはいないから、カッティングギターの音色に心痛むことはない。歌っても真夜中。歌えなくても真夜中。ここがどんな場所だろうと僕は歌い続ける、誰かの歌を。誰にも届かなくても猫に狙われても生きている者がいなくても。

 ギターはどこだ。
 夢の中に置いてきた。
 陽が昇る。陽が昇る。
 窓を叩くのはもう強い風ではなくて、肥大化した平均率クラーヴィアの音量に変わっている。

(了)

       

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