Neetel Inside 文芸新都
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千文字前後掌編小説集
震源地より

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 駅ホームへのエスカレーターを昇っていると激しい揺れに襲われた。電車が来たくらいでエスカレーターとはこんなにも揺れるものだったか、と不審に思うと同時に、ホームで驚く人々と、駅の隣で工事中のビルから何かが落下するのが視界に入った。
 緊急地震速報のメール着信音はその後に流れた。大地震だ! ダイジシンダ! という言葉が脳裏に書き込まれるよりも早く、足は下りのエスカレーターに向かっていた。数十秒前に通ったばかりの改札を抜け、私は我が家へと全速力で走り出した。


『震源地より』 ※今回の話はギャグやファンタジーなしです。

 家族構成 私、妻、娘:ココ(五歳七ヵ月)、息子:健三郎(七ヵ月)


1.朝

 娘のココは朝七時半に目を覚ます。近頃の私は起きた娘の顔を見て少ししてから家を出るのが習慣になっていた。始発から終電まで働いていたのは遠い昔の話になっていた。下の子が産まれてから、我慢を強いられることも多くなり、ストレスのせいか極度の食欲不振になり、一時ココは著しく痩せてしまっていた。そんな娘の精神安定剤に少しでもなれればと、出勤時間を以前よりもゆっくりにした。そのため、いつもなら7時50分の電車に乗っていた。しかしこの日のココはすんなり起きず、前日叱ったことへの文句をぶつぶつこぼしたりして、私は普段よりも少し遅くに家を出た。8時3分の電車に乗る予定だった。地震は7時58分に起こった。いつも通りなら既に車内に居て、そのまま立ち往生してしまっていただろう。
 家に戻ると存外子供たちは泣き叫んでいたりしなかった。戸棚の上に置いてあったホットプレートが床に落ち、冷蔵庫の位置が数センチずれ、その上に置いてあった空の紙パックが散乱し、コップからこぼれた飲み物などが床を汚していた。
「お父さん、めっちゃ揺れたんやでー、ぐらぐらぐらーって!」
「地震、だよ。ココは以前一度そこそこ揺れたの経験してたかな。誰も怪我はない?」
「大丈夫。ケンちゃんびっくりして泣いたけどもう大丈夫みたい」と妻。
 とにかく会社に連絡しようとしたが電話は繋がらない。会社関係で唯一電話番号の知っている工場長にショートメールで状況を伝える。「出勤出来るかどうかはわかりません」と末尾に記したが、余震のことを考えると家族からは離れられないと思った。
 テレビをつけるとまさに自分の住んでいる地域が最大震度6弱を記録していた。



2.ライフライン

 我が家では電気・水道・ガス・全て正常だった。被害といえば、食器棚の中でいくつかの食器が割れたくらいだ。ココが一人ファッション・ショーを演じているスタンド・ミラーが倒れてしまったが、幸い割れず、他の物も壊れなかった。本棚を支えていたつっかえ棒は衝撃で斜めになってしまっていたがしっかり役割を果たしていた。電話・メール・LINEなどで私と妻はそれぞれの両親などに安否確認の連絡を行う。隣の市にある私の実家ではガスとエレベーターが止まってしまっているとのことだった。怪我人はいない。娘の通う幼稚園は休園になった。
 知らない電話番号から着信があり、職場の同僚からのものだった。今日休みの予定だった彼だが、車で会社へ向かい、電車が止まって会社に来れなくなっている社員たちを拾っていけないかと工場長から頼まれたのだという。幼い子供二人を妻が一人で抱え、激しい余震が起きた時に無事にいられるだろうか、と考えると、とても私には会社へ向かうという選択肢は選べなかった。彼に代わりに出勤してもらうことを詫びながら頼み、私は出勤辞退を申し出た。

 食料備蓄状況を確認する。幸いお米は買ったばかりだったが、おかず系に不安がある。もし今後ガスが止まってしまった場合の為、カップ麺関係も買っておいた方が良さそうだった。手持ちのお金が心もとなくなってきたタイミングであったので、銀行でお金をおろさないといけないな、とも思っていた。ココも「幼稚園に行きたい」と言い出し、買い出しに出かけることにした。

 外に出て見上げた空には五機のヘリコプター。隣人の小学生が「爆弾落とされるー」と面白がっていた。休校になった各学校から子供たちが帰ってきていた。出勤出来なくなっている大人たちがスマホとにらめっこし続けていた。

 ミルクを飲んでうとうとしていた生後七ヵ月の息子、健三郎を私が抱え、ココを乗せた自転車を妻が押して買い出しに出た。「メリンダ先生のおうち(娘が通っている英会話教室)大丈夫かな」「幼稚園大丈夫かな」娘は自分の身よりも人の心配ばかりしていた。
 道中、壁の下部のレンガが壊れているところ、店先の天井が一部破れて照明がぶら下がっているところ、側溝のコンクリート製の蓋がバキバキに砕けているところ、水道管が一部壊れたのか、マンション上部から細い滝のように流れ落ちる水などを見た。強い風が吹き始めていた。それらは頭上を飛び回るヘリコプターが巻き起こしているものと錯覚させられた。
 幼稚園を覗くと、中から担任の先生が駆けてきて、園児たちが植えてかなり育っていた鉢植えの野菜たちが軒並み倒れてしまったことや、片付けには時間がかかりそうなこと、まだ出勤出来ていない先生たちがいることなどを教えてくれた。「先生の顔を見た途端、思わず友達みたいに激しく手を振っちゃった」と後で妻は言った。知り合いの無事な姿というのはそれだけで安心出来るものらしかった。後で家に余裕が出来たら片付けの手伝いに来ようかと一瞬思ったが、その間に家族にもしものことがあると、と思うと、会社同様やはりそちらを選ぶことは出来なかった。

 あるスーパーは台風の為休み、別の店舗は開店を遅らせ、私たちの帰り際には開いていた。ドラッグストアは休み。ディスカウントストア「ジャパン」は開いており、飲料水を箱買いして出てくる人の姿が多く見られた。近隣の一部で断水しているのだ。棚から落ちた商品が散乱していても店は営業していた。割れた酒瓶からこぼれた酒が臭っていた。私は買い出しを妻に任せ、子供たちと共に外で待っていた。学校帰りに飲料水を二箱買ったはいいが、自転車に乗せて持ち帰れずに困っていた女子高生が家族に電話をかけていた。すぐそばにある駅の前では電車に乗れない人たちが困り果てていた。妻が出てくるのが遅いので様子を見に行くと、他の客と一緒に、散乱している商品の片付けを手伝っていた。それを見たココも、床に落ちていたバスマジックリンを一生懸命棚に戻してくれた。私もお酒コーナーから遠くにあるおむつコーナーを片づけた。
 持てる荷物がそれほど多くなかったし、うちは水も出ているのだからと、買い出しの量は少しにした。だがやはり帰る途中で不安になってきて、一度荷物を置いてからまた買い出しに行こう、と決めた。



3.人々

 私は中学二年の時に阪神淡路大震災を経験している。「余震」という知識すら持たなかったので、最初の揺れで落ちてきた、洋服ダンスの上の木彫りの置物を無造作に元の位置に戻した。二度目の大きな揺れの際に再びそれは落下した。父の枕の上に。父が眠っていたままなら、頭に直撃していたであろう場所に。自分の勉強机の下では古い教科書に紛れ込ませたエロ本たちが散乱していた。
 その後回った店舗ではやはり店内片付けのため休業しているところが多かった。国道沿いの歩道は、徒歩で勤務先あるいは自宅へ向かう人々、買い出し先を探す人、急遽休みになって暇を持て余す学生たちで、普段の十倍以上の人出がいた。公園の水飲み場から飲料水を確保してバケツを運ぶおばあさんがいた。人々の印象としては、「困る人」はたくさんいても「怒る人」は見当たらなかった。食料を求めての暴徒化だとか、事態がそこまでには至っていないからかもしれない。
 立ち寄ったコンビニでは、従業員らしからぬ、ボランティアらしい人を何人か見た。ただし店員がボランティアの人たちに的確な指示を出せる状況ではないようだった。汚れた床を延々と同じモップで拭き続けているため、床のべたつきは変わらない、という風景にも出会った。その機会をうまく生かし切れるかはなかなか難しいが、防災意識、助け合いの意識は震災以後広く浸透していると感じた。
 コンビニではパン類とカップ麺類がほぼ売り切れていた。「チャーハン出来ました!」と店員さんが叫び、お弁当コーナーにチャーハンが三パック並べられる、すぐにそれはなくなる。という光景が、私たちが店内にいる間三度繰り返された。お客さんたちの会話ではやはり水道・ガスの止まっている話が多かった。我が家への帰途の際、朝方よりも各救急車両のサイレンの音が目立つようになっていた。ヘリコプターたちは相変わらず頭上を飛び交っていたが、子供たちはもはや関心を示さなくなっていた。




4.これから

 幸い我が家では大した被害は出なかった。食糧もそこそこある。たとえ明日も電車が止まっていても、最悪自転車で一時間半ほど頑張れば会社にはたどり着ける。だが余震は? 熊本の地震では最初の地震よりも大きな余震が来たとか。明日からは雨だとか。かといっていつまでも会社を休めるわけではない。おそらく今日の職場は史上最悪の一日となっていただろう。その分を明日取り返さないと、史上最悪が連日更新されていくことになるかもしれない。実家は今のところ買い物の手伝いなどは大丈夫とは言っているが、今後どうなるかは分からない。私たちの住む地域でも、復旧作業の為一時断水になる可能性もあるとのこと。今回無事だった建物も激しい余震で崩れるかもしれない。ではどうするべきなのか。私の選択としては、明日は会社に出勤し、幼稚園が休園となったので妻と子供たちには家で大人しくしていてもらうつもりでいる。明後日のことは正直分からない。決められないでいる。


 最後に、今回の地震で亡くなった方のご冥福をお祈り申し上げます。

「メリンダ先生が・・・、冷蔵庫が・・・、ぐらぐらぐらーって・・・」眠気が限界に来ているココが地震にまつわることを脈絡なく呟いている。上から落ちてくる可能性がありそうな物は全部片付けたよ。安心しておやすみ、ココ。健三郎は先にぐっすり眠っているよ。


(了)



※今回は千文字前後どころの文字数ではなかったので、「泥辺五郎短編集」の方にアップしようと思ったのだけれど、あまりに久しぶりだったのでパスワードを忘れてしまっていたのでこっちにアップしました。
アップロードした途端震度4の余震が来ましたが無事です。









       

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