Neetel Inside 文芸新都
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千文字前後掌編小説集
雀師「捨て牌の並べ方が丁寧な池上」氏へのインタビュー

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 雀師、という存在をご存知だろうか。主に麻雀で生計を立てているギャンブラー達を指す。今では絶滅危惧種であるし、阿佐田哲也の麻雀小説が隆盛を極めた昔のような知名度もないかもしれない。それでも未だに雀師達は細々と世界の片隅で生き続けている。半ば死にながら。

 今回は近所に住んでいる雀師「捨て牌の並べ方が丁寧な池上」氏にたまたま話を伺う機会があったので、ここに記す。「捨て牌の並べ方が丁寧な池上」というのはもちろん通り名であり、本名は池上ですらない。「坊や哲」「食いタンのみのタモツ」といった、雀師の見た目や打ち方から付けられたものだ。その名の通り捨て牌の並べ方を神経質に馬鹿丁寧に並べる事を何よりも優先し、どれだけ大物手を振り込んでも、並べ方に気を使い過ぎてフリテンに気付かずチョンボをしても、動揺を見せずに丁寧に捨て牌を並べ続け、一時的に圧倒的最下位に落ちていようが、終わってみれば案外収支トントンのところまで持って行っているという雀力の持ち主である。「その説明だと俺絶対に麻雀で食えてないよね」そうですね。日々アルバイトですよね。「実家の手伝い始めたよ」何を丁寧に並べる家業ですか。「田んぼに稲。その他にもいろいろやってんだよ」えっと麻雀は「だから長年続けてきた、捨て牌を丁寧に並べる麻雀とおさらばした話をしようと」

「ではそろそろ締めの言葉を」
「まだ始まってなかったよね」
「捨て牌を並べることだけが取り柄だったあなたが、捨て牌を丁寧に並べなくなったきっかけについてですが」
「あの日、俺達は徹マンをしてたんだ。面子は『小三元をあがったことがある吉元さん』『点数計算の出来る田中』、そして『人数合わせの伊藤』だった。」
「昔の麻雀全国大会常連ばかりじゃないですか」
 彼らの活躍(途中で投げ出される活躍)の詳細は「食いタンのみのタモツ」で検索してみるといいよ!
「明け方、もうみんなグダグダの雰囲気になっている頃だった。そんな状況でも常に冷静に捨て牌を丁寧に並べられるのが俺の強みでね。吉元が何百回目かの、小三元をあがったことがある自慢話をし、田中が『何度計算しても僕が千点差でドベだ』と悩み、伊藤が小便を我慢してプルプル震えていた時、あの地震が起きたんだ」
「ああ、震度6強の、あの日でしたか」
「俺が美しく並べた捨て牌が、一瞬で崩れたよ、伊藤が小便を漏らしたよ。その瞬間、俺の中で何かが、パーンって弾けたんだ」
「パーン、ですか」
「パーン、だ」
「どうしてパーン、なんですか」
「だって、パーンって、なったから」
「ポーン、じゃなくて?」
「パーン、だって」
「ローン、でもなく?」
「まだテンパイしてなかったし」
「パパー、でもなく?」
「パパじゃないし」
「それで伊藤さんの話に戻りますが」
「俺の話聞いてんだろ? 伊藤のやつはいつものように泣きながら小便の始末してたよ。いろんな物が棚から落ちてきたり、吉元の家で卓を囲んでたんだけど、吉元の親父さんの部屋の本棚が倒れたから助けに行ったり、割れた食器の片付けをしたりで、伊藤がパンツを脱いで下半身が露になっているのを、床を拭くのを手伝いながら覗き見している暇なんてなかったよ」
「はい」
「ほんとに」
「はい」
「それで地震後の片付けが一段落した後、牌がバラバラになった麻雀卓を見て、俺はようやく、こんなことしている場合じゃないな、て思えたんだ」
「パーン、と」
「そうだよ!」

 地震をきっかけに麻雀から足を洗った池上氏は、家業の手伝いやら日雇いのバイトやら復興ボランティアなどしながら日々を過ごした。まともな職歴のない彼だったが、案外どこでもその丁寧な仕事ぶりを認められ、重宝されたそうだ。
「結局どんな経験でも何かに生きるんだな、って」
「捨て牌を丁寧に並べ続けた事に意味はあったと」
「俺、結婚するんだ」
「おめでとうございます。結婚して、仕事も順調で、子供も出来たりして、日々生活に追われていれば、麻雀している場合じゃないですもんね」
「博打の金じゃ家族を幸せに出来ないもんな」

 それから数日後、池上氏の話を聞いて昔が懐かしくなった私は、地域で唯一となった雀荘に顔を出してみた。店長に最近の様子を伺うくらいのつもりだった。するとそこに「捨て牌の並べ方が丁寧な池上」氏が居た。やはり丁寧に捨て牌は並べられていた。私と目が合うとばつが悪そうにして笑った。
「パーンってなっちゃったんだよ。明日入籍だ、もう本当に麻雀打つことはないだろうな、って思った途端、パーン、って」
「奥さん泣きますよ」
「そこにいるよ」
 池上氏の対面には、昔と変わらない恥ずかしそうな顔で常に小便と愛液でパンツを濡らしてるような顔の「人数合わせの伊藤」さんが座っていた。
「おめでとうございます」
「祝儀替わりに打ってけよ」
「やめときます。私が勝てば祝儀にならない」
 池上氏も伊藤さんも共に乏しい点棒であった。二人ともこの先苦労が続くことだろう。

 古びた雀荘を後にした私は、振り返らなかった。池上氏のように再び麻雀を打ちたくなって戻ってしまうのを恐れたからではない。振り返ればそこには雀荘の看板がかかった倒壊寸前の古いビルしかなくて、池上氏も伊藤さんも既に亡者で、麻雀の打ち過ぎか、あの地震かで既に死んでいたのではないか、という考えが頭をよぎったからだった。
「パーン、てな」
 池上氏の声が聞こえた気がした。
「お前もいずれ戻って来るよ」
 私は耳を塞いだ。強風が吹き、どこかの家の洗濯物が飛ばされていた。女性の下着が飛ばされていた。
「パンツだ」と私は思った。
「パンツだ!」と私は叫んだ。

(了)

       

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