Neetel Inside ニートノベル
表紙

搭載!無間地獄!
第五話 やだ、私の金ダライ金色じゃない……

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 それは突然起こった。
 この世の中で起こる大概の事象は予測外で、往々にして突然起こるものではあるけれど、これはあまりにも唐突だった。
 昼休みの教室で、弁当をかきこんでいた僕の頭に、衝撃が走った。
 ドワァン! 
 何かが激しく音をたてて、僕の頭にぶつかった。それはさらに床へ落ちて、
 ガラァン、ガラァン、ガラガラガラカタカタカタタタタタ……。
 などとさらに鬱陶しく音をならした。
 まずこの現象が起こった、その瞬間に僕が思った事は一つ。
 音の割に痛くない、であった。
 まあ、そんなことはどうでもいいんだ。
 一体なにが落ちてきたのだろうか、と見下ろすと、それは直径一メートルはあろうかという馬鹿でかい金ダライだった。
「なんぞ……」
 これは間違いなく、僕の脳天に直撃したはずであり、それすなわち真上から落ちてきたわけだ。真上という空間には1.5メートルほど上に天井があり、つまりその間から落ちてきたというわけである。それを実行するためには、誰かが椅子なり机なりにのっかって、せーの、と僕の頭へ向けて落とさなければならないはずなのだが、しかしぐるりと教室を見回しても、みな一様に僕の方を不思議そうに見ているだけで、高い所に立って、うへへ、と笑っているような奴は見当たらない。物凄く高度な仕掛けが天井にでも施されていたのだろうか、と立ち上がってよく天井を見てみるが、特に変わったところはない。
 僕は、これはあれですか、罪ってやつですか、という気持ちを込めてちらりと隣の天国の方へ顔を向けた。
 天国は、普段の仏頂面を微妙に暗くしたような、見たことのない妙な顔をして、金ダライを見つめていた。
 そこへ再び、ドワァン! という音が響いた。またも僕の頭に金ダライ直撃である。今度の金ダライは、さっきの金ダライが落ちたのとは反対側へ落下した。ちくしょう、あんまり痛くないから、「いたっ!」とか「うわ!」とか言いそびれて、物凄く損した気分だ。
「金鍔、それ、どうなってんの?」
 直島が怪訝な顔をして言った。
「さあ、なんだろこれ」と、僕は床に落ちている金ダライを持ち上げた。「これ、誰のー?」
 ノーリアクション。渾身のボケに誰も乗っかってきてくれなくて、僕は心の中で泣いた。

―――――――――――――
 
「罪の匂いはしない」
 と仰った天国さんの目の前で、僕の脳天に金ダライが落ちてきた。ちなみに昼休みから数えて、これで十度目である。ガタガタガタアン。
「え、いや、そう言われましても、これ完全に超常現象だよね」
 僕は金ダライをそのまま放置しておくわけにはいかないので、地獄の中へ投棄した。ちなみにさっき教室で降って来たやつも、なんとかかんとか言って、誰にも見られないように、同じように地獄の中へポイしたのだ。
「罪の匂いはしないが、罪の仕業ではない、とは言っていない」
「ああ、そうなん」
「そう、おそらく罪の仕業だろう。ただ――」
 ドワァン!
「これは今までのものとは違って――」
 ドワァン!
「罪と非常に親和性の高い人間が――」
 ドワァン!
 三つの金ダライが相互にぶつかりながら、どっしんびっしゃんと廊下に大音響をとどろかせる。さすがにこうも立て続けにタライが頭に降り注ぐと背が縮みそうである。
 ……。
 おもむろに天国がギリっと歯ぎしりをした。
「人が真面目に説明しているというのに、なんだその態度は」
「ええええ! 僕のせいじゃないでしょ! キレるとこ違うよ! 大体今の三つとも、降ってきたのは僕の頭の上だからね!」
 ドワァン!
 ……。
「ちっ」天国はぐるりと首を動かした。「試しにあれの下にもぐってみろ」しゃくって見せたのは、廊下の隅に放置された、普通に普段つかってる机だった。

「ははあ、つまり罪とすごく相性が良い、その罪の存在を望んでいる人が感染すると、罪のコントロールは感染した人のものになるってわけだね」
 と喋っている僕は机の下に潜り込んで、そこから天国を見上げている。これなら頭上にタライの入り込む空間が無いからタライは落ちてこないのではないかと、天国は推測したわけだ。しかしこの状況、はたから見たら防災訓練プレイである。
「普通の感染であれば、貴様がよく見る紫の光で、罪が肉体を支配しているから見つけるのは簡単だが、今度はその目印がないか。見つけるのがやや手間だな」
「やや手間って、早く見つけないと、さすがに僕の頭がどうにかなっちゃうよ!」
 僕は机から頭を出しそうになって、慌ててひっこめた。そして実際はそんな痛くないのだから、ちょっと大げさにアピールしすぎたなと思って反省した。
「まあ、すでに気付いているだろうが、そのタライが降ってくる症状は貴様にしか出ていない。つまり、貴様に対してタライを落としてやりたいと思うような、何らかの怒りを感じているようなやつを探せば良いのだ。多少は検討がつくんじゃないのか」
「言われてみりゃあ、僕だけか。なるへそ。でもさ、その相手って、タライよ落ちろー! タライよ落ちろ―! ってずっと念じてるってこと?」
「いや、ただ無意識な感情が、そうさせているだけだろう」
「ああ、意識せずにストレス発散してんだ、いい迷惑だなあ……」
 しかし、僕にタライを落としたい、と思っているような人物なんて、いるのだろうか。僕は机の底に向かって頭を擦り付けながら悩んだ。
 突然、目の前に見えていた天国が消失した。床にわずかな黒ずみを残して。
「あれ」
 僕は恐る恐る机の下から頭を出して――ドワァン――天国の姿を探した。
 天国は廊下のずっと先、教室六つ分先の、廊下の角に立っていた。ほんの一瞬だったはずだから、恐るべき速度である。
「直島透が、あそこから我々の様子をうかがっていたぞ」
 天国が喋ったときには天国の姿は僕の真正面に戻ってきていた。あまりの早業で、声が聞こえたのと姿が現れたのが逆だったんじゃないかと思わせるほどだった。
「はあー、直島ですか……」
 僕は気持ちが重くなるのを感じながら、再び机の下に頭を引っ込めた。
 僕の頭の中で、いくつかの要素がパズルのピースのようにくっついていった。天国とつきあっていないと豪語しておきながら、まるでつきあっているかのごとく年がら年中一緒に居ることに対して、直島が何らかの何らかを何らかして、でんぐりがえって素晴らしいタイミングで罪に感染した、という、そういう展開に違いあるまい。
「この、なんだっけ、相性の良い罪もさ、感染した人をとっ捕まえて、罪を地獄へ入れる事を許可する、って念じれば良いんだよね?」
「うむ、そうだ」
「それじゃあ、ぱっぱっとケリをつけますかね」
 僕はまたさっきみたいに頭を出した瞬間にタライが降ってくるのでは、と頭を手でかばいながら机の下から這い出た。しかしタライの方もさすがにそうそう分かりやすいタイミングで何度も落ちてはこないらしく、ドワァン!

―――――――――――――

 下駄箱に直島の靴が残っていることをチェックした僕たちは、やつが出てくるのを物陰で待った。下駄箱にほいほいやってきた直島の後ろから忍び寄り、パッと奴の体にさわり、ピッと罪を地獄に収納する、これが今回の非常に簡単かつスマートな作戦である。さすがに今度は前もって天国に、こうするから、と説明済みだ。この作戦のもっとも憂慮すべきポイントは、作戦行動中のタライ落下である。万が一にでも降ってきてしまったら、せっかく隠れていたり見張ったりしていた事がすべておじゃんであり、普通に話しかければよかったことになってしまう。そんな展開では読者の皆様に、ほらみろ、見え見えなんだよ、馬鹿にしやがって、とおしかりを受けてしまうであろう。だからこそ、こうして前もってタライどうのこうの、と、そんな安易な展開は許さないぞと釘をさしておくことで、あらかじめフラグをへし折ろうと、僕は画策したわけなのだ!
 と、いうモノローグがフラグであることを、数分後に僕は知るのだった。
 数分もしないうちに、直島は現れた。すかさず後ろに駆け寄る。タライよ降ってくるなよ、と僕は願った。
 ドワァン!
「よっしゃあ!」
 やけくそでガッツポーズを取りながら「なんだよ金鍔、なんの用だよ」と振り返った直島の肩を触った。そもそも罪を地獄送りにすれば記憶が消えるんだから隠れる必要ゼロだったなはっはっは。
『この罪が地獄へ入ることを許可する』僕は念じた。
「なんだってんだよ、金鍔」
 紫色のオーラがないから、罪がどのくらい入ったか、分かりづらいなこれ……。そして直島の向こう側で、天国が親指で自分の首を掻っ切る、通称「ぶっ殺せ」の仕草をしているのが見えた。なんだあれ。
 僕はとりあえず場を持たせるために、慌てて言葉を探した。
「なんかさ、最近、タライ降ってくんじゃん?」
「ああ? なんか降ってきてんな。手品かなんかか? それ」
 天国は引き続き「ぶっ殺せ」の動きを繰り返している。もう少しだ、みたいな事ですか?
「いやあ、手品じゃないんだけど、まあなんで降ってきてるかは、どうでもいいんだけどさ、金ダライって、カナダドライに似てるよな、って気付いたんだよね」
「確かに似てんな。ドが無いだけで。それで?」
「それだけなんだよね。はは」
 ああ、どうせ記憶が消えるんなら、お前って俺の事好きなの? とハイパーどストレートな質問をしてしまうのも、ありなんじゃないか? と僕はひらめいた。
「お前、マジで何の用なの?」
 直島が自分の左肩から手を振り払おうとしたので、僕はもう片方の手で右肩を掴んで、払われた方の手を放した。そして僕は、ノーであれば心のモヤが一気に晴れるであろう究極の疑問の答えを得るべく、その問いを口に出した。
「えっとさ、直島ってさ――」
「だから失敗だと言っているだろうが! ダラダラ何をしているのだ、このアンポンタン!」
 しきりに「ぶっ殺せ」モーションを繰り返していた天国さんが、突然全力で怒鳴った。
「えええ、失敗?」
「そうだ、失敗だ。そいつは感染してない。何度教えれば分かるんだ」
「それじゃあ、僕はどうすれば……」
 ドワァン! うへぇ……。・
「はあ? 失敗? 感染?」
 僕と天国の姿を見る為に前後をきょろきょろしている直島が言った。
 こうして僕は天国さんの「ぶっ殺せ」の動きは「失敗、すみやかに撤退せよ」の意味であることを知ったのだった。

     


「だいたいさ、僕の頭にタライを落としてやりたい、ってどういう気持ちなのさ」
「感染者は具体的にタライを落としてやりたいと思っているとは限らない。ただ小規模な嫌がせを継続的かつランダムタイミングで実行したい、という無意識な気持ちが、罪とマッチングしたのだろう」
 再び防災訓練プレイに戻った僕を、地面に落ちているアリのたかったコオロギの死体を見つめるような目で、天国は見下ろした。
「小規模ねえ」
 確かに痛さ的には小規模だけれども、音的には遠くに潜んでいた小隊が勘違いして突撃開始しちゃいそうなほど大規模だったんだけど。いやいや、そんな事はどうでもいいんだ。さっさと僕にそういう感情を抱いているのであろう人物を特定しないと、しまいにはタライノイローゼに陥りかねない。僕は机の底に頭をぐりぐり押し付けながら必死に考えた。
「ああ――」
 記憶のものかげを、大変それらしい怪しい記憶が、行ったり来たりしていた。そいつに向けて、スポットライトをあてる。

 妹の部屋の前。妹、収の渡したコンビニの袋の中身を覗き込むなり、収へつき返す。
 妹「ダイエットしてるつってんのに、なんで甘いもん持ってくるんだよチンカスが!」
 収「いやいや、女の子なんだからチンカスはないんじゃないかな、馬鹿とかアホとかクズとかさ、罵倒するにしても、ちょっとは表現は選ぼうよ。――チンカスて」
 妹「うっせー! 包茎! 死ね!」
 収「うん、包茎じゃないけどさ、とりあえずこれはあれよ、さっきのチャンネル変えただろ、って言いがかりつけちゃってゴメンネ的な? 謝罪のきもち? みたいな?」
 妹「はあ? 何いってんの? チャンネル変えた? 頭の中が……えっと、あれよ、メレンゲでも詰まってんじゃないの!?」
 収(さわやかに微笑みながら)「ははは、メレンゲはかわいいね」
 妹「黙れ! そいつはテメェで食って糖尿病にでもなりやがれ! あたしはコンプリートとダイエットで忙しいんだよ!」
 突然閉められる扉。金鍔収、足を挟まれる。足を押さえて悶絶しながら、バランスを崩し階段から落ちる。
 収(踊り場で天井を見上げ、ひらめいたように手をポンと叩きながら)「ああ、そうか。チャンネル変えて言いがかり付けたことは、罪が消えたんで、無かったことになったのか、そうかそうか、うっかりしたなあ」

 うんうん、こんなことあったね。
 あれで妹が「ダイエットしてたのに何の前触れもなく甘いものを買ってきて嫌がらせをしようとした」みたいな曲解を、したのかもしれないよね。つーか、こんくらいしか思い浮かばないよ。そこらへんに僕に対して嫌がらせしたいなんて思ってる人間がたくさんいるなんて、あんまり想像したくない。妹が感染してなかったら、想像しなきゃいけないんだけど。
「わかったぞ天国! 僕にタライを落としているのは、妹だ!」
 勢いよく天国を見上げようとした僕は、鼻をしこたま机の底にぶつけ、結局タライが降ってくるよりも数倍痛い思いをしたのであった。

―――――――――――――

「彼女がダイエット研究部の部長、天国励子さんだ」
 天国は「うむ」とわずかに顎を引きながら、妹の前にずい、と進んだ。
「あ、はい、よろしくお願いします」
 妹の視線が、僕と天国の間を行ったり来たりしている。
「この天国さんはもうそれはそれはそら恐ろしいほどダイエットについて精通していて、天国さんにお願いしておけば、体重の悩みなんてたちどころに解決してしまうともっぱら噂なんだ」
 ああ、この能書きがあれば、別にダイエット部の部長だという設定は必要なかったな。
「あ、そうなんですか、失礼ですけど、もともと凄く太ってたとかなんですか?」
「うむ、半年前までは体重は三ケタ越えだった」
 そこで天国が取り出したのは、天国の驚異的な高度さを誇るレタッチ技術によりねつ造された、凄く太っている天国の写真である。顔や体型、着ている服からその陰影に至るまで、コラージュ見破りのプロでも見分けがつかないであろう恐ろしいクオリティである。これをたった一分で仕上げてしまったのだから、勤勉とかいう能力は恐ろしい。しかし本当に恐ろしいのは、このレタッチ技術ではないのである。
「えっ」妹は受け取った写真と実物の天国を見比べた。「はー、えっ、これ、ほんとうにあなたなんですか」
 妹は若干釈然としない表情を浮かべながら、写真を見下ろしたまま唸っている。
 いくらなんでも、写真の中の天国を太らせすぎたか。デラックスを参考にしたのは間違いだっただろうか。どこかの柔道家の人を参考にすれば、もう少しすんなり納得してもらえたかもしれない。
「いかにも、それは私で間違いない」
 天国は億劫そうに応答した。こんなしち面倒くさい茶番につきあわされて、うんざりといったところだろう。でも妹に一分以上触れ続けるのは、案外難しいことなのだ、だからもうしばらくこらえてくれ、僕は天国の横顔へ念じた。
 ちなみに僕は――
「どうでもいいけど、兄貴はなんで、そんなことしてんの」
 ――学校から拝借してきた机の下に隠れたまま、自宅の玄関前で、中腰の姿勢を維持している。バスに乗る時に無駄に荷物料金を取られたが、しかたあるまい。
「僕にかまうな! いまは自分のことを考えるんだ!」
「え、うん」
 妹は目に不審そうな色を残したまま、再び天国の方を向いた。
「ちょっと失礼」天国はさらに一歩、妹へ歩み寄ると、目の中を覗き込んだ。「ふむ、今日の昼食は、ミネラルウォーターと高菜おにぎり、か」
「え、え? なんで知ってるんですか? 学校、違うし、どうして?」
 口を半開きにしたまま、妹は絵に描いたようにあたふたしだした。
「ちなみに、昨日の昼食も、同じ。まあ、そのメニューなら太る心配はないだろうな」
「ほあー」
 半開きの口は閉じられることなく、そこから感嘆の声が漏れた。
 一体これのどこに勤勉という単語が結びつくのかは不明だが、相手の記憶を読むという能力も、天国のもつ勤勉能力の一つなのだという。
「ダイエットを極めた天国さんはな、相手の顔を見るだけで、相手が食べたモノが分かるんだ。すごいだろ」
 だけどまあ、妹に全部説明する必要はないわけで。とりあえず天国さんの超常能力を信じさせてしまえば、こっちのものなのである。
「もう少し飲食事情を精査して、ダイエットに繋がる情報を引き出したいのだが、キミの体に蓄積されている食糧情報は少し混濁している。混濁した情報を一旦取り除きたいのだが、それは血のつながった人間にしか受け渡せない。申し訳ないが、お兄さんと手をつないでもらえるかな」
 天国はそれ単体で聞いたら胡散臭さのあまり鼻血を出してぶっ倒れるのではないかという怪文章をさらりと述べて、僕の方へ視線を落とした。
 僕は頭だけ机の下につっこんだまま、片手を妹の方へ向かってのばした。しぶしぶといった様子の妹が、僕の手を掴む。
 吸い込みの進捗がわからないが、天国が小さく頷いたので、罪は確実に格納できているのだろう。

―――――――――――――

 時間稼ぎのために妹が最近食べたものの名前を並べていた天国が、妹の顔をみつめたまま急に顔を曇らせた。
「ん……」
「どうしたの」
 と僕が尋ねた瞬間、
「うわ! なんで兄貴、私に触ってんのよ!」
 妹が思い切り腕を振り払った。どうやら罪の回収は終わったようだ。
 妹は『どうして机なんか持って帰ってきてんのよ、わけわかんないし気持ち悪いんだよ! 耳カス野郎!』と喚きながら、家の中へ引っ込んでいった。
「なんでもない、気にするな」
 そう言った天国は、僕に背中を向けながら、顔の両サイドにぶら下がっている髪の毛の束の左っかわのやつを思い切り引っ張って、顔をそっちに曲げていた。手に力がかかっているのは僕にもよく分かって、髪の毛が引きちぎれるんじゃないかと、見ていてひやひやしてしまう。
「気にするな、といわれても……。それは一体、どうしたことですか」
「たまに、やりたくなるんだ」
 同じ姿勢のまま、天国は答えた。
 なんだか居心地の悪い風が、天国の方から吹いてきた。
「ああ、そうなんだ」僕はそこで納得して終わらせてしまおうかと思ったけれども、やっぱり気になったので、睨まれるのを覚悟で、改めて尋ねた。「どういう時に、やりたくなるの、それ」
 髪の毛を掴んでいた手がぱっと離されて、反動で勢いよく天国の頭が垂直状態に戻った。その首が、ぐるんとこちらを向く。だるそうな目をした天国が、口を開いた。
「なんだ、貴様は、しつこいな。べつにどうだっていいだろう」
 睨まれなかったので、さらにもう一度踏みとどまった。
「どうでもよかあないよね。なんか普通じゃないじゃんか? 大丈夫かなあ、ってちょと思うわけよ」
「人間の尺度で測らないでほしい。私は全くもって普通だ」
「それなら、まあ、良いんだけどさ」
「そうだ、余計な心配はしなくていい」
 天国はそのまま、不機嫌そうに帰って行った。
 普通です、って主張するならさ、最低でもいつも通りに睨むとか、もっと普段通りの体裁で言って欲しいよね。
 僕はあの天国の様子に一抹の不安を感じながら、目の前に置いてある学校の備品を、明日きちんと返さなければならないことを思い出して、溜息をついた。

       

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Neetsha