Neetel Inside 文芸新都
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 屋上でゼリー状の栄養補助食品を食べながら、空を見上げた。お兄ちゃんの浮気現場を見てからやる気が無くなった。ご飯は夕食を何とか作るが、昼食を食べる気が起きない。夏休みの宿題もまだ半分以上残っているし、借りた本も読めていない。ずっと何か眠たい。
 お兄ちゃんとは別れたり付き合ったりを繰り返しているが、別れたりの全てが音信不通かあたしが嫌になったかのどっちかだった。浮気現場を目の当たりにしたことはなかった。浮気とか、そういうのをした事無いとは思っていなかったけど、想定の中と実際目にするのでは受けるダメージがこうも違う。
 ゼリーを半分程無理矢理飲み込んで、煙草に火をつけた。暑いので汗が吹き出てくる。左手で冷凍庫に入れておいた保冷剤を額や首に当てながら、右手で煙草を持つ。
 辛いなぁ。裏切られたって事よりもう周囲に家族以外誰も居なくなってしまった事が。あたしはこれから先誰に愚痴を話すのだろう。トイレやゴミ箱を取り上げられた感じだ。
 お兄ちゃんのアドレスはまだ携帯の中に残っているし、メールは一度来たが返していない。直接的に喧嘩をしたり指摘したりはしていない。煙草はお兄ちゃんに買って貰うかタスポを貸して貰っていたのにどうしようか。値上がり前に山ほど買ったからまだ三カートン程あるけれど、ここ最近の消費量はハンパ無い。
「てかあのババアに入れてたモンあたしにも入れてたのかよクッソ汚ぇ」
 小声で吐き捨てると急に吐き気が込み上げた。口に手を当てて我慢する。胃がぐっと動き出して逆流させようとしてくる。身体まであたしの言う事聞かねぇのかよ。
 何考えているんだろう、あたしだってお兄ちゃん以外を受け入れた物でお兄ちゃんを受け入れた。お互い様だ。でも気持ち悪い物は気持ち悪い。どうしようもない。
 その時にがちゃんがちゃんと屋上のドアが大きな音を立てた。以前保健室の先生に指摘されたように内側から鍵をかけていたので、無理矢理に人が入ってくることはない、はずだ。驚いたが、ドアが何度が揺れて開かないと悟ると諦めたのか静かになった。一息ついて、溜まった灰を携帯灰皿に捨てて口に付ける。グラウンドから運動部の五月蝿い掛け声は聞こえてくるけれど、あたしの周りには何の音も無くなった。じじっと火があたしに近づく音しかない。

 それからゆっくりと五本程煙草を消費して、何とか生温くなってしまったゼリーを全て胃に流し込んだ。消臭ケアをすると煙草や携帯を雑誌付録の小さな安物のお弁当ポーチに仕舞って、伸びをして屋上を出る。安物のポーチだけれどサイズは丁度良いし、保温保冷機能として裏地にアルミのような物が施してあるし、花柄が結構可愛いしお気に入りだ。煙草も携帯も昼ご飯も全部まとめて放り込んである。携帯なんか最近ではほとんど電話としての機能を果たしていない可哀想な奴だ。
 ドアの内側の取っ手に巻き付けてある鎖を外して、南京錠を持って屋上から出ると、目の前の階段に人が居た。
「やっぱり、久しぶり、元気だった?」
「お久しぶり、です」
 保健室の先生が壁によりかかりながら携帯を見ていた。耳にはイヤホンが着いていて、あたしの姿を確認するとそれを外して肩元に落とした。手には野菜ジュースがあって、足元にはコンビニの袋があったからここでお昼ご飯を食べたのだろう。
 ちょっと付き合って、と明るく話されて鎖と錠を持ったまま屋上に逆戻りをさせられた。あたしは持っていた鎖をもう一度ドアの括り付けて、先生の後を追う。暑苦しい太陽の下で先生は伸びをして、自分の白衣から煙草を取り出して火を点けていた。甘ったるい煙の匂いがした。あたしは携帯灰皿がぱんぱんになってしまったので、ぼんやりとその様子を見つめた。
 まだ、この人が居たか、会うのは数度目でしかないけれど。
「あれ、吸わない?」
「結構吸っちゃったんで、もう灰皿いっぱいですし」
「うわーヘビーだねぇ、若いうちからそんなんだと大人になって大変だよー。最近厳しいし。煙草ぐらい自由に吸わせろってね」
「そうですねー、先生が言うべき言葉じゃないですけどねー」
「ああ、そっか、健康第一って言うべきか」
 先生が顔を真上に上げてふっと煙を吐き出す。それはすぐに風に流れて消えてなくなった。世間がこんなすぐに消え去る異物に何の害を見出してヒステリックに騒いでいるのかあたしもわからないが、それが民主主義ってものなのだろう。大衆主義、衆愚、一人で居るあたしに未来なんか無いと思う。それなら世間が言うように肺ガンでさっさと死ねばいいと思う。
 煙草を吸う先生の姿を眺めているだけでも汗が噴出してくる。会話が無くなったが別に嫌な空気ではない。この人とはそれでも平気なのだ。でも何か、話したい。
「先生、それ、何聞いてるんですか?」
 イヤホンを指差して聞くと、ああこれ?と先生はイヤホンを持ち上げた。
「東京事変」
「え、先生事変好きなんですかー。あたしも結構好きでしたよ」
「椎名林檎で青春育ってきたからね、リアル十七歳で17聞いてたから」
「あー林檎名義はあんまり知らないんですよね」
「うそージェネレーションギャップ!」
 けらけらと先生は笑って短くなった煙草を携帯灰皿に入れた。甘ったるい煙と薄い香水の匂い、消毒液っぽい匂いを纏う先生は綺麗な笑顔で笑ってあたしの頭を軽く撫でた。撫でた、というよりは、ぽんぽんと手を置く感じだ。驚いて固まっていると、綺麗な笑顔は破顔した。くしゃっと目が潰れて鼻も広がって、でもさっきの綺麗な笑顔よりずっと親しみのある笑顔だった。
「じゃあ今度聞いてみて。17は泣けるよー。もしあれならCD貸してあげる。家に来てもいいし」
「お家、行ってもいいんですか?」
「ん?来たい?いいよー、こっからちょっと遠いから車なんだけどね。ま、来たい時言って」
 その言葉に頷いた。先生は笑っているが社交辞令を真に受けてしまった感があって、恥ずかしくなった。どれだけ人に飢えているのだろう。
 二人で笑いながら屋上を出て、元通り施錠をすると先生とは別れた。
 それから部室に戻って冷蔵庫に入っていた飲み物をがぶ飲みすると、ソファーに倒れこむ。暑かった、良い匂いがした、クソみたいな会話してしまった。大きくため息をつくと自分のコミュ障ぷりが嫌になりながら身体を起こす。 
 早いけれど帰ってしまおう。今日は暑い。 

       

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