Neetel Inside 文芸新都
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 学校から駅までの間にあるコーヒーショップで本を読む。帰ろうと思ったけれど、暑さが最高潮の時間では歩いているだけで暑くて、フローズンドリンクを宣伝看板を立てていたお店に入ってしまった。全席禁煙だし制服だから仕方ない、と言い聞かせて煙草の代わりにストローを咥える。水滴が本に垂れないように気をつけながらページをめくる。寒いくらいのクーラーに当たっていると汗が冷えてくる。もしこれを飲み終わっても空いていたらホットドリンクを飲もうかなと、ぼんやりと考える。
 本を読み始めて集中していると、すみませんという声が聞こえて顔を上げた。普通のサラリーマン風の男性が良いですか、と椅子の背もたれを掴んでいた。まだそこまでいっぱいでもないのに一人の人間の椅子取るかよ、と思いながらもどうぞと言って本に視線を戻す。するとその男は掴んでいた椅子に座った。よく見るとコーヒーを片手に持っていた。
「は?」
「本好きなの?何読んでるの?」
 思い切り顔を顰めたのに、男は意にも介していない様子で喋り続ける。これ見よがしにため息をついた。男はコーヒーを飲みながらあたしの容姿や制服から判断した学校の事なんかを褒めてきた。
 うざい、本当にうざい。いい年こいた大人が真昼間から女子高生をナンパして馬鹿じゃないのか。仕事しろ、黙れ、消えろ、死ね。
「あの、何なんですか?」
「あ、俺ね、営業で色々回っててー、今日分のノルマ達成出来ちゃったから、暇してて。で、君も暇そうだったから一緒に遊ばないかなって。どっか行きたい所ない?俺車だからどこでも行けるよー」
 営業、という言葉でお兄ちゃんを思い出して、気分が悪かったのが最悪になる。底辺になる。あたし忙しいので、と舌打ち交じりに言うと立ち上がって本を片付けて飲み物を手に持つと席を離れた。どうしてこっちが逃げなきゃいけないのか、ガチでナンパは規制法作ればいいと思う。残っていた氷が解けてしまった液体を飲めるだけ飲み込んでコップをダストボックスに捨てて店を出る。
 道路に出て、着いてくるということは無かったから胸を撫で下ろした。冷房の効いた室内から一気に暑苦しい外に出て軽く眩暈がする。ちっともう一度舌打ちをして歩きながら左手の親指を皮を中指剥く。皮の表面が毛羽立って、剥き取る取っ手が出来上がる。

 駅前のショッピングビルに入る。一階から六階までがファッション、七階がスポーツメーカー、八階が本屋、九階十階がレストラン街という商業施設だ。駅の所の本屋で嫌な思いをしたから、このビルの本屋に入ろうと思った。イライラするのでファッション雑誌でも文庫でも新書でも何でもいいから一冊買って帰りたい。
 エレベーターはきっと一階まで来るのに時間がかかるので、エスカレーターでゆっくりと八階に向かう。ふと七階のセールというエスカレーターの広告に目が行く。特に買う物は無いが暇だしチェックしようと七階でエスカレーターを降りる。適当に店を見回って、欲しいと思っていたスニーカーが安くなっていないか見る。……なっていない。なっていようといまいとお兄ちゃんに給料が出たら買ってもらおうと思っていたのに。
 二万円のスニーカーを手に取って一度じっくりと見てからディスプレイに戻した。二万円は流石にお年玉か何かが手に入らない限り無理だ。店員も高校生の私に買う気がないのがわかっているのか、セール品でないからか、接客には来ない。まぁ周りを見ても三十パーセントオフばかりなので、セールで一万四千円になったところで買えないけれど。
 ショップを出て次のショップも一応見ようかと思ったところで肩を叩かれた。
「やっぱ暇なんじゃーん」
 身の毛がよだつとはこれか、と振り向いた先に居た男性にぞっとする。さっきあたしをコーヒーショップから追い出した人が立っていた。あからさまに顔が強張ったのを見て、そんな警戒しないでーと軽い調子で彼は話す。
「ね、もしかしてあれ欲しいの?あれ、あのスニーカー。買ってあげようか?」
「……いえ」
 後をつけられていたのか、本当に偶然あたしの姿を見つけたのかは知らないが、スニーカーを手に取っているところは見られていたようだ。背筋に寒いものを感じながらも、スニーカーは欲しいなという欲求は生まれてくる。お兄ちゃんが居なくなった今スニーカーを易々と手に入れる手段は無くなっていて、この人が本当に買ってくれるのならば利用しない手はない。どうせ対価を求められるのだろうけど、と一方的に喋る男を見る。
 適当にいえ、いいです、と否定の言葉を繰り返していたのだが、ドライブしてくれるだけでいいからという言葉に乗ってしまいそうになる。本当にドライブだけであのスニーカーを買ってくれるのか。
 ふと彼の容姿を見る。普通のサラリーマンのようで脂ぎっても禿げても気持ち悪くもないし、スーツも清潔そうだ。ぺらぺらと喋るのは気に食わないし、下がった目尻は嫌いなタイプの顔だがそこまで生理的な不快感はない。彼の言動が気持ち悪いというだけで。
 うん、最悪セックス出来そうだ。セックスで二万か、安っ、と思ったが、本当にドライブだけかもしれないし、自嘲的な笑いが浮かんできて、彼と目を合わせた。
「わ、若林さん!!」
 彼の声ではない別の男性の声がして、腕を掴まれた。そちらを振り返ると立花君が立っていた。あたしの腕を持つ手が震えている。あたしとナンパしてきた男が呆気に取られているうちに、立花君はあたしに話しかけて歩き出した。
「どこ行ったのかと思った、行こう。ひ、人の彼女に手出さないで下さい、行こ」
「あ……うん」
 言われるままに立花君に従って歩く。そのままエスカレーターに乗って八階の本屋に連れて行かれた。ずっと無言で腕を掴まれて、それが小刻みに震えていて居心地の悪さを感じる。何か喋ってくれたらいいのに、てめぇは携帯のバイブかよ。
 本屋の高校参考書の本棚に着くとようやく立花君は手を離した。
「ご、ごめんね若林さん、助けなきゃって思ったら腕掴んじゃって。知り合い、じゃないよね?ナンパみたいなのだよね?本当は本名出して呼ぶのもどうかなって思ったんだけど、本名じゃないと若林さん反応してくれなそうだったし、うん、ごめんね」
「え、謝られる理由ないよ、助けて貰ったのこっちだし、ありがとう。助かったよ、何か気持ち悪くて……ホントありがとう」
 笑って軽く会釈をする。一気にまくし立てられてよくわからなかったが、助けてもらったのは事実だ。その代わりセックスの機会とあのスニーカーを手に入れる機会を失ったが。
 別にいいのだけど、どうでもいい知らないサラリーマンとの下らない時間を過ごすことが無くなっただけだ。立花君は私につられたように笑顔になった。
「大変だね、最近変なの多いから……」
「うーん、ちょっとしつこくてびっくりしちゃった。立花君みたいな人がいつも居たら頼もしいんだけどね」
 首を傾げながら立花君を見て笑うと彼は俯いた。そのまま目も合わせずに、いや、別に、と口ごもっていた。
 さて、どうやってこの場から離脱しようか、と考える。しばらく吸っていなくて煙草を吸いたくなってきたし、本を買って電車に乗って家に帰ってから一服して夕飯の買出しして、とこれからの計画を考えると、さっさと帰りたい。
 もういいか、本を買うのは諦めて用事があると言って帰ろうか、と声を出そうとすると立花君が先に声を発した。
「若林さん番号交換しない?」
「ん、いいけど?」
 至極普通に言われたが、立花君の顔は引きつっていた。何こいつ童貞臭い、そう思いながら赤外線で番号を送りあって、あたしはさっき考えた通りの言い訳を言って帰った。携帯の電話帳に立花誠治という名前が新しく入った。

       

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