Neetel Inside 文芸新都
表紙

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 ナユタは黒目がちな瞳で僕を見下ろしていた。左頬が腫上がり、ドブ臭い匂いを放つ僕を見て言葉を発さずに、慣れた手付きで冷凍庫から氷を取り出した。ガタッ、カツンカツンと重い音がする。ビニール袋にロック用のそれを幾つか入れて僕に差し出す。
「……ありがとう」
 氷を頬に当てるとナユタは僕の横を通り抜けてベッドに腰掛けてテレビを点けた。深夜のローカル音楽番組、二度ほど出た事のあるものだ。


 一生懸命読んでいるのだがどうも気が向かない。当然と言えば当然だ、元々プロ作家の作品だったとしても好みでない文体なのに、素人の作品なんか読むに耐えない。自室で麦茶を飲みながら読んでいたが、暑苦しく気持ち悪いので財布と携帯をバッグに入れて家を出た。今日母親は久しぶりの夜勤で帰ってこない。面倒臭いので制服のままだったから、補導等されないか不安だったが道路にはあまり人は居ない。
 近くのコンビニに入って冷房に当たって涼みながら雑誌を立ち読んでいると、男女数人の五月蝿い集団が入ってきた。本棚が入り口近くに設置してあって、通路の幅が狭いために後ろを五月蝿い男がぎりぎり通り過ぎていく。ちらりと盗み見ると金髪やらほとんどがスエットを着ているやらの典型的なヤンキーのような集団だった。
「酒酒!!ポン酒でいいか?」
「鬼ころし!」
「うぜぇ、ガチうぜぇんだけど、黙れよー」
「あたしチューハイでいい?」
「はいはい、カゴ入れろや」
 舌打ちしたい気持ちを耐えて雑誌のページをめくる。可愛い秋物の洋服も上手に頭に入ってこない。早く買い物を終えて出て行って欲しい集団だ。
 買い物を終えたらしく後ろを通り抜けていくかと縮こまっていると、どんっと背中に衝撃が走った。一人の男がぶつかって来たみたいだ。思わず舌打ちしてしまった。
「あ?邪魔なんだよ、今舌打ちしたか?」 
「…………してません」
「しただろーがよ、女だからって……」
「ちょっと!!何女の子に絡んでんの!!しかも私の妹と同じ学校の子じゃん!!これ以上絡んだらあんた一人置いて行くからね!!」
「……はいはい、あのガリ勉学校ねー」
「ガリ勉じゃなくても入れるの!私だって入れたしー!」
「でも中退じゃん」
「うっせぇつーの!!あ、ごめんねー大丈夫?あれ、そのタイって一年?良かったら蜷川聖羅よろしくねー」
「セーラ様?」
 聞き覚えのある名前に反応を示すと、あたしを助けようとしてくれた女の人は動きを止めた。よく見ると何となくセーラ様と似た顔をしていた。
「え、せーら知ってる?」
「蜷川聖羅さん、だったら知ってます。同じクラスですよ」
「おぉぉ、ガチの知り合いか!!」
「はい、一応友達?でしたし」
「でしたって何それ、ウケんだけど。私せーらの姉、蜷川精華、よろしくねー」
 握手を求めてきた女の人に大人しく握手をする。腕を振りながら彼女、精華さんは名前教えてーと軽いノリで聞いてきた。それに若林舞です、と答える。
 一人だけテンションの上がっている精華さんを周りの男は訝しげにこちらを見てくる。
「舞ちゃんか、舞ちゃん暇ある?今から家行くんだけど来ない?せーらも居るよ?」
「え……ご迷惑じゃないですか?」
「全然っ!!せーらの友達は私の友達だから!!」
 精華さんはあたしの了承を聞いているのか聞いていないのかわからないうちに車に誘った。大人しく雑誌をラックに戻してそれに従った。ワゴンに乗ると安物の香水のような酷い匂いと煙草のヤニ臭さが広がっていた。あたしは精華さんの隣に座ってぼんやりと彼女の顔を見つめていた。
 ワゴン車には運転手を含めて男が四人と精華さんとあたしが乗っていて、変なレゲエのような音楽が流れていた。
「舞ちゃんって呼べばいいのかな?」
「皆にはマイちんって呼ばれています」
「じゃあ私もマイちんって呼ぼうかな、てかせーらってセーラ様って呼ばれているの?」
「あたし達の中では」
 その言葉に精華さんがウケると笑っていた。あたしはこの女の人が一度しか言っていない言葉をきちんと反芻する事に恐ろしい物を感じながら、笑顔を見せた。セーラ様の血筋の人だ、流石に頭の回転は速いようだ。授業で当てられてすらすら返答するセーラ様の様子や、テスト返却で特に落ち込みも何もしない様子を思い出す。
 ワゴン車内でコンビニで買ったばかりの酒を開ける事になって、あたしは大人しくチューハイを握っていた。音を立ててプルタブは開けたものの、一度口を付けて甘ったるい炭酸とエタノールの匂いが気持ち悪くて持ったままにしていた。周りの男がバカみたいに酒を一気して、バカみたいにあたしに話しかけてくる。
「マイちーんはー高一ってことー?」
「はい」
「てかマイちんーって下ネタじゃね?ちんって、ちんこじゃね?」
 笑う男に作り笑いを見せる。こいつらには羞恥心や常識といったものが備わっていないのか。苦笑いをしているあたしに精華さんが庇うような言葉を続けた。
 何だこの下品な男達は、ただあたしが今拠り所としている立花君に比べてストレートな物言いに好感は持てた。オブラートを何重にも被せて、それが美しいと勘違いしているあの男よりも汚い内臓を露呈してくる方が好感が持てる。面倒くさい表面の上面が無さそうで楽だと思ったし、精華さんに庇ってもらえる位置が気楽だった。ワゴン車はそこそこの距離を走って、止まった。普通の一軒家の駐車場というか、ただ平地が広がっている所に車が止まって、促されたのでそのまま降りた。
 促されるままに玄関に入って、部屋に入った。広い座敷だったそこにはセーラ様と男が二人居て、セーラ様は驚いたようにあたしを見ていた。 
「マ、イちん?」
「セーラ様、久しぶり」
 片手を上げて笑顔を見せると、セーラ様はつられたように笑顔になった。
「マイちんコンビニでナンパしちゃったー。せーらの友達なんでしょ?」
「てかナンパってせーかウザイ。ごめんねマイちん。こっち座りなよ」
 セーラ様があたしを呼んで、隣に座らせると小声でマイちんお酒って大丈夫、と囁いた。あたしも小声でわかんない、飲んだ事無いからと返した。セーラ様はアイコンタクトでわかったと瞬きをして、適当にお茶を入れた紙コップを握らせてくれた。皆の乾杯に合わせてあたしはそのコップを持ち上げる。
 車内で一度口にしたが、アルコールは得意とは言えなさそうだ。適当に周りに合わせてテンションだけ上げておけば大丈夫だろうと大声で喋ったり、笑ったりしておいた。一時間程で一気を続けた男二人は倒れて畳の上に寝転がっていた。他の男は精華さんと飲んでいて、あたしとセーラ様を隔離するような形にしてくれた。この姉妹の気遣いと思う通りに男を操る能力は何なのだろうと感嘆する。
「何か、セーラ様ごめんね、来ちゃって」
「ううん。マイちんとは話したかったんだよ、あんなんなんちゃったけどさ」
 二人で苦笑いに近い顔で笑い合う。一度一緒に打ち上げに行ったのだけれど、そんなにじっくりと二人で話したことは無かった。あの初期のグループに居た時はあたしはよっしーと一番仲が良くて、セーラ様はナギーや花音と仲良かったのだ。今思えば全員が全員それぞれに仲良いわけではないうちに空中分解してしまった。
「ていうかマイちんって見た目と違うよね、ちょー真面目そうに見えて全然予習して来なかったりするし、一番弱そうに見えて一人で生きていく道選んだりするしー」
 ギャルっぽくて強面だったセーラ様はお酒のせいなのかふわふわと笑っていて、あたしもつられて笑う。ある意味タブーだった部分に平気で乗り込んで来るセーラ様にあたしも心を許しつつある。
「買い被り過ぎだよ、あたしそんな強くないよ?てかセーラ様もちょー頭良くてびびったし、それなのにこんなお酒飲んだりしてるし」
「家はこんなんだからね。お母さんが今は女でも高学歴じゃないとやっていけないって五月蝿くてさ。あの人自分が風俗でしか働けないからうちらに勉強押し付けるんだよね」
「え……風俗?なの?あ!ごめん、別に差別してるとかじゃなくって……」
「わかってる、ふふっ、大丈夫気にしないで。言葉悪かったね、スナックとか水商売?何かそんなのなの。家お父さん居ないからさー」
 明るく笑うセーラ様に酔っているのかなと思いながら、開示された情報の重さにあたしも何か開示しないと、と紙コップに力をこめる。
「あたしもさ、お父さん居ないよ?居ないっていうかあれなの、別居状態なの」
「マジでー!仲間仲間!!あ、家は完全に別れちゃっててさ、ちょっとねー」
「そーだったんだ……」
「うん、仲間だねー。やっぱマイちんは良いなぁー」
 今まで聞いた事の無い二人の家庭環境を暴露し合って、セーラ様は缶チューハイとあたしの紙コップで軽く乾杯をした。新しい居場所をあたしは見つけたつもりになって、酷く高揚していた。

       

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