Neetel Inside 文芸新都
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 御崎先輩は交換留学制度から帰ってきた一つ上の先輩で、この学校は留学先で必要単位を取っていれば留年をしないらしく、一年の留学の末、必要単位を取得して二年に進級をしている人だった。ブランクがあっても平気で同学年の人たちと交わっていて凄い人だと思った。御崎先輩は馬鹿みたいに優等生で、それでいて傍に居る全ての人を魅了してしまう力があった。丁寧に整った顔に、おそらく二物以上与えられたのであろう学業成績と運動神経、あたしは後輩という立場を忘れないつもりでいたけれど、御崎先輩に魅せられ陶酔してしまっていた。
「若林さんは何係してるんだっけ?」
「適当な救護係です、時間制約されるだけでする事無いんですよ」
「救護か、看護婦さんは憧れだよ、いい仕事だね」
「あはは、先輩が来ないこと祈ってます」
 近くに迫った運動会、高校では体育祭と言うらしい、は特にあたしの居場所を作らないまま全員参加の百メートル走とリレー補欠という役目だけを残して、違う役割を担った。その役割がある意味お母さんと同じ仕事であることに寒気がしたが。
 にっこりと笑いながら御崎先輩を見つめると、彼は目を反らすことなく笑みを返してきた。安心する、立花君は目を合わせようとすると最初目を反らして、付き合うという形になってからはガン見してきて、中間は無いのかと思っていたところだった。御崎先輩と過ごす放課後は日常になりかけていて、あたしは放課後だけに生きる道筋を見出していた。授業中、四時くらいまでのあたしは死んでいて、ミイラが受け答えしているような状態で、その後数時間だけがあたしが学校の中で生きている時間だった。ミイラはいくら褒められてもミイラなので、他人の言葉は乾いた身体をすり抜けていった。
 そのまま家に帰ろうとしたら、部活終わりのよっしーとプラットフォームで鉢合わせた。
「久しぶりー、同じ電車だねー」
「うわーちょー久しぶりー」
 よっしーの上滑りの言葉にあたしは嫌味を重ねた。二人で笑い合って電車に乗り込む。電車の中では仲良しの二人組みを演じる。だって、別によっしー自体と喧嘩別れしたわけでもないし、あたしはここで歯向かうような一匹狼でもない。
「体育祭ちょー面倒じゃない?」
「面倒ー、よっしー何に出るんだっけ?」
「借り物とリレー、リレーとかガチ怖いわ」
「大丈夫大丈夫、よっしー足速いもん」
 友達か知人かよくわからない関係の彼女に、あたしも当たり障りの無い返答しか出来ない。褒めておけばいいのだ、人間関係須らく、たとえそれが上滑りでも、嘘でも、流されていても。
 窓の外の風景を見ながら、ぼんやりと駅に着いて扉が開くのを視界に入れていた。発車音と共に入って来たのはお兄ちゃんで、はっ、と息を飲んでフリーズした。別にあたしが気に負う必要性は無いのだが、車を持っているお兄ちゃんが電車に乗ってくるという発想が無くて、驚いた。久しぶりに見たお兄ちゃんは少し痩せたようで、撫で付けてある髪が乱れていて、ワイシャツ奥に骨が透けてしまうのではないかと思った。清潔感と紙一重の薄さがそこにはあった。手にはいつもの鞄とスーツケースを持っていた。お兄ちゃんもあたしに気付いたようで、驚いた顔をしながら、大人しく空いた席に座っていた、かと思ったのに。あたしとよっしーが喋っているのを見て、お兄ちゃんは席から腰を上げた。
「舞ちゃん、久しぶり」
 笑顔であたしに話しかけるお兄ちゃんに、辛うじてお久しぶりです、と出した声は意外と平静を保っていた。よっしーは、誰?と目で訴えかけてきて、あたしは以前家庭教師をやってもらった先生と返して、よっしーは安堵したように初めまして、と声を出した。お兄ちゃんは当然のようにあたし達二人の前のつり革に掴まって、人の良さそうな笑顔で話かけてきた。その笑顔が逆にワザとらしくて、反吐が出た。お前の相手にしている低脳消費者と同レベルに置くんじゃねぇよ、あたしの同級生をその顔で騙せると思っているなんて低レベルだな、と思いながら、あたしは適当に返事をしていた。
「そうだ、来週のサッカーのチケットがあるんだけど、舞ちゃんサッカー好きだったよね、どうかな」
「えーすごーい!何枚あるんですかー」
「丁度二枚」
「よっしーサッカー好きだったよね、一緒に行こうよ」
 一瞬よっしーもお兄ちゃんも固まった。でもすぐによっしーが悟ったかのように立て直して、笑顔を作り直した。
「うん、好きだよー、でも私部活忙しいからちょっと無理かな」
「…………そっかー」
「舞ちゃん俺誘ってよーもうー」
「えー……センセイと二人かー」
「やっべー俺嫌われてるー」
 嘘と本音と全てが織り交じって笑いあった。ようやくあたしの降りる駅になって、何故かお兄ちゃんも俺もここで、と言って、よっしーは可哀想な役回りしながらも火の粉を振り払うことが出来た様子で椅子に座っていた。きっと何か勘付いているけれど、見てみぬフリをする役。目の前のお兄ちゃんは年下だから騙せたと思っている勘違いをしているクソ野郎で、あたしはよっしーへのフォローをしたくて堪らなかった。
 電車を降りてそれが走り去った後、お兄ちゃんはあたしの腕を掴んできた。
「はい、来週よろしくね」
「何で電車乗ってるの?」
「新幹線で出張だから乗換駅までね。舞は友達の前だと猫被るんだな」
「別に、ここで大騒ぎしたら困るのそっちじゃない?てか新幹線って時間大丈夫なわけ?」
「そういう事するタイプじゃないっしょ。時間は大丈夫、一本遅らす」
 同僚の女よりよっぽど物分り良くて男みたいな傍目を気にする自尊心を持っている、と言われたようだ。ただ面倒なことに正解だ。そこに漬け込まれて、サッカーの約束を取り付けてしまい、あたしが損得勘定から行ってしまうことになる読みも当たっている。久しぶりに顔を合わせて、正面から目を見つめながら会話をする。次の電車は約三十分後だ、ホームに三十分も留まりたくなくて早く会話を断ち切ろうとぶっきらぼうに言葉を返した。
「ちゃんとメール返事して欲しいな」
「多分拒否設定してる」
「メールで来週の時間とか送るから」
「もはや手口ってか汚いやり口だね、別にそこまでサッカー見たくないかもしれないのに」
「見たいでしょ、第三十二節、だっけ佳境じゃん」
「あたし海外リーグが好きだし、てか帰っていい?」
 ぼんやりと好き放題に発言できるこの人の傍に居心地の良さを感じてしまって、振り払うように腕を動かしてホームの階段を小走りで登った。お兄ちゃんは流石に追っては来なかった。新しい居場所への挑戦がこの半年悉く失敗に終わっている今、変わらないものにすがりたくなってしまう。でも、それは惰性でしかないのだ。海外リーグは好きだ、けれどこの夏休みに割いた時間を考えるとあたしは読書の方が好きなのかもしれない、人は変わっていくもので、変わっていくべきだと思う。
 駅から帰る途中のスーパーでこのモヤモヤを晴らしたくてちょっと高い牛肉を買った。フライパンが乳臭くなってしまうので苦手だけれど、にんにくも沢山入れて何とか防いで精力を付けようと考えた。あんな細っこいお兄ちゃんにいい様にされてしまう程、今のあたしには気力精力が無くて、一人で教室で戦って行ける力が薄れていると身にしみた。カゴに入れる順番を間違えた牛肉パックは表面のラップが少しよれてしまって、それでも国産と黒字に金の縁取りがしてある本当かどうかわからない荘厳な見た目をしていた。 



 次の日、よっしーが一人になるのを見計らって、昨日の事をフォローした。よっしーに話しかけるのに躊躇してしまって、酷い人見知りが出たようになって、あたしは自分がどんどん俗世離れしていくように感じた。変な感じでごめんね、一時期好きでフラれたの、と出来るだけ当たり障りの無い、フォローになっているかどうかわからない理由でお兄ちゃんとあたしの間になる変な空気を説明しようとした。
 よっしーが神妙そうに、そうだったんだ、と呟いた時、違うクラスメイトに名前を呼ばれた。
「お客さん、先輩みたい」
「ありがとう、ごめんよっしーちょっと待ってて」
 返事を聞かないまま教室の扉の近くに行くと御崎先輩が立っていた。何故か廊下は色めきたっていて、雰囲気で先輩であることを察知した周りは皆こちらを見ているような気がした。確かに先輩は子供っぽさが抜けない一年生とは違って大人びた美青年であったし、夏服を着こなすために背伸びしているあたし達とは違って完璧さを身にまとっていた。先輩はそんな雰囲気を意にも介さない感じで、あたしに話しかけてきた。
「いきなりごめんね。放課後体育祭の委員とかで抜けられそうに無くなっちゃって、でも冷蔵庫に今日賞味期限のマカロンがあるはずだから僕の分も僕に気にせず食べておいて欲しいって言っておきたくて。あ、若林さんが放課後忙しかったら無理しなくてもいいからね」
「は、はい。えっと、それ、だけ、ですか?」
「うん、別にメールでも良かったんだけど、一年生の教室懐かしいから行ってみたいなーって」
「そうなんですか……」
「友達と喋ってたところごめんね、じゃ、本当にそれだけだから」
 御崎先輩は軽く手を上げて笑顔で小首を傾げた後に、帰って行った。さっと廊下の道が空くというわけでもないけれど、さらっと一年生だらけの間をすり抜けて階段に消えた。小首を傾げた笑顔が素敵で良いもの見たなという色めき立った気持ちと、よっしーに話しかけていて本当に良かったと安堵する気持ちが混在した。
 先輩を見送ったあたしに花音が久しぶりに声をかけてきた。
「ねぇ!!あの人誰!?マイちんの先輩!?」
 いきなりの言葉と遠慮の無さ、これまでの距離は何だったんだ、という驚きであたしが声を失っていると、よっしーが同じように近づいて来た。
「花音落ち着いて、けどガチイケメンだったねー」
「部活の先輩だよ、御崎先輩っていう」
「部活!?生物部なんかにあんなイケメン居るんだね。マイちん親しいの?」
「いや、あんまり……」
 花音の勢いに押されて先輩との関係を隠してしまった。一気に興味を失ったように花音は、そうなんだ、と言うとあたしから離れていった。よっしーは溜息をつきながら、ごめんねと言ってきて、あたしは首を振った。

       

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