Neetel Inside 文芸新都
表紙

ピーラー
三、アンチピーターパン

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 夏の終わりは痛々しい禊だった。身体を張った復讐は功を奏したのかはわからないけれど、等価交換を信じてあたしは夏休み最後まで学校に通って図書館や自習室を行き来した。立花君を学校が始まるまで姿を見ることはなかったから、結果がわからないままだったが、何故か死んでも立花君に成績では負けたくなかった。
 どさり、と借りていた本を返すと当番の図書委員が、はい結構ですと作業をして図書館通いは終わった。通算何十冊かはわからないけれど、夏休みした事を聞かれれば読書と言えるくらい本を読んだ。室内にいる時間が長くて、夏が始まる前より色が白くなったような気がする。多分体育祭で焼けてしまう分の差し引きが出来たと、腕を眺めた。
 一度またセーラ様に誘われたので、セーラ様の家で宴会みたいなものに興じた。カーセックスをしたはずの男は、覚えていないけれど多分その人であろう男は、何故かあたしに何も話しかけてこなくて意味がわからなかった。酒は前回で懲りたので、セーラ様やお姉さんと話しながら、ウーロン茶を飲んだ。
「マイちん宿題は完璧っすか?」
「ふふっ、セーラ様どう?」
「一応やったよ」
「あたしもしたよ。オリジナル問題集の数学投げつけたくなったけどね」
「わっかるー!!!あのハゲのドヤ顔が思い浮かんじゃってさ!」
「あの最後の答えだけってのもイラつかない?過程は!?みたいな」
「過程は自分で考えましょうってやつでしょー、ガチイラつく。数学大嫌い」
「セーラ様文系志望?」
「うん、まぁどっちでもいいんだけど物理とか難しいって聞くし、公務員なりたい、東京で働きたい、安定」
「まさかのセーラ様からの安定志向!」
「てかマイちんはどっち行くの?」
「わかんないかも、工学部が逆ハーレムって聞くから理系かな」
「マジかよ、逆ハーレムのレベル大丈夫?」
「大丈夫、男ってだけでイケる」
 二人で大爆笑して、ウーロン茶とチューハイで乾杯をした。あたしはセーラ様のうざい男を片手でいなす能力に感動しながらウーロン茶を飲んでいた。セーラ様との会話は何度か男の遮りが入ったけれど、その度に彼女は恐ろしい冷徹さと機転で彼らをいなしていた。あたしは完全に傍観者で、その技術を見ていただけだった。そしてその男達全てを姉に押し付ける辺りが背筋が凍った。馬鹿みたいに言われた通りにお姉さんのせーかさんの所に行く男もぞっとした。こいつらはロボットか何かなのだろうか。
 あたしは一人っ子で姉妹がいないからわからないけれど、姉にここまで丸投げでいいのだろうかと思ったが、セーラ様は当然のように突っかかってきた男を避けていたので、そういうものかもしれないと学んだ。そりゃあ誰だって面倒事は避けたい。穏便にそれでいて最小限の手間で、面倒な男からは逃げたいものだ。セーラ様の笑顔が綺麗で、この部屋以外の出来事は夢物語のようで、あたしは彼女に笑顔を返して大人しくしていた。平和に犠牲はつきものだ。



 夏休み明けの試験であたしは結構な点数を取った。大嫌いなヒエギ先生の授業が無かった英語が満点に近くて、それ以外も軒並み九十点台だった。全てを高得点で揃えると順位は跳ね上がるようで総合で十二位だった。帰りのホームルームで総合点数と順位が載った細い紙が配られて、ヒエギ先生は笑顔であたしにそれを渡してきた。数点差でもミスった事が悔しかったが、ヒエギ先生のあたしに対する態度を見るに立花君に勝ったのは明らかだった。多分彼は順位を落としていた。ヒエギ先生は彼に険しい顔でどうしたのと話しかけていたのだから。彼女の皆の前で一言述べたりする行為は大嫌いなのだが、今回は反応を見たい人間がいたから有難かった。
 立花君の様子を思い出してだっせぇ、と口の中で悪態をついて、順位表を仕舞うと教室を後にした。いつも通り部室に向かう。
 結局あたしは学校では一人ぼっちだった。セーラ様が口利きでもしてくれるかと淡い期待を抱いたけれど、そんなことは無く、ナギーを投げ捨てたあたしは孤独になっていた。けれど清清しい気持ちだった。合わない人間と過ごすことがあたしにどれだけ有害かはナギーが一学期中に、立花君が夏休み中に証明してくれていたので、結構大義名分を得て一人でいるのは平気だった。孤独な教室、孤独な廊下、慣れたつもりで部室の扉の鍵を開けた。いや、開けようとしたら鍵が閉まったのだ、がちゃがちゃとドアノブを確認して再度鍵を開けた。
「あ……れ?」
「ごめんね、先入ってて」
 部室のあたしのソファーの上に浅黒い肌をした目鼻立ちの整った男性が座っていた。
「初めまして、御崎です」
「え……あっと、初めまして一年の若林舞です、よろしくお願いします」
 丁寧に頭を下げたせいか、御崎さんはそんなに畏まらないで、と言うとソファーの端に寄った。あたしは同級生か目上の先輩かどちらかわからないので、立ったまま、いいえ、と手を振っていた。
「一年生だよね、僕一年近く留学してたんだよ。この九月に帰ってきて、初めましては仕方ないし、先輩ってのもよくわからないしね。鍵持ってたから多分生物部員だよね、だからこちらこそよろしくお願いします、若林さん」
 御崎さん、先輩と呼んだほうがいいのかわからないけれど、は持っていたアイパッドのようなタブレッドを膝の上に置いて空いたソファーの上を軽く叩いた。御崎先輩は長い手足をソファーの上に縮こませて、綺麗な顔をこちらに向けてきた。鼻が日本人とは思えないほど根元から隆起していて鼻筋が通っていた。目も平行な二重でとても整っていて、見つめられると脈拍が上がった。顔の造りが丁寧で、笑顔が似合う好青年に見えた。こんな人が何故生物部にいるのか疑問でしかなかった。
 こちらも自然と笑顔になって、手が置かれているソファーの上に腰を下ろした。美形とは同じ空間にいるだけで緊張して、それでいて幸せな気持ちになる。
「まさか後輩が入っているなんて思わなかった、若林さんはえっと、本気系?それともまったり系?」
「え?」
「真面目に生物が好きで何かやりたいことがあってこの部活に入ったのか、それとも全入が面倒臭くてこの部活に入ったのか、どっちかなって。ちなみに僕は半々で、どちらかと言えば後者より」
「すみません、あたし完全に後者です」
「はははっ、全然謝る必要ないよ、部活全入なんて時代錯誤が過ぎるよ。じゃあお互いまったりしようね」
「はい!先輩良かったらプリンはいかがですか、冷蔵庫に限定の入れてて」
「お、冷蔵庫も活用してるんだ、使いこなしているねー」
 あたしは、はい、と大きめの声で返事をして冷蔵庫を開けた。その時冷蔵庫の上の灰皿代わりの百均で買ったハート型の缶が目に入った。先生も使うから簡易隠れ蓑として缶を置いていたし、多分先生もここで煙草を吸っているから気にしていなかったけれど先輩がいる間は吸えないだろうなと思った。プリンを取り出して、備え付けのプラスチックスプーンを渡しながら、禁煙、という二文字が頭を巡った。お兄ちゃんと別れてから煙草が買えていなくて、タスポも持っていないのでストックを消費する形で今吸っているので、本格的に禁煙という言葉が思い浮かんだ。大きな溜息をつきたかったが、先輩の前では笑顔でいた。
 イケメンと一緒に居るのは嬉しいけれど、いつもの習慣が害されるのは苦痛でしかなかった。二人でプリンを食べて、美味しいねと綺麗な顔で笑う先輩に良かったと笑顔を返して、あたしはどす黒い内面を体内に沈めていった。煙草を煮出したような薄汚い思考回路は、反吐が出る表面で覆い隠された。

     

 御崎先輩は交換留学制度から帰ってきた一つ上の先輩で、この学校は留学先で必要単位を取っていれば留年をしないらしく、一年の留学の末、必要単位を取得して二年に進級をしている人だった。ブランクがあっても平気で同学年の人たちと交わっていて凄い人だと思った。御崎先輩は馬鹿みたいに優等生で、それでいて傍に居る全ての人を魅了してしまう力があった。丁寧に整った顔に、おそらく二物以上与えられたのであろう学業成績と運動神経、あたしは後輩という立場を忘れないつもりでいたけれど、御崎先輩に魅せられ陶酔してしまっていた。
「若林さんは何係してるんだっけ?」
「適当な救護係です、時間制約されるだけでする事無いんですよ」
「救護か、看護婦さんは憧れだよ、いい仕事だね」
「あはは、先輩が来ないこと祈ってます」
 近くに迫った運動会、高校では体育祭と言うらしい、は特にあたしの居場所を作らないまま全員参加の百メートル走とリレー補欠という役目だけを残して、違う役割を担った。その役割がある意味お母さんと同じ仕事であることに寒気がしたが。
 にっこりと笑いながら御崎先輩を見つめると、彼は目を反らすことなく笑みを返してきた。安心する、立花君は目を合わせようとすると最初目を反らして、付き合うという形になってからはガン見してきて、中間は無いのかと思っていたところだった。御崎先輩と過ごす放課後は日常になりかけていて、あたしは放課後だけに生きる道筋を見出していた。授業中、四時くらいまでのあたしは死んでいて、ミイラが受け答えしているような状態で、その後数時間だけがあたしが学校の中で生きている時間だった。ミイラはいくら褒められてもミイラなので、他人の言葉は乾いた身体をすり抜けていった。
 そのまま家に帰ろうとしたら、部活終わりのよっしーとプラットフォームで鉢合わせた。
「久しぶりー、同じ電車だねー」
「うわーちょー久しぶりー」
 よっしーの上滑りの言葉にあたしは嫌味を重ねた。二人で笑い合って電車に乗り込む。電車の中では仲良しの二人組みを演じる。だって、別によっしー自体と喧嘩別れしたわけでもないし、あたしはここで歯向かうような一匹狼でもない。
「体育祭ちょー面倒じゃない?」
「面倒ー、よっしー何に出るんだっけ?」
「借り物とリレー、リレーとかガチ怖いわ」
「大丈夫大丈夫、よっしー足速いもん」
 友達か知人かよくわからない関係の彼女に、あたしも当たり障りの無い返答しか出来ない。褒めておけばいいのだ、人間関係須らく、たとえそれが上滑りでも、嘘でも、流されていても。
 窓の外の風景を見ながら、ぼんやりと駅に着いて扉が開くのを視界に入れていた。発車音と共に入って来たのはお兄ちゃんで、はっ、と息を飲んでフリーズした。別にあたしが気に負う必要性は無いのだが、車を持っているお兄ちゃんが電車に乗ってくるという発想が無くて、驚いた。久しぶりに見たお兄ちゃんは少し痩せたようで、撫で付けてある髪が乱れていて、ワイシャツ奥に骨が透けてしまうのではないかと思った。清潔感と紙一重の薄さがそこにはあった。手にはいつもの鞄とスーツケースを持っていた。お兄ちゃんもあたしに気付いたようで、驚いた顔をしながら、大人しく空いた席に座っていた、かと思ったのに。あたしとよっしーが喋っているのを見て、お兄ちゃんは席から腰を上げた。
「舞ちゃん、久しぶり」
 笑顔であたしに話しかけるお兄ちゃんに、辛うじてお久しぶりです、と出した声は意外と平静を保っていた。よっしーは、誰?と目で訴えかけてきて、あたしは以前家庭教師をやってもらった先生と返して、よっしーは安堵したように初めまして、と声を出した。お兄ちゃんは当然のようにあたし達二人の前のつり革に掴まって、人の良さそうな笑顔で話かけてきた。その笑顔が逆にワザとらしくて、反吐が出た。お前の相手にしている低脳消費者と同レベルに置くんじゃねぇよ、あたしの同級生をその顔で騙せると思っているなんて低レベルだな、と思いながら、あたしは適当に返事をしていた。
「そうだ、来週のサッカーのチケットがあるんだけど、舞ちゃんサッカー好きだったよね、どうかな」
「えーすごーい!何枚あるんですかー」
「丁度二枚」
「よっしーサッカー好きだったよね、一緒に行こうよ」
 一瞬よっしーもお兄ちゃんも固まった。でもすぐによっしーが悟ったかのように立て直して、笑顔を作り直した。
「うん、好きだよー、でも私部活忙しいからちょっと無理かな」
「…………そっかー」
「舞ちゃん俺誘ってよーもうー」
「えー……センセイと二人かー」
「やっべー俺嫌われてるー」
 嘘と本音と全てが織り交じって笑いあった。ようやくあたしの降りる駅になって、何故かお兄ちゃんも俺もここで、と言って、よっしーは可哀想な役回りしながらも火の粉を振り払うことが出来た様子で椅子に座っていた。きっと何か勘付いているけれど、見てみぬフリをする役。目の前のお兄ちゃんは年下だから騙せたと思っている勘違いをしているクソ野郎で、あたしはよっしーへのフォローをしたくて堪らなかった。
 電車を降りてそれが走り去った後、お兄ちゃんはあたしの腕を掴んできた。
「はい、来週よろしくね」
「何で電車乗ってるの?」
「新幹線で出張だから乗換駅までね。舞は友達の前だと猫被るんだな」
「別に、ここで大騒ぎしたら困るのそっちじゃない?てか新幹線って時間大丈夫なわけ?」
「そういう事するタイプじゃないっしょ。時間は大丈夫、一本遅らす」
 同僚の女よりよっぽど物分り良くて男みたいな傍目を気にする自尊心を持っている、と言われたようだ。ただ面倒なことに正解だ。そこに漬け込まれて、サッカーの約束を取り付けてしまい、あたしが損得勘定から行ってしまうことになる読みも当たっている。久しぶりに顔を合わせて、正面から目を見つめながら会話をする。次の電車は約三十分後だ、ホームに三十分も留まりたくなくて早く会話を断ち切ろうとぶっきらぼうに言葉を返した。
「ちゃんとメール返事して欲しいな」
「多分拒否設定してる」
「メールで来週の時間とか送るから」
「もはや手口ってか汚いやり口だね、別にそこまでサッカー見たくないかもしれないのに」
「見たいでしょ、第三十二節、だっけ佳境じゃん」
「あたし海外リーグが好きだし、てか帰っていい?」
 ぼんやりと好き放題に発言できるこの人の傍に居心地の良さを感じてしまって、振り払うように腕を動かしてホームの階段を小走りで登った。お兄ちゃんは流石に追っては来なかった。新しい居場所への挑戦がこの半年悉く失敗に終わっている今、変わらないものにすがりたくなってしまう。でも、それは惰性でしかないのだ。海外リーグは好きだ、けれどこの夏休みに割いた時間を考えるとあたしは読書の方が好きなのかもしれない、人は変わっていくもので、変わっていくべきだと思う。
 駅から帰る途中のスーパーでこのモヤモヤを晴らしたくてちょっと高い牛肉を買った。フライパンが乳臭くなってしまうので苦手だけれど、にんにくも沢山入れて何とか防いで精力を付けようと考えた。あんな細っこいお兄ちゃんにいい様にされてしまう程、今のあたしには気力精力が無くて、一人で教室で戦って行ける力が薄れていると身にしみた。カゴに入れる順番を間違えた牛肉パックは表面のラップが少しよれてしまって、それでも国産と黒字に金の縁取りがしてある本当かどうかわからない荘厳な見た目をしていた。 



 次の日、よっしーが一人になるのを見計らって、昨日の事をフォローした。よっしーに話しかけるのに躊躇してしまって、酷い人見知りが出たようになって、あたしは自分がどんどん俗世離れしていくように感じた。変な感じでごめんね、一時期好きでフラれたの、と出来るだけ当たり障りの無い、フォローになっているかどうかわからない理由でお兄ちゃんとあたしの間になる変な空気を説明しようとした。
 よっしーが神妙そうに、そうだったんだ、と呟いた時、違うクラスメイトに名前を呼ばれた。
「お客さん、先輩みたい」
「ありがとう、ごめんよっしーちょっと待ってて」
 返事を聞かないまま教室の扉の近くに行くと御崎先輩が立っていた。何故か廊下は色めきたっていて、雰囲気で先輩であることを察知した周りは皆こちらを見ているような気がした。確かに先輩は子供っぽさが抜けない一年生とは違って大人びた美青年であったし、夏服を着こなすために背伸びしているあたし達とは違って完璧さを身にまとっていた。先輩はそんな雰囲気を意にも介さない感じで、あたしに話しかけてきた。
「いきなりごめんね。放課後体育祭の委員とかで抜けられそうに無くなっちゃって、でも冷蔵庫に今日賞味期限のマカロンがあるはずだから僕の分も僕に気にせず食べておいて欲しいって言っておきたくて。あ、若林さんが放課後忙しかったら無理しなくてもいいからね」
「は、はい。えっと、それ、だけ、ですか?」
「うん、別にメールでも良かったんだけど、一年生の教室懐かしいから行ってみたいなーって」
「そうなんですか……」
「友達と喋ってたところごめんね、じゃ、本当にそれだけだから」
 御崎先輩は軽く手を上げて笑顔で小首を傾げた後に、帰って行った。さっと廊下の道が空くというわけでもないけれど、さらっと一年生だらけの間をすり抜けて階段に消えた。小首を傾げた笑顔が素敵で良いもの見たなという色めき立った気持ちと、よっしーに話しかけていて本当に良かったと安堵する気持ちが混在した。
 先輩を見送ったあたしに花音が久しぶりに声をかけてきた。
「ねぇ!!あの人誰!?マイちんの先輩!?」
 いきなりの言葉と遠慮の無さ、これまでの距離は何だったんだ、という驚きであたしが声を失っていると、よっしーが同じように近づいて来た。
「花音落ち着いて、けどガチイケメンだったねー」
「部活の先輩だよ、御崎先輩っていう」
「部活!?生物部なんかにあんなイケメン居るんだね。マイちん親しいの?」
「いや、あんまり……」
 花音の勢いに押されて先輩との関係を隠してしまった。一気に興味を失ったように花音は、そうなんだ、と言うとあたしから離れていった。よっしーは溜息をつきながら、ごめんねと言ってきて、あたしは首を振った。

       

表紙

53 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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Neetsha