Neetel Inside ニートノベル
表紙

アンチヒーロー・アンチヒール
4-6 そして、彼は再び人形へ

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 薄暗い部屋の中に、獣のような荒い吐息の音が漏れていた。
 「はぁ……んむっ……」
 露出した腕に口付けをし、舌を這わせる。
 大事そうに腕を抱きかかえる姿にはいつものような事務的な態度の欠片も無く、見る奴が見れば扇情的な女の表情をしていた。
 恍惚とした瞳で俺を見据え、囁くような一言。
 「いただきます」
 がじゅり、と言う音と共にベル子の歯が俺の上腕へ文字通り食い込み、ずぶずぶと埋まってゆく。
 中途半端に千切れた肉をゆっくりと咀嚼し、完全に噛み千切って喉へと入れる。
 露出した骨を吸うように舐め、流れ滴る血を音を立てながら啜る。
 ある程度飲んだら再び肉へとその歯先を向け、飢えを満たそうと喰らいつく。
 
 何の変哲も無いベル子の食事風景だ。
 強いて前と違うところを挙げるとするなら――





 「ハァハァ……ああ……あんな淫らな表情をした鈴ちゃんが一心不乱にカイトの腕を食べてる……」




 この部屋に一人、変態が混じってると言う所か。

 「ハァハァ……ハァハァ……やばい……これはエロすぎて放送できない……俺も食べられたい……」
 そう言いながらレイジはビデオカメラを回し続ける。お前が食われたら出血多量か痛みのショックで死ぬぞ。まあ死ねばいいが。死ね。
 傷は再生するし、痛みに関しては慣れてるので、俺の方は全く問題ない。
 一時期は諸事情により毎日のようにダルマにされてた事もあった。腕一本喰われる程度、注射されるようなものだ。

 「……ごちそうさまでした」
 腹も一杯になり、すっかり元の無愛想面に戻ったベル子が赤く染まった口元を拭う。
 「いえいえこちらこそご馳走さまでした。これで当分おかずには困りません」
 変態が何か意味のわからない事を言っている。
 いつもならツッコミついでに半殺しにしているところだが、今回は約束を果たせなかった負い目がある。

 「洗脳装置」
 「……!」
 一言で、レイジの歪みに歪み切った阿呆面は能面のような無表情へと変化する。
 生気が一瞬で失せ、目の光が消えた人形のような表情。いつも爽やかな笑顔を振りまいているレイジの、文字通りの裏の顔だ。
 だが同時に、その顔は本人的にしっくりきているようにも見える。本来は、こっちの顔が自然体なのかもしれない。
 「悪かったな、約束守れなくて」
 その顔は、絶望の表情でも静かな怒りでも、ましてや悲嘆の表れでもない。
 ただただ、深く考えているのだ。集中しやすい、自然な表情で。
 「……いや、お前が気に病む事じゃない。そもそも、洗脳装置で本当に直るかどうかもわからないんだ」
 俺に向けたその表情は、笑顔だった。作り物の、消え入りそうな笑み。
 「……前から気になっていたんですけど、レイジさんはどうして洗脳装置を探しているんですか?」
 血の着いた新聞紙を片付けながら、ベル子が口を挟んだ。
 この質問は、既に俺がした覚えがある。出合った当初の事だ。確かベル子も一緒にいたはずだ。
 その時は、「ああ……ちょっとね。まあ、無理しないでいいよ。ついででいいから探してくれ」と笑って誤魔化された。
 「私はてっきり、どこかで女の子を攫ってきて、自分好みの性格にして好き勝手するために使うものだと思っていました」
 俺も最初はそんな事に加担するのはごめんだと思っていたが……洗脳装置を持ってこなかった事に対する反応は、もっと深刻なものに見えた。
 「え……俺ってそんな奴だと思われてたの……?」
 「はい」
 「ああ」
 同時に俺とベル子は頷く。
 「ひどい誤解だ……」
 「普段の行いのせいです」
 肩を落とすレイジ。
 「そうだな、そろそろ言うべきなのかもしれない。丸焦げになってまで探して貰ってる事だしな」
 「言いたくないんなら無理に言わんでもいい」
 と、ベル子に視線を投げかける俺。
 わかっていますよ、とベル子が目を伏せる。
 「いや、別に知られたくないってわけじゃないんだ。ただ、あまり聞いてて面白い話でもないかな、ってさ」
 レイジは寂しげに口の端を吊り上げ、漏らすように呟く。
 
 「俺には彼女がいるんだ。この店を始めたのも、彼女と二人でだった。
 胸も触らせてくれないような恥ずかしがり屋で、俺には不釣合いなくらいのかわいい子でさ。
 彼女の淹れたコーヒーのブレンドは、俺が死ぬその日まで毎日飲みたいと思ってたくらいだった。どうも俺には、その味は出せないみたいだ。
 で、無理矢理キスしてやろうと思ってさ。こっそり結婚指輪なんか買っちゃって、渡そうとした、その日に。
 
 ――彼女は、動かなくなった」

 表情が、曇る。
 ……いや、『澄み渡っている』のか。

 「彼女はちょっと普通の人間じゃないんだ。悪の組織にとっても、かなり特殊な存在らしい。で……嗅ぎつけられた、ってわけだ。
 狙われたのは、俺の方だった。買い物帰りに一人でいるところを後ろから殴られ、あっけなく誘拐されて……
 制御する方法を教えろって言われたからさ、断った。そうしたら、まあ軽い拷問を受けて監禁されて。
 彼女は、すぐに助けにきた。俺の所まで来たころにはすっかりボロボロでさ。牢屋を壊して、俺を抱きしめて、そのまま眠りについた。
 死んだわけじゃない。確かに生きているはずなんだが……起きない、んだ。
 情けない話だ。彼氏の俺が、守ってやらないといけなかったのに……。
 ……今も彼女は、ここの二階で眠っている。洗脳装置を繋げれば、あるいは起きるかもって思って、さ」
 
 眉一つ動かさず、レイジは語り終わる。
 俺とベル子は何も言わずに、頭上の部屋で呪いによって死んだように眠る女の姿を想像していた。
 そしてそれに寄り添う、壊れた一人の男。
 無表情を崩すことができない男の頬には、一筋の線が走っていた。

       

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