彼女の部屋は、六階の端にあった。
「取り敢えず、着替えた方が佳いです」
 僕の言葉に、彼女は小さく頷くと、バスルームに続くであろう引き戸を開けて、ふらつく足取りで中へ入って行った。
 一人残された僕は、何となく座ることも出来ずに彼女の部屋を見渡した。無機質な、瀟洒なワンルーム。セミダブルのベッド、三口のカウンターキッチン。かなり広い所を見ると、それなりに家賃は高そうだ。
 壁は打ちっぱなしの混凝土で、掛けられたアンティークの時計が現実感を麻痺させている。漠然と、ここにいたら戻れなくなる、そんなことを考えていた。


がたんっ


 どのくらい待ったろうか。突然の物音に、僕は急いで先程彼女が消えた洗面所へと向かった。
 散乱した黒い服と、真っ白い肢体。心配するより先に、幻想的な光景に圧倒された。長い髪はざんばらに広がり、細い肩に張り付いている。胸は小さく、肋が浮いていた。透き通るような左腕には、鮮やかに赤い傷痕が無数に刻まれ、その痛々しさはむしろ、彼女の美しさを助長するかのようだ。劇しい情欲を掻き立てられながら、僕は彼女の肩へと手を伸ばした。熱い。その熱で、僕は我に返った。酷い熱だ。汗とも雨垂れとも付かない液体でぐっしょりと濡れている。
 戸棚を漁ってタオルを見付つけ出すと、手早く彼女の体を拭いてベッドへと運んだ。流石に服を漁る訳にもいかないので、裸のままの彼女に布団をかける。上気した右の頬が、白い肌に映えて綺麗だった。何も言わず、色の変化のない左の頬に手を触れる。そのまま立ち去ろうとする僕の手を、彼女は弱々しく、握り留めた。彼女の表情に変化はない。どうやら無意識の行動らしい。

 彼女が求めるのが僕であろうと、他の誰かであろうと、その瞬間の僕には些末なことだった。熱に浮かされた彼女の、その傷だらけの左手から彼女の温もりを享受出来るという事実だけが、その時の僕の全てだったのだ。