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 大学は、至極つまらない場所だった。友人はあまり多くはなかったし、講義のレヴェルは低かった。同じ相手と同じような話をする。授業を受けて、家に帰って、その繰り返しの単調な学生生活。あの人と会うようになってからは、その色はさらに濃くなった。
 それでも僕が惰性でも大学へ通うのは、音楽が好きだったからだ。僕の所属するバンドは同じ大学のメンバーで構成されていた。週に一度、ライヴが近付いてからは週に三度のメンバーとの練習が生命線だった。
『三限終了後、第一音楽室で待つ』
 いつものように一人で昼食を摂っていると、バンドのヴォーカルからメールが届いた。大学の敷地の外れにある旧校舎の三階、第一音楽室と呼ばれる教室が、僕らの練習場所になっている。返信はしなかった。どちらにせよ、彼女は待っている。そういう人だ。
 ヴォーカルは、僕より二つ上の学年で、僕より三歳年上だった。可愛らしい容姿と厭味のないコケティッシュな性格で、彼女を慕う者は多い。しかし、彼女もまた、いつも独りだった。高校時代に遭った虐めが、大学での薄っぺらなアイドルのような扱いが、彼女を歪めた。彼女はその魅力故に追い詰められたのだと、僕は思う。
「随分、どうでも佳い話をするのですね」
 その話を聞いた時、僕は心からそう思った。実際に目の前にいる彼女は酷く独善的で我が儘だったし、当時の僕に取ってその容姿は、むしろ武器のようにすら思えた。
 吐き捨てるように言った僕の前で、彼女は笑った。一箇所だけ染めた金色の髪を揺らしながら、とても愉快そうに笑ったのだ。つられて、僕も笑ったと思う。それは、どうにも卑屈な響きだったけれど。

 記憶を反芻していると、いつの間にか講義は終わっていた。手元を見れば、ノートもきちんと取っている。僕はうんざりしながら荷物を纏めると、ざわめき始めた教室を後にした。
 第一音楽室へ入ると、彼女はこちらに背を向け、窓の外を眺めていた。今日はM∀Dのショキングピンクのカットソーに、PUTUMAYOの黒い、セパレートでレッグガードの付いたミニスカートを履いていた。首の所から腰の辺りまで一直線に入ったスリットから、ブラシェールのホックが覗いている。
「先輩」
 声を掛けても、彼女は振り返る素振りも見せず、代わりにただ、ひらひらと手を振った。僕は頓着せずに練習の準備を始める。ギターをケースから出し、常に持ち歩いているチューナーにシールドを繋ぎ、電源を入れる。チューニングをしていると、いつの間にか先輩が近くに来て、凝っと僕の指先を見詰めていた。お互い、何も言わなかった。チューニングが終わると、チューナーの電源を切って教室に常備されているアンプに繋ぎ直した。電源を入れながら、僕は尋ねる。
「他のみんなは、今日はこないの」
「そうみたいね。メールに返事がないから、わからないけれど」
「そうか。二人でも、練習するのでしょう」
「もちろん。『無知』を弾いて。歌うから」
 彼女は、既にマイクの前にいた。この間話し合ったセットリストには、確か入っていなかったと思う。僕は気にせず弦を弾きだした。彼女の囁くような歌声が、耳に入ってくる。



僕は何も知らない
君は何も知らない
彼は何も知らない
誰も何も知らない

吐き気を堪えてうずくまる
白目を剥いて飛びたがる
ただこの時が君を僕を
白痴に堕とす

僕は何も知らない
君は何も知らない
彼は何も知らない
誰も何も知らない

知らない知らない知らない
白目を剥いて首を振る
ただその時が僕を僕を
狂わせるんだ

(((彼は君を抱いて)))
君は僕にくちづける
(((僕は君を抱いて)))
僕は何も知らない
(((君は)))
何も知らない

僕は何も知らない
君は何も知らない
彼は何も知らない
誰も何も知らない

「知ってるくせに」



「知ってるくせに」
 歌え終えて、小さくもう一度歌のフレーズを呟くと、先輩は重そうなラバーソールを鳴らしてアンプに歩み寄り、そのシールドを思い切り引き抜いた。


ッィィイインンッ


 耳障りな断末魔が、空間に満ちる。文句を言おうとした僕の唇を、何か暖かいものが塞いだ。ぬるり、と、僕の口腔を艶しい感触が支配した。ざっくりと開いたカットソーの胸元を、更に引き下げながら引き抜いて、耳元に囁く。
「最初から、君しか呼んでいないのよ」

 誰も来ない旧校舎の、三階にある薄暗い音楽室で、僕らは醜いセックスをした。スペルマと愛液の匂いで鈍る頭の片隅で、ああ、またか、と、ぼんやりと思った。僕の下で喘ぐ彼女の上気した頬の左側に、一瞬、痣が浮いて見えた。同時に、僕はオルガスムスに達っし、欲望を吐き散らす。何度も。何度も。

 何度も、達した。
 それがどうしようもなく、
 吐き気を、誘った。


 

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Neetsha