明けない、微睡。

 次の一日を、僕は彼女の部屋で過ごした。夜明けを待ってようやく眠りについた僕らは、約三時間の睡眠で目を醒ます。同じ、夢を見たらしい。それは目醒めとともに溶けて口に出すことはなかったけれど、同時に目を醒ました僕らが、同時に相手の眼を見たことで、なんとなく、わかった。
 昨夜のことは、あまり思い出したくなかった。惨めで醜い僕は、見ない振りで僕を保つ。ずっと、そうしてきた。これからも、そうするのだろう。それはとても惨めで、醜いことなのだと思う。
「お腹が空いたでしょう。何か食べたいものはあるかしら」
 あなたは僕を責めることも詮索することもなく、日常を騙る。
「あなたが食べたいものが好いです」
 僕もまた、日常を装う。うっすらとした笑みが、少しだけ痛い。そっと手を伸ばし、頬に触れた。窓の外に遠く、喧騒が息づいている。ベルベットの手触りは今朝も健在で、時計の針は止まらない。
「何か、作ってくるわね」
 僕の手を取り、手の甲に軽く口付けると、彼女は台所へと歩いて行った。揺れるナイトドレスの裾を見ながら、僕はまたベッドに横たわった。なんだか現実感がない。窓の外には確かに日常があるはずなのだけれど、白い二級遮光のカーテンがそれを拒んでいた。雨はもう、止んだろうか。

 彼女に呼ばれて食卓につくと、彼女は僕にオレンジジュースを注いで寄越してくれた。
「ありがとうございます」
 食卓には、サラダとスクランブルエッグ、それからソーセージが二本、一つのプレートに乗せられていた。白磁で出来たそのプレートは、周りを金で縁取られ、シンプルながらも上品な印象を投げかけていた。
「目玉焼きの方が、佳かったかしら」
「いえ、こっちの方が好きです」
「良かった。ベーコンを、切らせていたものだから」
 いつもの、うっすらとした笑み。愛おしい表情。透明な貌。僕の醜さを知って尚、あなたはそうして微笑って下さるのですか。汚れた僕が許されるとして、それでも僕にはこの透明さを享受する権利はないように思う。
「音楽、お好きなんですか」
 目を逸らしながら、僕は聞いた。
「ええ。普段は、クラシックしか聞かないのだけれど。
 あなたのギターは好きよ。とても好き」
 僕は、もっと目を伏せて仕舞った。スクランブルエッグを口に運ぶ。
「……美味しい」
 思わず、呟いた。
「良かった。でも、スクランブルエッグなんて誰にでも出来るわ」
「でも、美味しいです」
「ありがとう」
 ふふふ、と、彼女は上品に笑った。

 僕らはその一日を、何もせずに過ごした。二人並んでベッドに横たわり、微睡みと覚醒を繰り返し、繰り返す。目が合う度に、僕らは口付けを交わした。彼女が眠っている時に目が醒めると、僕はそっと彼女の痣に触れた。そうしてまた、気怠い眠りに堕ちる。それは限りなく怠惰で、甘美な時間だった。
 僕が何度目かの眠りから醒めると、隣にいるはずのあなたがいなかった。緩慢に体を起こす。トイレの方から、水の流れる音がした。
「どうしたの、怪訝な貌で」
 リビングに入るなり小首を傾げたあなたに首を振る。そんなに、妙な顔をしていたろうか。
「少し、寝過ぎて仕舞ったわ」
 伸びをしながら、あなたが言った。
「……少し、散歩に出ませんか」
 僕はそう、訊いてみた。あなたは時計を見上げて、頷く。
「着替えるから、待っていて」
 ウォークイン・クローゼットを開け、所々クラッシュの入ったドレスを取り出す。真っ黒い生地に、alice auaaの白いタグがそっと佇んでいた。
 彼女はそれを大事そうに抱き抱え、洗面室へと、消えて行った。