嗚呼、厭になる 厭になる
風は何時でも冷たくて
私は何時でも生温い
嗚呼、夜が行く 夜が行く
星は何時でも哀しくて
私は何時でもひとりきり
独りの私に慣れすぎた夜
寂しさすらも音をなくした
夢さえ見ない暗すぎる夜
明日が来ないことを望んでいる
嗚呼、朝になる 朝になる
光は何時でも恐ろしく
私は結局ひとりぼっち
独りの私に慣れすぎた朝
哀しみさえも色をなくした
夢さえ見えない明るい朝
私は、私は――
S&M's、当日。
いつもより大きなライヴハウスのステージの上で、僕はまるで機械のように、正確にコードを拾っていた。この間の、練習の時と同じだ。色も熱もない、何の面白味もない、音。周りは誰も気にしていない風で、否、そこに気が付いているのかも知れない。腕を振る人。ヘッドバンキングをする人。何となくリズムを刻む人。好き好きに体を揺らす人々は皆、同じ顔に見える。
ギターソロに入る、その直前のフレーズだった。ライヴハウスの奥の方、入口の近くにちらと目を遣った時、僕の視線はそこに釘付けになった。薄暗い照明の中で、白く映える肌。暗がりに溶け込むかのような、黒い服。顔の半分は赤黒い痣の為に、服と同様ライヴハウスの暗がりに沈んでいる。
間違いない。あの人だ。
瞬間、音に血液が通いだした。色を、熱を、取り戻す。音が、音楽に変容する。
ああ、気持ちが快い。
始まったギターソロを、僕はアレンジを入れながら弾き出した。もう、機械のような、つまらない音はそこにない。
先輩が、ちらと僕を見た気がした。けれど、すぐにまたボーカルパートに入ったため、また観客の方へ向いてしまった。
曲が終わって、彼女の方を見遣ると、あの人は微かに笑っているように見えた。
「最後の曲」
先輩が短く叫び、反射的に僕の手が弦を弾き出す。すぐに感情が追い付いた。穏やかなギターソロによる前奏が終わるや否や、劇しいドラムの音で曲調は一変する。
『無知』。
僕は何も知らない
君は何も知らない
彼は何も知らない
誰も何も知らない
吐き気を堪えてうずくまる
白目を剥いて飛びたがる
ただこの時が君を僕を
白痴に堕とす
僕は何も知らない
君は何も知らない
彼は何も知らない
誰も何も知らない
知らない知らない知らない
白目を剥いて首を振る
ただその時が僕を僕を
狂わせるんだ
(((彼は君を抱いて)))
君は僕にくちづける
(((僕は君を抱いて)))
僕は何も知らない
(((君は)))
何も知らない
僕は何も知らない
君は何も知らない
彼は何も知らない
誰も何も知らない
「知ってるくせに」
先輩はあの時と同じように、曲を終えてからもう一度「知ってるくせに」と呟いた。それはマイクによって拡散され、エコーがかってライヴハウスに満ちた。同時に、明かりが落ちる。観客が、大きな歓声を上げた。僕らのステージが、終わった。
明かりの落ちる直前に見たあの人の顔は、うっすらと、微笑っていた。懐かしいような、愛おしいような、嗚呼、僕は彼女のその笑みを見た瞬間の、その感情を表す言葉を知らない。真っ暗なライヴハウスの中で、僕は彼女を呑み込んだ闇を眺めながら、初めて会った日の夜を思い出していた。ステージを切り替えるための、幕が、音もなく降りていた。
裏口から準備室へ退いて、僕はまたすぐにホールへ戻った。ホールでは、バンド同士の繋ぎに、DJが曲を流していた。あの人は、既に見当たらない。先程いた場所にも、ゆらゆらと踊っている人の中にも、いない。
正面から出て、階段を駆け上がる。彼女は、いなかった。空の上で、高く、高く、月が笑っている。