Neetel Inside 文芸新都
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「申し訳ないけれど、先に帰る。
 後をよろしく」
 先輩が止める声を振り切って、僕はギターを背負ってライブハウスを出た。最寄の地下鉄駅は閑散としていて、少し澱んだ、冷たい空気に満ちていた。電車を待つ時間が、どうにも落ち着かない。
 カツ、カツ、と、靴が階段を打つ音が聞こえた。一瞬、先輩のロッキンホースバレリーナを思い出した。はっとしてそちらを見遣るも、そこには見知らぬ少女が一人いるだけで、他には何もない。アナウンスが鳴って、電車が滑り込んでくる。僕は一つ頭を振って、誘うようにドアを開いた電車に乗り込んだ。

 二度の乗り換えを経て、僕は自分のアパートのある街に着く。家には帰らず、真っすぐ公園へ向かった。いつもの風景。薔薇園の入り口の、いつものベンチ。そこには、夜を凝縮したような、あなたの姿があった。
 近付くと彼女は、両腕をぴんと張ってベンチの縁を掴み、ぐったりと項垂れていた。
「……あの」
 僕が声をかけると、彼女はびくりと体を震わせ、ゆるゆると顔をあげた。薄く、薄く、彼女は微笑う。酷く、憔悴している。
「ライヴは、もうよかったの」
「ええ、大丈夫です。
 僕らの番は、終わったので」
「そう」
 彼女は一つ頷いて、また下を向いて仕舞った。僕は、彼女の隣に腰掛ける。あなたの肩は、小さく、震えている。
「……人込みがね、怖いのよ」
 ぽつりと、あなたは言った。
「どうしようもないの。ずっと、こうだから。怖くて仕方がない。
 いつだったかな、電車にも乗れなくなって、なんとか我慢して高校までは通ったけれど、結局仕事も出来なくて。父の遺産があるから、生活には困らないのだけれどね。
 ごめんなさいね。情けないったら、ないわ」
 でも、と、彼女は僕の目を真っすぐに見ながら続ける。
「先刻のライヴハウスにいた時、あなたの奏でる音の中にいる間は、怖くはなかったわ。あんな感覚は初めてだった。
 ありがとう」
 何も言わず、僕はあなたの肩を抱いた。僕はいつか、あなたを救えるのだろうか。その過去も、その恐怖も、消し去ることが出来るのだろうか。
 そういえば今日は、いつもより随分ラフな恰好をしている。Black Piece Nowのカットソーに、同じメゾンのボックススカート。首元のチョーカーが愛らしい。以前も一度、彼女はこんな恰好をしていなかったろうか。
「家へ、いらっしゃいな。
 一緒にお茶は如何」
 微笑みながら、あなたは立ち上がった。宙に浮いた左手を引きながら、僕は頷く。月の明かりの下で、白い肌が何時にも増して映えて見えた。一瞬、僕の全身はあなたのその肌に指を滑らせたい衝動に貫かれる。それを抑えつけたまま、僕もまた立ち上がり、あなたと二人で歩き出した。

       

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