Neetel Inside 文芸新都
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「そういった患者さんは、当院には入院していませんね」
 受付で母の名前を告げた僕に太った、しかし見るからに健康そうな看護婦は、カウンターの向こうでファイルを取り出し、それを面倒くさそうに検めながらそう答えた。
「待ってください、そんなはずはありません。
 母は、どこですか」
 思わず声を荒げた僕に、看護婦はびくりと体を震わせて、「お調べいたしますから、こちらで少々お待ちください」と言い残して奥へと小走りに消えていった。
 隣であなたが、心配そうに僕の顔を覗き込んでいるのがわかる。僕はあなたと目を合わせることはせず、ただ看護婦が去った方を食い入るように見つめていた。退院、したのだろうか。いつのことだろう。もしもそうならば何も言うことはないけれど、厭な胸騒ぎが、じわじわと心の底から噴き出しているように感じる。気持ちが悪い。
 先ほどとは別の、少し歳のいった看護婦が奥から出てきた。彼女は僕にもう一度母の息子であることを確認すると、伏し目がちに封筒を差し出し、
「この封筒に、ご実家の住所が入っています。いつかあなたがここへ来ることがあれば渡して欲しいと、ご両親に頼まれました」
 と、そう言った。
「どういう意味です。そこへ行けば、母に会えるのですか」
 声を押し殺して言う僕に、看護婦は答えない。代わりに、
「受け取って下さいますね」
 と、静かにそう言った。僕は返す言葉を持たず、その封筒を受け取るより他に術を持たない。礼を言うこともせず、そのまま踵を返して僕は出口へと向かった。あなたが慌ててついてくるのが、気配でわかる。大きな荷物も、手の中の封筒も、歳のいった看護婦も、僕を嘲笑っているように感じる。その全てが気の所為だとして、このどうにも形容し難い厭な気分はなんだろうか。
「待って、少し待って頂戴」
 後ろから、あなたの声が聞こえる。僕は尚も歩を進め、駐車場に入ったところで、足を止めた。あなたは僕の前に回り込む。何も言わず、ただ少し上がった息を抑えながら、じっと僕の目を見つめている。急に頭の奥が冷えていくのを感じた。手の力が抜け、固く握っていた所為でひしゃげた封筒が、軽い音を立ててコンクリートに転がった。片手で帽子を押さえながらあなたはそれを拾い上げ、その細く華奢な指先で丁寧に封筒の皺を伸ばした。ずいと、彼女は封筒を僕へと差し出す。
「行きましょう。
 私がいる。あなたには、私がいるわ」
 恐る恐る差し出した僕の手を、あなたはぐいと引き寄せてしっかりと封筒を握らせてくれた。あなたの瞳が、今まで見たことのない色で、力強く光っている。

       

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