「情けない声ださなくても、私はそんな風に思ってないってば」
「ほんとに?」
「じゃなきゃ。繭歌を迎えに行ったりしないって」
「そっかそか……」
嬉しそうに、繭歌は安堵のため息をついた。
会話が終わり、互いに無言になる。室内を無音が支配する。
「じゃあさ、私からも聞いていい?」
繭歌はまだ、トイレからまだ出てきそうにないので。今度はこちらから質問を投げる。
「うん、いいよー。なんでも聞いちゃってよ」
「繭歌の家族ってさ。どんな人なの?」
「あはは。なんだかいきなりだね」
「一緒に旅するわけだし?もっと繭歌の事知っておきたいなって思っただけ」
「そっか。うん、それは嬉しいね。うーん、そうだなぁ。お母さんは普通の人だよ。ちょっと気が弱い感じで……後は、3つ上のお兄ちゃんがいるかな。二人ともちょっと頼りないけど。私は大好きだよ」
「へぇ、繭歌にもお兄ちゃんいるんだ」
「うん。七海ちゃんもお兄さんいるよね」
「あれ?私、話した事あったっけ?」
「クラスじゃ有名だよ。三丁目の交番にいるお巡りさんは七海ちゃんのお兄さんだって」
「そ、そうなんだ。有名なんだ」
は、恥ずかしい。
知らないところで、自分の家族を見られるのってなんだか凄く恥ずかしい。顔から火が出そうになるとはまさにこういう時に使う言葉だろう。
「私も見た事あるけど、良い人そうだよね。頼れるお巡りさんって感じで」
「そうかなぁ。家じゃいつもゲームしたり、ごろごろしてるだけだから」
制服を着たお兄ちゃんと、外で会うのがなんだか恥ずかしくて。私はできるだけお兄ちゃんの勤務する、三丁目には近づかないようにしていた。
だから、家に居る姿以外のお兄ちゃんの事はよく知らない。
家ではだらだらして、事なかれ主義で、結構どうしようもない人だなぁ。と私は思っているけれど。家族以外の人から見れば、それはまた違う風に見えるものなのだろうか?
頼れるおまわりさん、みたいな。
全然イメージわかないけど。
「そういえばさ、お父さんはどんな人なの?」
「お父さん……」
「う、うん」
何気ない、自然な会話の流れの……はずだった。
繭歌の表情はこちらからは見えない。けれど、返事のニュアンスでなんだか微妙な空気になってしまったのがわかる。
もしかしたら、もしかしなくても。私は聞いてはいけない事を聞いてしまったのだろうか? 私の家にも外には言えない事情があるように。繭歌の家にも人には言えない訳ありな事情があったのかもしれない。
迂闊の事聞いちゃったかな。
「あのさ。言いにくい事なら別に無理に言わなくていいよ」
「言いにくいっていうか……うーん。父親はいるんだけど、いないみたいなものっていうか」「いるけど、いない?」
繭歌の言っている事がよくわからない。
「一応いるけどさ……違うんだよね。あいつは父親なんかじゃないよ」
あいつ。自分の父親をそう呼ぶ繭歌の声にはものすごい怒りというか、もっと深いもの。憎しみが込められている気がした。
「あんな奴、さっさと死ねばいいんだ……」
「え?」
私は耳を疑った。一瞬、聞き間違いかとさえ思った。
死ねばいい。その言葉が、凄く衝撃的で。繭歌のイメージからかけ離れてて。
屋上で聞いた、あの声に凄く似ていたから。
どう反応して良いのかわからなかった。
「繭歌?」
とても冷たい繭歌の声に。何かを確認するみたいに、私は不安になって聞き返す。
「ん?なになに?」
またスィッチが切り替わったみたいに、繭歌の声のトーンはいつもの可愛い鈴鳴りのような声に戻っていた。
「あのさ……」
うまく言えない自分がもどかしい。
何か言わなきゃと、焦るほどに言葉は出てこない。
私が何も言い出せずにいると。会話を中断するように、ちょろろ、と水音が一瞬聞えた。
その音が何なのかわかって、緊張感の糸がぷっつりと途切れてしまう。
そこで、この話題はお終いになった。
「ちょ、ちょっと繭歌!」
個室に向って私は叫ぶ。
さっきまでの重苦しい空気が嘘みたいに、ばたばたと騒がしさが戻ってくる。
「あわわわ。出ちゃう、たんまたんまー」
慌てた繭歌の声の後、ざー、と勢いよく水の流れる音が聞える。
「はぁ。間に合ったぁ」
「ほんと、気をつけてよね」
「あはは、ごめごめ。あ、でもでもさ七海ちゃんだから私は恥ずかしくないけどねー」
「私が恥ずかしいってば」
いくら友達とはいえ、用を足す音を聞かされるのは、とても抵抗がある。
もし、逆の立場で自分のトイレの音を繭歌に聞かれたりしたら、きっと恥ずかしくて顔を合わせられない。
からからと、トイレットペーパーを巻きとる音と、衣擦れの音の後。すっきりした顔で個室から出てきた。
「はぁ~すっきりした。七海ちゃん、おまたせー」