Neetel Inside ニートノベル
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 人生経験が少ないなら少ないなりに想像力だとか、知恵を絞って。目の前の壁とか難しい事とか、そういうあらゆるややこしい事に対処して行かなくちゃいけない。
 繭歌が呑気に構えているなら、私がしっかりしなくちゃ……。
「だって、良い人に見えたって。裏では何考えてるかわかんないでしょー?」
「そんなん言い出したら。なんぼ、繭歌ちゃんがええ人や言うてくれても。俺かて腹の中は何考えとるかわからんやん?」
「それはないない。熊田さんは良い人」
 繭歌は断言する。まぁ、その自信に根拠なんてないんだろうけど。
 でも、熊田さんに限って言えば。私も同じ意見かな。
 清廉潔白な人なんて世の中にいないとしても。良い人か悪い人かで言えば、私も熊田さんは良い人だと思う。
「なんや、かなわんなぁ……」
 熊田さんは恥ずかしそうに下を向いて、すっかり短くなった煙草をそれでも、すぱすぱと吹かし続けた。
 結局、話はそれで終わりになって、熊田さんはとりとめのない世間話に話題を変えた。私達も混じって話しこんでいるうちに、すぐにトラックの出発時刻がやってきた。
 食堂から外に出ると、トイレから出た時よりも更に気温が下がっていて。上着を着ていても、肌身が冷たく感じる。
 私よりも更に薄着な繭歌は体を丸めて寒さから早く逃げるように、一目散に小走りでトラックに向っていく。
 これから、野宿をする事だってあるだろうし。どこかでもうちょっと分厚い上着を買ったほうがいいかもしれない。
 私と繭歌が乗り込むのを確認すると、熊田さんはゆっくりとトラックを発車させた。
 一台も車の通っていない道路に進入したトラックは、再び目的地へのルートへと戻っていく。
 お菓子と。ジュースと。プリンと。お腹はすっかり一杯だ。もう、今日はこれ以上何も食べられそうにない。 
 大型トラック独特の、ゆったりとした揺れと。エアコンの温かさが、疲れた体に心地よく。緩やかな眠りを誘ってくる。
 瞼が何度も重くなり、完全に閉じそうになる度に、なんとか意識を保って瞼をこじ開けるという事を、何度も繰り返す。
 トラックがパーキングエリアを出て30分もする頃には、眠気と戦う私とは間逆に。繭歌は私の肩にもたれかかり、静かに寝息を立てていた。
 何度か、逆方向に繭歌の体制を持っていこうと考えたけど。幸せそうな寝顔を見てると、それで起こしてしまったら可哀想だなと思い。結局、そのまま我慢する。
「眠かったら、寝とって全然かまへんで?多分、着くのは明け方頃になるさかい」
「あの、でも……熊田さんが起きてるのに、私だけ寝るっていうのは」
「あー。そんなん気にせんでええよ。トラック乗りは夜通し走るなんてしょっちゅうの事やし。なんだかんだで昼間に寝たりしてるさかいな。実はそんなに眠ないねん」
 確かに、熊田さんの顔からはあまり疲れを感じない。
 トラックの運転手という仕事を、私はよく知らないけれど。昼夜逆転の生活が当たり前のようだ。
「お、そろそろ県境やで。自衛隊の人らが検問張ってはるわ」
 前を見ると、熊田さんが言った通り。迷彩服に身を包んだ人達が、何やらものものしい雰囲気で赤い点滅する棒を頭上で真横に構えてトラックに停まるように合図した。
「お仕事ごくろうさんです」
 指定された位置にトラックを停めて、エンジンを切った。窓を開けて。熊田さんは自衛隊の人に愛想よく挨拶をした。
「いえ、こちらこそ。お手間をとらせてすいません。免許証の提示と、荷物の確認にご協力をお願いします」 
「はいはい。ちょっと待ってくださいね。これ、免許証と積荷のリスト表です」 
 熊田さんは慣れた手際で免許証を財布から取り出し。数枚のコピー用紙と一緒に自衛隊の人に手渡す。隊員さんは厳しい顔で、免許証と熊田さんの顔を交互に2、3度見比べてから。表情を崩し、熊田さんに免許証を返却した。
「いま荷物のほうを確認しています。もうすぐ終わりますので……あの、失礼ですが。そちらの方達は?」
 自衛隊の人の表情が、再び厳しいものに変わる。あからさまに疑いの目を向けられているのがわかった。
 確かに自衛隊の人が疑うのもしかたないと思う。こんな時間に、運送トラックに明らかに未成年の私達が
乗っているというのは、どう見てもおかしな状況だ。
 とにかく、ここで私達の身元がばれてしまうと。早くも家に連れ戻されかねない。
 なんとか、誤魔化さないと……。
「この子らですか?うちの嫁さんの親戚の子で。ばあちゃんのとこまで連れていくんですわ。俺もたまたま今日はこの辺を通る仕事やったんで、ついでにと思いまして」
 私が何か言いかける前に。熊田さんは、さも当たり前という調子で、自衛隊の人に説明しはじめた。
 あまりにも、自然に話すので。私は熊田さんの言葉に合わせて。できるだけ、それっぽく頷くしかない。
「こんなご時世ですやろ?やっぱり、ばあちゃんにも会える時に子供らに会わせてやりたいですやん」
「なるほど……確かにそうですね。この先どうなるかわからない世の中ですから……」
 精悍な顔つきで自衛隊の人は頷く。それ以上は、何も聞かれる事はなく。私達は荷物の検査が終わるまでおとなしく車内で待った。
 しばらくすると、トラックの荷台が締まる音が聞える。
 自衛隊の人は、胸についているレシーバから聞える声に、何度か頷いてから。再び熊田さんに話しかけた。
「ご協力ありがとうございます。荷物のほうも記載物通り問題ありませんでした。検査は以上ですので、通行してもらって結構です」
「おおきに、お仕事ご苦労さんです」
 熊田さんは小さく頭を下げて、シートベルトを締めてから。トラックのエンジンをかける。
「おばあさんに会えると良いですね」
「あ、はい。ありがとうございます」
  最後に自衛隊の人が優しく声をかけてくれた。下手な事を言うわけにはいかないので、笑顔を作って、会釈だけを返しておく。
 車体の前に置かれていた小さな鉄柵が取り除かれ。自衛隊員の人の誘導に沿ってトラックは検問を通過した。検問を通過して5分も走らないうちに県境を越えた事を示す看板が目に入った。 町を出た時にはどうなる事かと思ったけど。越えてしまえば、どうという事はなく。拍子抜けするぐらいに呆気ないものだった。
「あの、助かりました」
「ん? 俺なんかしたっけ?」
「自衛隊の人に……」 
「ああ、あれかいな。あそこは、ああでも言っとかんと俺も困るとこやったし。お互い様みたいなもんや」
 それにしたって。咄嗟にあんなにもすらすらと言葉が出るものなんだろうか。
「ほら、俺ヤクザやっとったやろ。誇れる事ちゃうけど……ヤクザっていうのは。人を脅すか騙すかが商売みたいなもんやったから。ああいう嘘もとっさに言えなあかんのんよ」
「そういうものですか」
「そういうもんやなぁ」
 熊田さんは真面目な顔で言った。
 それから車内は無言になった。道路を走る音と、繭歌の寝息だけが聞える。
 寄りかかってる繭歌の口の端から垂れた涎が、私の服の肩口に流れ、小さな染みを作っていた。
 お気に入りの服なのに……。
 繭歌の馬鹿。私はそっと、繭歌の頭を撫でた。
 私も眠気が限界に近づいてきたので。シートに深く体を沈めて瞼を閉じる。
 今日一日で、色んな事が起こった。急な変化に、まだ心も体もついていけていない。
 とにかく、疲れた。今はゆっくり眠りたい。
 周りの音がすぐに遠のき、疲労感が全身を満たしていく。  
 次に目覚めたら、私の目にはどんな景色が映っているのだろう。
 とにかく。今は、おやすみなさい。

       

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