Neetel Inside ニートノベル
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 窓の外から聞こえる雨音で、目が覚めた。
 いつ降りはじめたんだろう?
 日が完全に沈んでいるのか、部屋は真っ暗だ。手探りで携帯を探し、液晶画面で時間を確認する。
 暗闇の中で光る画面が、目に痛いぐらいに眩しい。時刻は七時を回っていた。
「うぁ……寝すぎたぁ……」
 まずい。
 ほんの少しだけのつもりが、思いっきり爆睡してしまった。
 眠る前から減っていたお腹はもう限界で、痛いやら胃酸やらで、大変な事になっている。
 この時間なら、誰か起こしにきてくれてもいいのに。
 一度、大きく伸びをして。私は一階に降りる事にした。
 リビングに入ると、お父さんも、お母さんもとっくに仕事から帰ってきていた。いつもの、見慣れた夕食の風景が広がっている。
 至って普通の、ごくごく平和な家庭の団欒。
 ……外見だけは。
「あら、七海。やっと起きてきたの」
 お兄ちゃんの茶碗にご飯をよそいながら、お母さんが呆れた声で聞いてくる。
「起きてきたのじゃないよ。ご飯なら、起こしてくれてもいいじゃんか」
「起こしたわよ、二回も。それなのに、七海ってば全然起きないんだもの」
 ぱたん。と、炊飯器の蓋を閉め。お母さんは私の抗議を遮った。
「まぁ、あれだ。七海も、育ち盛りだし。俺も、学生の頃はよく眠くなったもんだ。そういう時期なんだろう」
 お父さんが、ビールの入ったコップ片手に、私をフォローする。けれど、私はお父さんを無視してそのまま、空いていた椅子に座った。
「うっさいな……」
 そんなに大きな声ではなかった、と思う。
 けれど、私が発したその一言で。リビング全体に、なんとも微妙な空気が流れるのを感じる。
 困ったような、それでいて情け無い表情で。お父さんは小さく咳払いをひとつすると、テレビのほうを向いて。「今日は勝ってるなぁ」とかなんとか、野球の試合を観始める。 普段、そんなに野球に興味なんてないくせに。
 なに、それ? わざとらしい。
 なんで、当たり前みたいに、父親面できるわけ?
 私の知るお父さんは、ごくごく普通のサラリーマンで、絵に描いたような良い父親だった。 つい、この間までは。
 でも、今は違う。
 私、知ってるんだよ? お父さんが外に愛人作ってて。いつも、仕事の付き合いだなんて言ってさ。こそこそ愛人のところに通ってるの。
 つまり、お父さんは私達を裏切ったんだ。
 お母さんもお母さんだ。
 薄々気づいてるなら、ちゃんとお父さんに言えばいいじゃん。変に知らないふりしてさ。
 何を気にしてるの? 何を守りたいの? ご近所の体裁?
 そんなに、うちには問題ないって事にしておきたいわけ? そんなの、もう。なんの意味もないよ。だって、ご近所じゃとっくに噂になってるんだから。
 そんなに必死になっても、我が家の歯車なんてとっくにボロボロだよ。噛みあってなんかないんだよ。
 どうしようも無いぐらい、ばらばらなんだよ? 気付こうよ……。
「ほら、今日は七海の好きな魚の煮付けよ」
「わ、ほんとだ。お母さんの煮付けってほんとおいしいよね」
 淀んだ空気をほぐすように、お母さんは、場を取り持とうとする。私も、機嫌を直したように明るく振舞った。
 まるで、さっきまでの事なんて、何もなかったみたいに。
 本当は、言いたい事がたくさんあるけど。これ以上はあえて言わない。言ったところで、しょうがないのもわかってる。だから、私はいつもと同じように心に仮面を被せる。
 そうやって、今まで。色々な傷みから、自分の心を守るために、何枚もの仮面を被り。何重にも心に鍵をかけてきた。
 自分の一番大事な場所が、ぽきりと折れてしまわないように。 
 煮付けの身をほぐしていると、ご飯をかきこんでいるお兄ちゃんと、視線があった。
 なに?
 私は無言で尋ねる。
 お兄ちゃんは、何も言わず。すぐに瞼を伏せて、食事を続けた。
 ゲームをしている時とは、別人みたいに怒ったような険しい顔だ。
 こういう時、お兄ちゃんは何も言わない。じっと、我関せずを貫き。ただ、状況が良くなるのをひたすら待つ。ゲームの中の世界を毎日救うお兄ちゃんは、現実の世界も救えず、ばらばらの家族をどうする事もできない。
 私みたいに、ささやかな牙さえ見せない。
 だから、期待しない。
 お兄ちゃんの根性なし。
「なんか、馬鹿みたい……」
 家の中で、ずっとお芝居をやってるみたい。
 お母さんも、お父さんも、お兄ちゃんも。そして、私も。みんな馬鹿だ。大馬鹿だ。
 不意に、くやしさと、情けなさがこみ上げ。泣きそうになる。
 なんで、こんな事になってるんだろう。
 このままじゃ、世界が滅ぶ前に。我が家が滅んでしまう。
 涙をかみ殺して呑んだお味噌汁は、なんの味もしなかった。
 お腹は空いていたはずなのに、お茶碗半分ほど食べたところで、私は箸を置いた。
「あら、今日少ないじゃない。お腹減ってないの?」
「そういうわけじゃないんだけど。なんだろ、風邪でもひいたのかな」
 まさか、この場にいるのが嫌だから。ご飯を食べる気がしない。と、言うわけにもいかず。私は嘘をついて誤魔化した。
「なら、もっと早く言わないと。風邪薬飲む?」
 おかあさんは、私の言葉を鵜呑みにして。心配そうに、薬を探しに行こうとする。
「ううん、大丈夫。そんなにひどくないから」
 作り笑いでお母さんを引きとめ。私は、自分の部屋に戻る事にした。 
 階段を上がっている途中、お母さんが暖かくしておくのよって言ったけど。そんなの、どうでも良くて。早く一人になりたくて。やけに長く感じる階段を、幽霊みたいにふらふらと上がった。

       

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