Neetel Inside 文芸新都
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天使とナイフ
前編

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     1

 彼がおこしたとされる事件で、記録上最も古いものは、今から二十年以上も前に遡る。それは私が警官という職に就く、数年前の事だった。たしか、それなりに大きく報道されたと思う。事件の現場は病院。被害者は新生児だった。
 次の事件はその翌年。被害者は、一歳になったばかりの男の子だった。この時点ではまだ誰も、昨年の新生児殺害事件との関連性を疑うものは無かった。
 警察が、この事件が所謂『連続殺人事件』だと気がついたのは、最初の事件から三年後。私が警官になった、初めの年だった。
 一歳の男の子が殺されたその翌年に、二歳の男の子が殺された。そして、そのまた翌年には、三歳の男の子が殺されたのである。被害者は全員、栗色の髪をした男児で、凶器は同じナイフによるものと考えられた。
 連続殺人事件として改めて捜査される事になり、私は最初の事件があった病院へ、聞き込みに行った(と言っても、私の仕事は先輩の横で、ただただメモをとり続けるだけのものだった)。
 すでにほとんどの人間が、事件があった日の事を忘れてしまっていた。誰か不信な人物がいなかったかという質問に、病院のスタッフは口をそろえて「わからない」と答えた。
 その時の聞き込みで得られた情報のうち、新たな情報はひとつだけ。あるスタッフが「そういえば、小さな子供が見ていたね」と答えた。それは当時の証言には無いものだったが、自分も先輩警官も、重要には思わなかった。
 しかし、署に戻ると、他の事件の聞き込みをしていた者からも、同様の証言が得られていた事がわかった。
 二番目の被害者である一歳の子供は、母親の買い物中、ちょっと目を離した隙にベビーカーの中で殺されていた。子供が殺されている事に、最初に気付いたのは母親だった。母親が我が子の死体を見て、叫び声をあげた少し前、一緒に来ていた友人とのおしゃべりに夢中だった母親の横で、ベビーカーを覗き込む小さな子供が目撃されている(その時、母親も友人の女性も立ち止まって話していたが、その子供には気付かなかったそうだ)。
 二歳と三歳の男の子が殺されたのは、どちらも公園だった。その時も、被害者に話し掛ける、見知らぬ子供が目撃されている。
 それらの証言から、犯人は子供なのでは、という疑いが浮上した。しかし、子供の容姿は一年間で劇的に変わる。再度、念入りに聞き込みをしたが、その怪しい子供が、果たして同じ子供なのか、証言から特定する事は不可能だった。


 事件はその後、(季節はまったくバラバラではあったが)何と延べ十年にも渡って繰り返された。
 最後の被害者は十歳の、やはり男の子だった。
 遺体は人通りの少ない、小さな川の、橋の下で発見された。
 周囲の聞き込みの結果、今回も被害者と一緒に橋の方へと歩いて行く少年がいたという、目撃情報を得た。その証言によると、少年の容姿は前年におこった事件の際に目撃されていた少年の容姿と、酷似しているように思えた。
 捜査陣はその証言に沸いた。とにかくこの事件に関する証拠は、不自然なほどに少なかったのだ。十年でそれなりに昇進し、捜査でも多少重要な役割を任されるようになっていた私も、この証言には思わず手を叩いて喜んだ。
 しかし、その年も、犯人を捕まえる事はできなかった。
 そのうえ、翌年以降、事件はぱったりとおこらなくなってしまったのだ。
 事件がおこらない事は喜ばしい事であったが、正直私たちは困惑した。ここ数年、得られる証言や証拠は増加傾向にあった。捜査技術も年々向上している。不謹慎ながら我々は、後二年は事件が続く事を期待していたのだ。
 その後も捜査は、文字通り必死に行われた。このまま犯人が逮捕できないとなれば、それこそ警察の威信に関わる。
 しかし、必死の努力も虚しく、新たな証言も証拠も、得る事はできなかった。
 結局、それからたった五年後には、捜査本部は大幅に縮小され、事実上の解散となった。
 一応捜査は継続されたももの、私は別の事件の捜査へとまわされたのだった。


 次に事件がおきたのは、今から三年前。
 今度の被害者は、子供では無い。
 今度の被害者は、聖職者だった。
 当初警察は、当たり前ではあるが、この事件の犯人が、まさかあの『連続児童殺害事件』と同じ犯人とは考えもしなかった。しかし翌年、また聖職者が殺され、凶器が昨年の事件と同じナイフだと断定された時、捜査の方針はガラッと変わった。
 そのナイフは、「連続児童殺害事件」の凶器と同じものと考えられたのだ。
 凶器が同じというだけで、別の犯人である可能性もあったが、手口が類似している事から、その可能性は低いように考えられた(類似している事のいくつかは、公に発表されていないものだった)。
 細々と続けられていた、『連続児童殺害事件』の捜査本部は新たに『宝飾ナイフ連続殺人事件』として再設置される事になった(凶器のナイフは実用的なものでなく、宝飾品の類である事は、かなり早い段階でわかっていた)。
 私は、その捜査のリーダーに任ぜられた。
 何度も聞き込み調査に出向き、何度も現場に足を運んだ。
 何とか自分の手で、犯人を捕まえたかった。
 しかし、去年もまた、事件はおきてしまった。
 前の二件と同様、事件は教会の中でおきた。死亡推定時刻は、どれも深夜。教会に門番などはいなかった(それが当たり前なのかも知れないが)。目撃者も、近隣に物音を聞いた者もいない。どれも小さな教会で、中には殺された者以外は誰もいなかった。
 そう、殺されたのは皆、神父だった。
 どの神父も、世間からの信頼は厚く、教会本部(そう呼ぶのかどうかは私は知らない)からの評価も高かった。殺される理由など、無いように思えた。それは、先の事件における被害者だった子供たちにも、(もちろん)言える事だった。
 捜査は難航した。
 目撃者もいない、証拠も凶器が同一と鑑定された以外、ほとんど無かった。
 リーダーに任ぜられてから、まともに眠れる日は無かった。前は年に一度と決まっていたが、(今のところはともかく)今回はどうかわからない。私は上からも下からも責められながら、日々犯人逮捕の為に奔走した。
 しかし、犯人の尻尾は、どうしても掴めなかった。
 二十年近くも殺人を繰り返していて、何故、犯人を特定できないのか。あまりに証拠が無い為、裏で何か大きな力が働いているのでは無いかと疑った。だが、それを暴くのは、殺人犯を特定する以上に難しい問題だった。


 その日は、この冬初めての、雪の日だった。
 街はクリスマスカラーに染まっている。
 今年も、クリスマスを家族と過ごす事は難しいかもしれない。私は息子への言い訳ばかりを考えていた。
 私は、ふらりと教会に立ち寄った。
 信仰心からでは無い。今回の事件を担当するようになってから、何となく、教会を見かけると中に入らずにはいられなくなっていた。教会に行く者の理由は様々だろうが、こんな理由から訪れるものは自分だけだろうと思った。

 教会の中は、外よりも寒いくらいで、私は思わずくたびれたコートの襟を立てた。
 あまり大きな建物では無い。昼下がりの、どことなく間の抜けた光が、この建物の古さを目立たせていた。
 私はこの周辺地域の教会は、すべて資料で知っている。今は姿が見えないが、たしかこの教会の神父は、まだここに赴任して日が浅い、割と若い神父だったと思う。
 私は建物の中を見渡す。資料を見ただけではわからない情報だ。
 教会の数は多い。なるべく立ち寄るようにしてはいるものの、自分が行ったのはまだ半数に満たないだろう。
(この街には、神を信じる者が多すぎる)私はそう思ってから反省した。愚痴も場所を考えねばならない。
 帰ろうと思い、振り返ると、さっきは気づかなかったが、一番後ろの隅の席に、一人の男が座っているのが見えた。
 若い男だ。だが神父では無い。薄汚れたコートを羽織っている。栗色の巻き毛は肩より下まで伸びている。無精ひげもみっともなかった。
 よくいる宿無しかとも思えたが、しかし、何となく、違う気がした。それにしてはどことなく、気品のようなものを感じる。
 男は神に祈るでもなく、じっと前を見つめていた。
 ふいに、男が私の方を向く。
「こんにちは」
 私は思わず声をかけた。

       

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