Neetel Inside 文芸新都
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「息子を……息子を見逃してやってくれ!」
 縋る男を振り解き、私は立ち上がる。
 すぐに外へ出ようと振り返ったが、右足に激痛が走り、立っているのがやっとだ。どうやら倒された時に足首をひねったらしい。何とか扉まで辿り着いたが、走って追いかける事は、到底できそうもない。外に顔を出し、辺りを見渡したが、若い男の姿は無かった。足音も聞こえない。
 私は諦めて、教会の中へと顔を引っ込める。
 年老いた、みすぼらしい男が一人、床にうずくまっていた。見覚えのない男だ。少なくとも、捜査線上には浮かんでいない人物だ。
「話を、聞かせてもらおうか」私は男に向かって言った。「息子、と言ったな? お前……あの男の父親か?」
 男は答えない。俯いたまま、泣いているようだ。
「答えろ。あの男は、お前の息子か?」私は銃を構える。
「はい」男は、消え入りそうな声で言った。「確かに、あれは……あの子は、私の、息子です」
「私が来る前から、ここにいたのか?」
「はい」
「息子が、人を殺すのを、知っていたか?」
「はい」
「知っていて、止めなかったのか?」
「はい」
「証拠を、消すつもりだったのか?」
「はい」
「……二十年以上も、ずっとか?」
「……はい」
 男の言葉に、私は驚かずにはいられなかった。
 私は、ずっと、それこそずっと、この事件を追ってきた。この男は二十年以上、息子の犯罪を隠蔽し続けていたにもかかわらず、一度も捜査線上に浮かばなかったというのか?
 これは、少し早いクリスマスプレゼントにしても、素直に喜べそうにない。
 私は、改めて男の顔を見る。やはり、知らない顔だ。
「どうやって隠し続けたのかは、良い、署で訊こう」恐らく、私には知り得ない、大きな力でも働いたのだろう。問題は、そんな事では、ない。
「どうしてだ。自分の、息子だろう? 何故、隠したんだ。あいつは……お前の息子は、人を、殺したんだぞ?」私は、ほとんど叫ぶように言った。
「息子は、私の事を、心から、信じていました。私には、それを裏切る事なんて……できなかった」
「子供が、子供達が、殺されたんだぞ! 殺されたんだ。お前の息子に。子供達が……」私はいつの間にか泣いていた。
 自分の息子の顔が浮かぶ。
 私は……私なら、自分の息子が人を殺したら、隠そうとするだろうか?
「わかっている。私だって、何度も、止めようと思ったさ」男は大きく息を吐くと、何かを決心したような表情で立ち上がった。
「なら、何故止めなかった」
「刑事さん、私はね、今はもうこんな風になってしまいましたが、それなりに裕福でした。だから、最初のうちはね、金にものを言わせて証拠を消す事は簡単でした。しかし……天罰でしょうね。何年かすると、私の仕事は上手くいかなくなり出した。そうすると、息子のした事を隠し続けるのは、難しくなった。それでも、私は息子が捕まらないよう、全力を注ぎ続けた」そこまで言うと、男はまた大きく息を吐いた。
 私は、何も言えなかった。
「妻はね、息子にはちゃんと罪を償って欲しい、そして早く、私達の元へ帰って来て欲しいと、最後まで望んでいました」
「最後まで?」
「妻は、五年前に、病気で死にました。私は最後まで、自分が息子を庇っている事を言えませんでした。そのせいで……妻を病院に連れて行く事さえ、出来なくなってしまったというのに」男の眼から、涙が零れる。「家族を、失う事が、怖かった。それなのに……私は、嘘吐きです」
「……お前の息子は、家に帰ると言っていたな」
「はい……でも、もう息子の知っているあの家は、人手に渡っていて……」
「なら、何故行かせた。また……また誰かを殺すかも知れないんだぞ!」
「刑事さん」男は壁に架けられた十字架へと視線を移し、絞り出すような声で言った。

「許して下さい」

     *****

 その後、応援が到着し、私は放心状態の男と共に、署へと向かった。
 足首の痛みは増していたが、それよりも何より、今まで感じた事の無いような疲労が全身を包んでいた。頭が破裂しそうなほど、熱かった。

 署に着くとすぐに取調べをしようとしたが、男は黙ったまま、何も言わなかった。ただ、男が以前住んでいたという屋敷の場所だけは聞き出す事ができた。
 すぐに警備に向かわせたが、犯人は、何日経っても、現れる事は無かった。
 念の為、数ヶ月の間、辺りを見回り続けたが駄目だった。もしかして一年後に現れるのかとも思ったが、その予想も、見事に外れた。
 彼の手によると思われる事件は、それから一度もおきていない。
 
 彼は、完全に、私達の前から姿を消してしまった。

 彼の父親は、結局、あれ以上何も語る事の無いまま、この世を去った。
 かなり重い病に侵されていたそうだ。相当辛かったはずだが、そんな素振りはまったく見せなかった。最後はひっそりと、病院のベッドの上で、眠るように、死んだ。
 悪夢は終わったのか、それとも、これから始まるのか、と私は安らかな顔の死体を見ながら思った。たとえそれが悪夢だとしても、この男にとっては幸せなのかも知れない、とも思った。

 私は、今でも時々思い出す。
 あの、月光に煌めく、妖しげな、美しいナイフの事を。
 あのナイフには、確かに魔法がかかっていた。
 魔法をかけたのは、あの父親だ。
 父親も、その息子も、魔法が解けてしまう事に怯えて、結果、幾人もの罪の無い人々が命を失った。

 天使と、神以外なら何でも切れるナイフ。

 かけられた魔法は、決して聖なるものでは無いだろう。

 それは、悪魔の証明だ。

 私は考える。
 あの父親の思いを。
 あの息子の思いを。

 私なら、どうするだろう。
 私の息子なら、どうするだろう。
 そこにあるのは、果たして愛なのだろうか。
 それとも……

 私はある時、自分の息子と一緒に教会へ行った。
 その荘厳な建物の壁面に作られた、一体の彫像を指差し、息子は私に言った。
「ねえお父さん、あれって天使?」
 私は、少し考えてから答えた。

「ああ……そうだったら、もっと簡単なのにね」

       

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