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詰まった時に書く詰まらない話
こもり桜 (ジャンル:レロトなホラー)

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『こもり桜』

 私の通う大学には広場がある。その広場の中央に、樹齢二、三百年は越すであろう桜の樹が植わっている。
 私が入学式に来た時には既に花が散り、葉が茂っていった。その時は随分と早咲きだなと不思議に思ったが、植物も老化するともうろくするのだなと、その時は妙に納得していた。

 翌年、正月明けの授業開始日、登校するとその桜は満開だった。その日は曇り空で、降り続いた雪が一面に積もっており、私は厚手の外套と襟巻きをしていた。
 太陽の光を受けて灰色に輝く空と大地。その隙間に強烈に映える淡紅色の花。
 桜をこんな風に見た経験が無い私は一瞬、桜の花を人の裸体と錯覚して、驚いて素っ頓狂な声を出してしまった。

 二年次になると、人に話しかけるのが苦手な私に、漸く学友らしき者が出来た。仮にU君としておこう。彼とは歴史文献学を共に受講している。長ったらしい名称なので省略して歴文と呼んでいる。
 歴文の授業が終わると、学生食堂で愚にも付かぬ話で盛り上がった。ふと例の桜の話題になった。あの桜の巨木には名前があり、「こもり桜」と呼ばれているそうである。大学が設立される以前、一帯を小森塚と呼んでいた名残だとU君は説明してくれた。それにしても、あの限度を知らない早咲きは何事だろうかと聞くと、妙に笑いながら教えてくれた。
「下に人が埋まっている、その為に桜が狂ったのだ」
 と、何とも良くある話で、普通ならナンセンスと切り捨てる所である。しかし、実際にあの狂った様な早咲き桜を眼にしたなら話は別である。野次馬根性は好きではないのだが、その桜には興味が湧いた。

 ある日、歴文の教授がふと思い付きで桜の話を始めた。あの桜について学生の間で噂が広まっている様子だが、教授仲間でも噂になっている。けれどもその内容は人によりばらばらで、仔細を知る者は居ない。しかし稀に見る狂い桜の事だから、あれこそ何かしらの歴史があり、何らかの形で文献が残っているであろう、という内容をだった。徐々に興奮しながら話す先生は、傍から見ると精神に異常を来している様に見えた。
 結局、各自調べて授業中に発表する課題となった。

 地区の書籍館に江戸時代の文献が蔵書されていた。私はそこの吏員に許可を取り、史料を閲覧した。土地の成り立ちや言い伝え、地主の変遷など、これはこれで勉強になるのだが、肝心の桜が見当たらない。
 私は教授を恨んだ。教授の私的な好奇心を満たす為の課題という性質の悪さ。そもそも存在の確証もない物の調査を、ゼミも始まっていない学生の課題にする事が論外なのだ。
 私は自身も好奇心を抱いた事を棚に上げ、実りの無い現状に嘆息を漏らした。諦め掛けた頃、瓦版の一つが目に付いた。樹に赤子が括り付けられている絵の横に、ミミズの這いずった様な字で「さくら」とあった。
 その日はもう日も暮れ、私自身くたびれていたので、読売の整理番号を書きとめて帰った。

 課題発表の日、事前にU君と成果を確認しあった。彼は私の調査の徹底ぶりに感服した様子だったが、私は彼のずっこさに厭きれた。なんと大学が建築される際の話を持ち出してきたのだ。これならば断然まともな字体に出会える。私がミミズと格闘している時、彼は悠々と近代の日本語を読んでいたのかと思うと悔しくなった。

 彼は一番を名乗り出たがそれは正解だった。彼に続く学生の殆どが彼と同じ内容だったからだ。当時広大な丘陵であったこの土地は、人里近くではあったが人の手が余り入っておらず、手付かずであったそうだ。クヌギやコナラの林であったが、一本だけ桜の老樹があったという。大学はその桜を残し、校舎を建設したという物だった。気になるその理由だが、学生ごとにてんでバラバラであった。景観保護説、撤去経費削減説、校長お気に入り説、中には呪いで業者が撤去を断った等と陳腐な理由もあったが、どれも期待していた回答ではなかった様で、教授の顔は浮かない。

 最後に、私の発表となった。結局、得た史料はあの読売一枚であった。内容はこうだ。



さくらのこもりうた
 (桜の子守唄)

三里北方さけからやまにさくらあり
 (ここから約12km北のさけから山に桜があります)
そのさくら 毎夜こもりうたうたへり
 (桜は毎晩子守唄を歌います)
きみ悪しきことこのうへなし
 (気味が悪いです)
今はむかし めかけはらに生まれしちのみこあり
 (今は昔の事ですが、妾の産んだ赤ん坊が居ました)
めかけのおとこからとりし珠くらひて
 (妾が男から盗んだ宝石を飲み込んでしまい)
めかけいろをなして あこをさくらへしはり
 (妾は怒って、自分の子供を桜へ縛り付けて)
つかれてふすなり
 (そのまま発狂してしまい、病気になってしまいました、又は死んでしまいました)
みとりこ おやをよびてなきつつく
 (赤ん坊はそれ以来ずっと泣いて親を呼んでいます)
おや そをなだめんと夜毎こもりうたうたへり
 (母親は子供をなだめる為に毎晩子守唄を歌います)
今はさくらにこもりて こもり声に泣けり
 (今では桜に念がこもってしまって、母親のこもった泣き声が聞こえます)



 妖怪や化け猫の話を娯楽の為に発行した、要するにゴシップ記事の一種だったのだ。平仮名が多用されている所を見るに、恐らく児童向けに出版されたのだろう。
 私はこれを解読する内に望みの無い事が知れてきて肩を落とした。早咲きに関しては何も言及されていなかったからだ。我が大学の構内がかってさけから山と呼ばれていた事、この読売の内容、子守唄が小森塚の語源らしき事が判っただけであった。教授は私の落胆とは対照的に浮かれていた。発表を終えると教授から拍手が送られたが、私自身は歯痒く感じていた。

 あれからまた一年が経って、二度目の狂い咲きを目にする。やはり人の生身に見える花弁が、雪と共に散って行く様は、妖艶でグロテスクで、私の心を掴んで放してはくれなかった。

 その年の秋、強烈な横風と雷雨の影響で、私は校舎に閉じ込められていた。その日は休講日で天気も宜しくなかったので、家に引き篭もって居さえすれば良かったと後悔した。そうすれば人の居ない廃屋の様な場所に投獄される事は免れ得たのだ。
 しかし生来不精な私には学校に来なければならない理由があった。明日がリポート提出日である事を失念していたのだ。その事に朝になって気付き、泡を食って大学に駆け込んで、見事に足止めを喰らった次第である。
 リポートは存外に早く書き上がってしまい、私は退屈凌ぎにカフカを読みながら、ぼんやりと窓の露を眺めていた。結局、その日は大学で泊まる事となった。

 翌日、風雨の怪力の程を知る。下宿の看板は無許可に降ろされて、一階の大家の畳まで浸水していた。私の部屋は二階であった為、軽い雨漏りで済んでいた。道端の地蔵が消えていた。探してみると十尺も離れた場所に転がっていて驚いた。からりと晴れ上がった空に反して、町人達はどんよりとしていた。この様子では講義はないやも知れん。

 校門を通る時にU君を見付け、お互いの状況を報告し合った。彼の自宅は無事だった、瓦が剥がされた家もあった、誰かの飼い犬が引っこ抜いた杭を引きずりながら走り去っていった、等など。それと例の桜が雷様を喰らって真っ二つになってしまったそうである。

 私の努力も虚しく教授は見えず、リポート提出はお預けとなった。時間の余った私達は桜を見に行った。野次馬が多く、遠巻きに見るしかなかったが、それでも十分全容が判った。巨木はまるで裂きイカよろしく真っ二つ、綺麗にV字に割れていた。枝が校舎の窓に突っ込んで引っ掛かり、完全には倒れきっておらず、時折メリメリと音を立てて身を捩っていた。大学の職員が拡声器を用いて、野次馬に桜から離れるよう勧告していた。
 雪と雲の狭間に現れるあの妖艶で雄大な桜を、もう見る事が出来ないのか。白い雲に白い雪、その間に何も無い広場を想像すると、私の胸に空いた風穴が、冷酷な冬の雪で埋められてしまった様な心持がした。

 後に知った事だが、あの桜の撤去作業中に、幹の中から小児の遺骸が発見されたそうである。ミイラ化した小児の遺骸は凧紐で両手を幹に縛られていたそうだ。あの瓦版の絵が視界に広がった。

 「こもり桜」は「子守り歌を歌う桜」なのではなく、「(子供が幹に)篭っている桜」だったのだ!
 あの読売の最後の行、



今はさくらにこもりて こもり声になけり



 これを(今では桜に念がこもってしまって、母親のこもった泣き声が聞こえます)と訳したが、本来は違うのかもしれない。篭っているのは念ではなく赤子そのもので、泣いているのは赤子なのかも知れない。

 その小児の遺骸は歴文の教授が一時保管していたが、東京大学に召し上げられてしまい、私は一度も拝見したことが無い。聞く話によると、年頃は一歳未満であろうとの事。年輪から縛り付けられてた時代は約250年前だそうだ。
 東大はこの小児の研究会を立てた。子供が何故縛り付けられてしまったのか、何故幹に埋没していたのか、徐々に明らかにされている。だがしかし、狂った様な早咲きの原因については、畢竟誰にも判らないのだ。飲み込んでしまったという宝石も、小児の体内からは見付かっていない。

 私はこの桜の狂い咲きを、卒業論文の主題にしようと思う。

       

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