Neetel Inside 文芸新都
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 わたくしの髪結いの亭主と言いますのは、ただ単にひもであるという意味だけでは無いのです。これがまた長い話になってしまって恐れ多いのですが、わたくしは生まれも育ちも隅田川沿いでありまして、今はスカイツリーがキツリツ? と言ったらいいのですかな、やはりあれは屹立していると言った方が良いのでしょうね、そんな場所になっておりますがねえ、わたくしの子供の頃は、あの辺り一帯に流れる時間というのは、それがそのまま、あのおおらかに水を湛えた隅田川の流れと一体のものになっておりました。あの川の流れが速い日は、路地で遊んでいても日が暮れるのを早いと感じたものです。わたくしの家は向島で数軒ある旅館のひとつでございましたから――お世辞にも大きいとは言えない旅館でございましたが――夕暮れ時、家に帰って来ると、母は従業員と――といっても、やはりこれも大した数は雇えなかったのでしょうが――夕餉をせっせと作っておりました。父はお客の多い日には雑務も多く、何やらいろいろと忙しなく動き回っておりましたが、一組いるやらいないやらといった日には、丸眼鏡の所為で大きくなった目を鋭くして新聞を読み耽っていたのを、今でも良く思い出します。お客のいない日というのは、決まって隅田川もゆったりとした流れになり、時間ものんびりと過ぎていきます。わたくしは子供ながらに、国語の時間に覚えた、蕪村の『春の海 ひねもすのたり のたりかな』の句を思い出し、夕日の照り返る川面を見つめて『秋の川 ひねもすのたり のたりかな』などとつぶやいておりました。
 そんなある日のことでした。わたくしは近所の子供らとゴムボールで遊んでおりました。公園で、野球をしていた、そんな記憶もあるのですが……まあ、良いとしましょう。赤い帽子の子供が、投げたか打ったか蹴ったかして、わたくしの左をするすると抜けていきました。どういう動作ののち転がっていったのかも、ボールの大きさすらも定かでは無いのですが、とにかく今でも覚えているのは、わたくしと相対していた赤い帽子の子供が、いやに不敵な――子供のわたくしがそれまで見た事もして見せた事も無いような、そんな笑みを浮かべていたのです。そうして転がっていったボールを追いかけているうち、ボールはカタンカタンとかすかに乾いた音をたてて、ある建物のドアの前で動きを止めました。わたくしがそこまで追いつき、ボールを拾おうとした途端、ドアが少しずつ、建物の内から外へ向かって開きました。ボールはドアの脇にわずかに転がっていきました。
『まあ……ごめんなさい』
声のする方を仰ぎ見てみると、紅白色の水玉模様のワンピースを着た女性が立っていました。わたくしはその時、艶かしさ、という感覚を覚えたのだと思います。とにかく、赤と白の明滅するようなコントラストが鮮やかなワンピースと、産毛に守られた白くて柔らかな脚との、その動と静との二項対立の狭間で、わたくしはしばらくの間、動けなくなっていたのです。

       

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