Neetel Inside 文芸新都
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 以来、わたくしは、学校が終わったあと、近所の子供らがおのおの準備のために家に帰って、その日の遊び道具を持って公園に集まってくるまでの十分か二十分ほどの間、じいっと美容室のドアの前に立って、『ウミノ美容室』と白い文字が書かれた硝子越しに彼女を見ることが毎日の楽しみになりました。身につけているのはいつも決まってワンピースかスカートで、ひらひらと軽やかに波立つ衣服の下からのぞく脚線に、わたくしは十分でも、二十分でも、視線を送り続けることができました。彼女は時たまお客を椅子に座らせて、霧吹きで簡単に纏めた髪に、綺麗に手入れされたハサミを入れていましたが、ほとんどは椅子の背にもたれ掛かって、こちらを向いていました。わたくしを見ているのか見ていないのか、焦点の合わないような目をして考え事をしている日もありましたし、じっとこちらを見て、微笑んでくれる日もありました。その距離感に、わたくしは不満を感じていなかったのでしょう。自分からドアを開けようと思った事は、一度もありませんでした。ドアもやはり、わたくしの侵入を許すでも、許さないでも無く、ただ屹立しておりました。……今だったら、きっとあのドアにスカイツリーが映っていたでしょうか。

 そのうちに、ドアが開きました。開けたのは、他でもない、彼女でした。予約の客を相手している以外は、ほとんど暇を持て余すだけだという彼女と、わたくしは時間があれば話をしておりました。土曜や日曜は一日中、話をしました。平日、他の子供らと遊ぶ時間も、減っていきました。
 中学・高校に入っても、彼女との会話は続きましたが、なにぶん年頃が年頃でしたので、ドアの前で立っていたり、他の女性客と混じって待合席に座っていたりすることもできず、時間を見つけるのには苦労しました。最初はたどたどしい、拙い会話で、内容もその日の空だとか、天気だとか、隅田川の色や流れについて、というようなつまらないものでしたが、その頃には、私の事も彼女の事も、お互いの内情といったものが、少しずつ話されるようになっていました。
 彼女は若くして、ひとりきりで美容室をやっていました。『やっていた』という表現が良いでしょうか、『やらざるを得なかった』と言うべきなのでしょうか。彼女の母親は彼女が七つの頃に結核で亡くなり、父もそれからしばらくはたったひとりの子供である彼女を、妻のように、いえ、おそらくは妻同然に愛し、かしずいていたと言います。しかし、その父親も、彼女が十七の頃に脚を悪くし、二階の奥の間で寝たきりの生活を送ることになり、彼女は母が辞めてから放っておかれていたままの、この『ウミノ美容室』を、半ば強制的に継ぐ事となったのです。
 彼女は父親の話になると決まって、そのひとみの奥にじりじりと燃える火のようなものを見せはじめました。それに対して、そのひとみを包むように、表情はいたって柔らかであったことが思い出されます。その一瞬の均衡が、美容室の中に居る私を、彼女に釘付けにさせました。そして、これはわたくしの想像でしかありませんが――おそらく彼女は、父親に、母親同然に愛され、その果てにおかされていたのではないでしょうか。わたくしには、あの時の彼女の均衡は、今まで育ててくれたことへの恩と、おかされたこと――はじめてを奪われたことへの怨みや憎しみが、彼女の中で拮抗していたような、そんな表情に見えてならなかったのです。

       

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