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上空惑星紀行
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 上空惑星紀行

 エラ・マリンスノウのラジオ「氷河(フィヨルド・)漂流記(ダイアリ)」が流れている。音声だけのラジオなど、聴いているのはこの惑星でもごく少数だろう。
『ハロー! みんな元気かしら? 私、エラ・マリンスノウの送るフィヨルド・ダイアリ! この番組は有志によるアマチュア放送です。っても今時ラジオ会社なんてどこにもありませんけど。さ、BGMはちょっと古い音楽。ラスター・スタンダード・トリオで「ムーンライト・スウィング」知ってますか? ジャズっていうのはずっと前、西に大陸があった頃人々が生み出した音楽で、もともと楽器なんて全然弾けない人たちが始めたんですって。すごいわよね。さて――』
 このラジオがかかっている数少ない家にコウ・タカシマはいた。彼は聴こえてくるピアノの音色に耳も貸さず、目の前の気晶モニタに映る仮想世界(ウェブ)に没頭していた。そこでは美しく咲き乱れるハシバミやタンポポ、サクラが彼を迎え、どこまでも続く草原が夢と希望をもたらせた。コウはもうすっかりこの世界に入り浸っており、どこに何があるのかも隅々まで知っていた。
『やあコウ、西のギルドが国王の出したハントに成功したらしい』
「そりゃ結構なこった。僕はそこまで大金がほしいとは思わないけどな」
 ウェブフレンドにコウは答えた。
 ディスプレイには思念チャットによる文字が絶えず浮かんでは消える。それはどれだけ離れた場所にいる人とも意思疎通を可能にする手段だった。コウは引き続き思念を飛ばす。
「誰もかれも何だってそんな金に執着するんだ?」
『そりゃウェブも現実も同じだよ。誰だって生きてりゃ豊かな暮らしがしたいのさ』
「豊かな暮らし、ね」
 ウェブのコウは仰向けに寝転んだ。ヒスイ色の空が微細なグラデーションをともなって青色に変わっていく。コウは夕方が近いことを知った。ここでの時間は現実とシンクロしている。
『ま、お前さんみたいにただ生きてりゃいいって連中もウェブじゃ珍しくないけどな』
 コウのフレンドは隣に腰を下ろして言った。
 ウェブは現実とほとんど変わりない世界だ。違いといえば、現実にいる自分があらゆる意味で「動かない」ことだけだ。
「コウ!」
 呼び声がした。画面の中からではなく、外から。
「ああもう、またウェブに入り浸ってるのね」
 快活な少女の声だった。しかしコウはまるで答えようとしない。
『コウ、聞いてるか人の話』
 フレンドが言った。コウは気を取られてウェブでの話を聞き逃していた。
「すまない。ちょっと邪魔がはいって。でも気にしなくていい。放っとけば――」
 そこで会話は途切れた。
「コウ!」
「何するんだヒバリ!」
 現実のコウは振り返って言った。ウェブを表示していた気晶ディスプレイが、部屋の壁とコウの間に消えた。半円形の家の内部はこざっぱりして、生活に必要な家具や器具以外はほとんど何も置いていなかった。いくつかある丸窓はすべて閉め切られており、室内には電気による明かりだけがついている。
「うふふ。技師資格一級もちの私にかかればこのくらいちょろいものよ」
 ヒバリと呼ばれた少女は、茶色がかったボブカットを軽やかに揺らせて言った。コウは真顔で、
「何したんだ」
「さあーてね。何でしょうね。知らないわ。引きこもってばかりのあなたに想像する力がまだ残ってるかしら? ん?」
 ヒバリはハードウェア技師が使うハンド・カスタマイザーを手に笑った。コウはヒバリを睨みつけたまま、
「マスタ電源をぶっ壊したのか」
「ブブー、近いけどハズレ。正解はね」
 ヒバリは指を鳴らした。非常灯だった明かりが元に戻る。
「停電を起こしたのよ。古い言い方をすればブレーカを落としたの。私がマスタ破壊なんて野暮な真似するわけないでしょ。さ、続きに戻るならどうぞヒキコモリくん」
 再起動したモニタを示してヒバリは言った。コウは聞こえるようにため息をついて、
「どうせまた消すんだろ。ふざけるな」
「あら、よく分かってるじゃない」
 ヒバリはいたずらっぽく笑った。彼女はコウの幼なじみだ。この惑星に生まれてから、コウが最初に覚えている記憶にもヒバリが出てくる。
「んで、用件は何だ」
 コウはぶしつけに言った。ヒバリは満足そうにうなずいて、
「外に行きましょう。今日もいい天気よ」
「やなこった」
「あ、それじゃ今度こそマスタをエレガントにぶっ壊してさしあげようかしら?」
「分かった行く」
 コウはしぶしぶ立ち上がった。細身のわりに緩慢な動きだった。
「運動不足もいいところね。見てて愉快なくらいよ」
「お前さ、誰に対してもそんななのか?」
 コウがヒバリを睨むと、
「そんなわけないじゃない。普通の人には親切よ」
「僕はその『普通の人』には入ってないのか」
「一日中、いえ、一ヶ月、ああ、一年中ウェブなんてものに没頭してる人にどうしたら普通なんて呼び名がつくのかしら? さ、カモンカモン」
 ヒバリは軽やかに部屋を出た。コウは重い足取りで後に続いた。

       

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