Neetel Inside ニートノベル
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「さあ、さあ! いよいよレースの幕が上がります。BB、準備はいいですか?」
「俺の準備はいつでも万端よ! だがラッキー、その前に必要な説明ってものがあんだろう?」
「そうでした。コースとルールの説明をしなくてはなりません。観客のみなさん、はやる気持ちは分かりますが、いましばらくのご辛抱を!」
 観客が待ちきれないとばかりブーイングした。
 メインスタジアムのモニタにグラインダーのモデル映像が浮かび上がる。
「まずはグラインダーの説明です。これは惑星を取りまく電気エネルギーをエンジンに凝集させることで爆発力とし、空を舞う乗り物で、惑星に電気を使った文明がなければ飛ぶことができません。この惑星メトロ・ブルーは海のはるか下に巨大な電機システム『エターナル』を有しているため、通常の惑星よりもエキサイティングな飛行ができる、いわば飛行のメッカなわけです。そもそもグラインドの起源とは百年前にさかのぼります。次世代の移動手段として開発されたグラインダーは――」
「おいおいラッキー。そのまま何もかも説明してたんじゃ日が暮れちまうってもんだ」
 BBの茶々に観客が吹きだした。ラッキーは咳払いして、
「し、失礼。それではコース説明に移りましょう! メトロブルーホームスタジアムを出まして、ピラミッド記念公園、命樹恩寵公園、ワールドコンベンショナルタワーの三か所にあるチェックポイントを順に回るコースであります。なお、今回のルールはリングチェイス制。随所にボーナスリングがあり、くぐるとゴールタイムから一か所につき十秒マイナスすることができます。ゆえ、一番にゴールした者が勝つとは限らないのがこのルールの醍醐味と言えるでしょう」
 モニターは近隣大都市を巡回するコース映像を映していた。トライアングル・ビッグオーシャン。
「なお、選手に対するあらゆる妨害、暴力行為はNGであり、行った選手は一発で失格、退場となりますのでご注意を!」
「昔みたいにそのへんのルールをゆるくしたほうが俺ぁ面白いと思うんだがな!」
 BBが言った。歓声とブーイングが半分ずつ起こった。ラッキーは若干困惑して、
「しかしそれが政府とグラインド協会とのぎりぎりの譲歩地点であります。グラインドレースの歴史については諸々の遍歴が今に至っており、度重なるルール変更のもと、こんにちようやく――」
「ラッキー。お前さんはここの観客を明日まで眠らせとく気か?」
 また笑いが起きた。ラッキーは苦笑しながら、
「失礼失礼。それではまいりましょう! 第八十七会グラインドレース世界大会! 選手入場!」
 たちまちのうちに、空にあざやかな色の粒が飛びだした。
 プロのグラインダーたちが思い思いの飛行で弧を描く。会場の熱気はたちまち最高潮に達する。気に入っている選手の名を呼ぶ声がひっきりなしに聞こえてきた。
「引き続き一般選手の入場です!」
 数千のグライダーたちが、光栄と言わんばかりの表情でいっせいに空を舞った。まるで雌雄を決する戦いに赴く勇者たちを激励がするかのような、希望に満ちた光景だった。
 歓声と興奮がやまぬうち、号令の笛が鳴る。選手たちは高台にいくつもしつらえられたスターティンググリッドへ降り立った。
「さあ見てくださいこの空を! この選手たちを! 果たして今年の覇者は誰か。そしてワールドレコードは生まれるのでしょうか!」
 中空にホログラム映像のシグナルが現れる。
 会場が静まりかえる。たった数秒であるはずの沈黙は、いつまで続くか分からないほど緊迫した空気を生む。
「それではレディ――、」
 3、2、1、
 赤信号の色が青に変わり、空に溶ける。
 一万人のグライダーたちはいっせいに大空へ舞い上がった。そのほとんどは上空を目指し、残る一部は海上の低いところを滑るように移動する。
 会話もままならぬほどの歓声に負けないよう、ラッキーの大きな声が、
「ピラミッド記念公園が最初のチェックポイントとなります! 地上八五〇メートルのところにあるポールを回り、次の場所を目指せ! なお、途中『風の岬』と呼ばれる強風域があります。どの乗り手も注意してください!」
「振り落とされんじゃねえぞ! 風を味方につけろ!」
 ラッキーのアナウンスに続いてBBが大声をあげた。会場の大音響をものともしない声量だった。
 瞬間、真っ青な機体が閃光のように天をついた。
「おーっと、ナオトだ! 疾風の乗り手がまずはトップに躍り出た!」
「昔の俺もあいつのスタートダッシュにゃついていけねえ」
 ナオトはまっすぐに上空の、にわかに雲のかかった青空を目指した。はるか遠くの海が、白い陽光を受けてまぶしくきらめいた。追従するように、数千のグラインダーたちが、縦横無尽に思い思いの飛行で加速していく。
「ナオトの後方、少し遅れたところにウィング。遥か下、海上スレスレを王者ルイが悠然と滑っています!」
 BBは深くうなずいて、
「賢明な選択だな。今日のこの星は荒れてるぜ。上空じゃいつ煽られるか分からねえ」
「上空からは遠くの景色が眺望できますゆえ、よほどの猛者でないかぎり、まずは高度を保つのがグラインドレースのセオリーですが、今日のこの星ではとちらが吉と出るか! さあ! 先頭集団はスタジアムから早くもエリア51にさしかかっております。ここはかつて、人類が海上埋め立てを行った区画。生態系を乱し、多くの動物を苦しめた過去を我々は忘れてはならないでしょう。コーラルリーフが西へ虹の道を描いているのがなんとも美しい場所です!」
 BBは机をガツンと叩き、
「昔はよくこの場所をハニーとドライブしたもんだぜ。西日が最高でな!」
 豪快な笑いでBBは満悦の表情を浮かべた。解説席から押し出されそうなラッキーが
「ボブの恋人の話はまた後日聞くことにして」
 海上が笑い声に包まれる。
「ウィングがナオトのあとをぴたりとマークしております。その後方をネハン、スパークと有力選手が追随する!」
 日差しが海原をまばゆく染める。選手たちのシルエットは、まるでかつて遠くまで空を飛んだ渡り鳥たちのように見えた。
 先頭の選手たちは互いにフットワークよく飛びかい、牽制しあう。螺旋を描くように、七色の軌跡が見事に海上に尾をひいていく。客席が一気に興奮を高めていく。
「さあ見事なチェイスだ!」
 抜きつ抜かれつの攻防が続いていく。
「見ろラッキー」
「どうしましたBB?」
「ルイの少し後ろ、海上にもう一匹蛇がいるぜ」
 BBの指摘に、カメラが低空の映像をモニタにうつす。一定速度で飛ぶルイの後方、黒い髪の女性が静かに飛んでいた。
「おっと、ミツキですね。BBが注目していた選手、惑星ガイア・レイのミツキが水上二位につけております! さながら海をゆく可憐なシャチのようだ!」
「さあ野郎ども! おっとレディもいるが。風に身をゆだねて嵐を起こしやがれ!」
 モニタのスピーカーから音楽が流れ出す。アップテンポのクラブジャズ。
「さあBGMはジャバグルーヴで『白銀ターボ』!」
 ドラムスの裏拍がハイテンポのビートを刻む。
 ツッタッツッタッツッタッ、
 ハイテンションの音楽をバックに、ラッキーのアナウンスがジャミングする。
「海洋に伸びるはピラミッドへの道! 誰が最初に到達するのか!?」
「忘れちゃいけねえぜ。ここは途中にチェックリングがあるはずだ!」
 選手たちはエリア51を安定した飛行とともに駆け抜けていた。水上をゆくグラインダーの翼が、水面から白いしぶきをあげた。観客はしばらくこのままの順位が続きそうだと思いはじめていた。
「さあ見ているだけで気持ちがいい飛びっぷりであります。このままの順位でチェックポイントまで運ぶのでありましょうか!」
 突如、南から急な風が吹いた。
 それは海上を一掃するように吹き抜け、観客の髪をなびかせる。グラインダーの乗り手たちは、軒並み煽られて体勢を崩す。少なくない乗り手たちが、海まで一気に落ちていく。

「突風!」

 ナオトも煽られた。両翼を傾けた矢先、魔手のような風に絡めとられた。一時的に制御不能になり、みるみる高度が下がる。
「あーっとナオトが風の餌食になったあ!」
 間隙をぬって、後ろにつけていたウィングが上空一位に躍り出た。ナオトは高度を半分まで下げて踏みとどまったが、順位が三つ落ちた。興奮の歓声がメインスタジアムに満ちた。
「見事だウィング! 驚異のバランス感覚!」
 BBが豪快に笑った。ラッキーが冷静に、
「今の突風で後続のグラインダーたちからは少なからず失格者が出ております。序盤から大きく動くこのレース、いったい誰が制するのか!」
「この星はグラインドの時期だけやたらうねりやがる。昔っからそうだった」
 BBのつぶやきと共にまたBGMが切り替わった。軽快で哀愁のあるクラブジャズ、「ブライト・ダンス」。
「どこまでも飛んでいきやがれ野郎ども! そこに必ずお前の目指すもんがある!」
 突風をものともせず、水上一位をキープしていたルイが速度を上げた。
「おっと王者ルイ、貫録のアタックフライ!」
 ラッキーが声を張り上げた。
「目ざとい奴ならヤツの進行方向に何があるのか気づいてるはずだ」
 にやりと笑うBBの声に、カメラと観客がルイの前方を注視した。
 ルイの直線上、ボーナスリングが金色の輝きを放っていた。
 俄然乗り手の熱が上がっていく。
「チェックリングだ! さあこのリング、一人がくぐると三十秒消えたままになります! 先頭集団のうちボーナスポイントを得るのは王者ルイなのか!?」
 ルイがますます速度を上げる。観客がそれまで最高速度だと思っていたルイの飛行は、まだ限界ではなかった。
「なんという速さでありましょう! 風をものともしない伸びのよさ! さすがは王者だ!」
 誰もが、このままルイがリングをくぐると思っていた。
「これは無事リングをくぐり抜けそうだ……っとお!?」
 稲妻のような青い閃光が走りぬけた。
 リングをかっさらったのはナオトだった。通過した金色のリングは高速回転したのち、色素を失って一時的に消滅する。会場がどよめいた。
 その影響でルイは軌道がわずかにそれた。体勢を崩しかけたが、一度回転して元に戻る。
「お見事ナオト! 若き牙が王者のマントに穴を空けたか!」
「やるじゃねえか、疾風のナオト!」
 BBが豪快に笑った。会場は拍手喝采。
 飛び手たちの先頭、ナオトは振り返って笑った。ルイは表情を変えることなく、まっすぐにナオトの視線を受け止めた。
「さあまもなくピラミッド記念公園のあるデザイトシティです!」
 海が陸地に変わる。上空も海上も、先頭の飛び手たちはみな中空に集まってきた。
「障害物が多いこの都市。ビル風やちょっとした油断が命取りになりかねません!」
 デザイトシティは高層ビルの林立する近代都市だった。高いビルの窓や屋上から、応援に身を乗り出す人々が見えた。
 ボーナスリングを無視することで先頭に位置していたウィングが、地表付近まで高度を下げた。
「おっと、どういう作戦でしょうかウィング! ここで高度を下げるとは。よもや血迷ったか?」
 しかしBBは首を振った。したり顔で、
「やつぁ高度を思い切り下げてビル風のリスクを減らす作戦だ。アクシデントに足をすくわれるより、自分のミスでリタイアになるほうがまだプライドが許せるんだろう。まあ見てな。大した野郎だぜ」
 ウィングの機体についたカメラが主の飛行を映す。ウィングは高度を下げたのち、建造物の数々を軽やかな動きでかわしていく。右。右。左、フックをかけて真っすぐ。また左。ビル間の連絡橋をくぐり、右。右。上下動、スピンして左。
 ざわめきが起きた。会場はスタンディングオベーション。
「見事な飛行であります! あの速度であの障害物を切り抜ける乗り手は、宇宙広しといえどそうはいないでしょう!」
 拍手と口笛が鳴り響く。会場の熱気は上がる一方だった。
 ウィングは都市の網目を見事にくぐり抜ける。まるで神経の発達したモグラのようだった。
 高揚感に包まれる中、ラッキーのアナウンスが響く。
「さあ、先頭をゆく飛び手の遥か向こう、四角錘のピラミッドが見えてまいりました! かつて石造りだったこの建物は、今はブルーチタンでできています」
 都市を抜け、国立公園の緑を抜けた先、真っ青なピラミッドがあった。その先端、赤く長いチェックポールがある。
「ここを回ると第一チェックポイントクリアとなります!」
 ラッキーが言った。それと同時に、強いビル風が乗り手に襲いかかった。
「ビル風だ! 激流に流されるな勇士ども!」
「予想通り強い風が吹いております。なお、ビルに接触した際も着地とみなされ失格になりますのでご注意を!」
「んなこた全員知ってらぁ!」
 BBの笑いに会場がうねった。

       

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