Neetel Inside ニートノベル
表紙

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「そういうわけだから、しばらく俺もヒバリも家を留守にする」
『ちょっと待てよ』
 セントラルタワーから徒歩五分のところにある宿舎ロビー。臨時回線による電話越しにナオトが言った。
『しばらくってどのくらいだ? エターナルはいつ復旧しそうなんだ?』
 ナオトの様子からはグラインダーに乗りたくてたまらないという気持ちがうかがえた。
「こっちの人の話だとひと月。場合によっちゃもっと」
 コウは言った。ナオトは深い深いため息をつき、
『マジっすか』
「マジです」
『窒息しそうなんだけど、俺』
「なんとかしろ。そうだ、ためしに海で泳ぐとかどうだ。空飛んでばっかだったし、いい気分転換になりそうじゃないか。潜水したら新しい魚類とか発見できるかもしれないだろ。電気止まったし新種がいるかも」
 電話越しのナオトは見えない圧力をコウに向けて放ち、
『いっそ死ねというのか、コウよ』
「冗談だよ。とにかく待っててくれ。ヒバリに代わる。ん」
 コウは隣にいたヒバリに受話器を渡した。
「もしもし。ナオト? 私よ。元気にしてる?」
 ヒバリがナオトと笑い話するのを聞きながら、コウはホテルの広さに驚いていた。部屋数は千近くあるらしい。セントラルシティ最大の規模だという。
「これタダで泊まれるのか」
 基本的な生活にほとんどお金のかからない星だったが、宿泊や旅行となると話は別だった。本来、ここに泊まるのならばきちんと働いて得た金銭を払わなければいけない。
 しかしミツキの言った通り、現在は技師の臨時宿舎なので利用はタダだった。その代わり今回の仕事に給金は出ない。ガウス問題に着手する技師はみな、なかばボランティアとしてここにいる。
 コウは不思議な気持ちだった。自分から何か始めた途端に新しい景色が開けるような。もちろん臨時でここにいるだけで、期限つきではある。しかしそれでもコウは嬉しかった。
「――なにナオト、もしかして泣いてるの? あなたそういうキャラだったっけ?」
 ヒバリの声が聞こえてきてコウはわれに返った。ヒバリは頭を抱えながら、
「コウの次はあなた? ちょっと待ってよ。私二人の母親じゃないのよ? ……だってじゃないわ。ナオト、大丈夫よ。大丈夫だから、そうね、気晴らしに筋トレでもして待ってて。お願いよ」
 コウは少し前の自分がこんなにグズグズだったのかと思うとため息が漏れた。
「もう少ししっかりしよう」
 コウは自分に活をいれた。まもなくヒバリは電話を終え、
「大丈夫かしらナオト」
 そう言って肩をすくめた。
「ばあさんがいるし平気だろ。というかそう思わせてくれ。あまり電話向こうのナオトの姿を想像したくない」
 コウは頭を振ると歩き出して、
「さて部屋取ろう」
 コウとヒバリがロビー受付に向かうと、明らかにここの従業員ではない男性が二人を出迎えた。
「やあ。君たちは技師かい?」
 見ると男性は胸証を下げていた。「惑星リトル・フォレスト星間技師 シュン・アセラム」とあった。
「ええ。これ、仮の入館証なんですが。明日から正式なものに変わります」
 と、コウとヒバリはそれぞれに貸与された胸証をさしだした。シュンは、
「ちょっと待ってて。今空いてる部屋の確認をするから」
 手元のパソコンで検索を開始する。
「あの、あなたも下で働いてるんですよね?」
 シュンはうなずいて、
「そ。いちおう役職なんだけどさ。仕事増やされて大変だよ。これもそのうちのひとつ」
「大変ですね」
 ヒバリが言った。「大変なのはみんな一緒さ」とシュンは言った。
「あー。ちょっと待ってね」
 受話器を手に取ると三回プッシュし、
「もしもし? シトラス、僕だ。シュンだ。あのさ、もしかしてシングルって今満杯なの? ……ああほんとに。そうか。うん、わかった」
 シュンは受話器を置いて、
「すまないんだけどダブルルームしか空いてないんだ。いいかな?」
「ダブルルームですか?」
 コウが言った。シュンはうなずいて、
「それであの、実のところそっちも空きが少なくてね。ちょっと訊きたいんだが、君たち赤の他人?」
 ヒバリとコウは顔を見合わせた。
「いや、赤の他人ってほどじゃない……ですけど」
「ええ。つき合いは長いです」
 ヒバリの言葉に男性は胸をなでおろし、
「それじゃ相部屋でいいかな? そのほうが助かるんだ。そろそろ部屋が足りないから、別の宿舎を探さないといけないところでね」
「あ、相部屋ですか?」
 コウが言った。ヒバリとは確かに長いつき合いだが、この男性は何か意味をはき違えている気がする。
「いや無理にとは言わないけどね。でもほら――」
 受話器が鳴った。シュンは急いでひっつかみ、
「はいこちらシュン。あ、局長ですか? どうも、連日お疲れ様です。……いえいえ、このくらい何でもないですよ。いい気分転換です。え? 新たに四人来るんですか? ああー、はい。まだ空きはありますけど。けっこう厳しくて。ええ、ええ」
 コウはヒバリをちらりと見た。目があったヒバリは唇を妙な形にひんまげていた。何となく心境が読める気がした。
 まもなくシュンは通話を終えた。仰々しく咳払いして、
「あー。できればと言ったが、ぜひお願いしたいんだ」
 両手を合わせてお辞儀した。コウがどうしたものかと考えていると、
「わかりました!」
 ヒバリが半ばやけくそ気味に言った。
「行きましょうコウ。今さら恥も何もないわ。小さい頃は一緒にお風呂とか入ったし!」
 ヒバリは受付を離れると、ずかずかと歩き出した。
「ちょっと待てよおい」
 コウが追いかけようとすると、
「ああ待って、君!」
 シュンが呼びとめた。
「はいこれ鍵。オートロックだから出るときは肌身離さず持っててね」
 コウは礼をすると、
「ありがとうございます。おい待てよ、ヒバリ!」
 返す足でヒバリを追いかけた。

 普通の宿泊体制だったらこんなことはありえない。コウはそう思いつつ、階段を上っていた。
「ヒバリ、そんな先に行くなよ。おい!」
 三十階に彼らの部屋があった。エレベータは動かないので階段を上るほかない。コウは最近、少しは外出するようになったので、以前に比べれば体力がついていきていた。しかし、それでもずんずん駆け上がっていくヒバリには追いつけなかった。
「何号室?」
 上のほうから腹立ち声でヒバリが言った。コウは鍵についたルームナンバーを見て、
「ええと3008号室。うげ、これ上り下りが骨だな」
 コウは気が重くなった。
「先に行って待ってるから。さっさと来なさいよね!」
 ヒバリはそう行ってさらにスピードをあげたようだった。
 やっと階段を登りきったコウが、よろめきながら部屋まで行くと、
「三分待ったわ」
 ヒバリが腕組みしてドアにもたれかかっていた。
「さ、先に……行くからだろ」
 コウはあえぎながらヒバリに鍵を渡した。ホテルの廊下はドアが整然と並んでいたが、ランプは点っていなかった。
 ヒバリが鍵を開けた。部屋の中はそのままホテルのダブルルームだった。窓の外は夕闇に染まりはじめている。
「あー。そうか、電気つかないのか」
 スイッチを押したコウが落胆して言った。疲れが増した気がした。
「別にいいわよもう。それより着替えとかシャワーのほうが心配だわ」
 ヒバリはバスルームに入ると、蛇口をひねった。しばらく待ってから、
「あ、お湯は出るみたいよ。よかった」
 コウにとってはわりとどうでもいいことだったが、ヒバリにしてみれば大事らしい。
 「運命の日」以降、政府に届いた山のような要望で一番多かったのが電気。次に食料、その次が交通。その次がお湯(あるいは火)の使用だった。電気が使えればまったく問題ないことだが、いまだに止まったままなので、旧式のガス湯沸かしを場所によっては使っている。たとえばウメの家がそうだ。聞いた話では、ガス式のバスタブを持っている稀な家は、臨時の公衆浴場になっていてありがたがられているらしい。
「全部屋お湯が出るんだとしたらかなり恵まれてるぞ、このホテルは」
 オール電化たるコウの自宅は、運命の日から湯が出ない。この数日はウメの家で風呂に入っていた。
 ヒバリは洗面所から出てくると、
「着替えは今日はしょうがないわね。今度一回取りに行きましょう。この様子なら洗濯できる場所がありそう」
「お前があそこで飛びださなきゃそのへんのことをシュンさんに訊けたのにさ」
 ヒバリはまた口をわななかせて、
「う、うるさいわね。あ、ほらコウ。そこに電話があるわよ。使ってみたら? もしかしたら下におりなくても連絡できるかも」
 コウはベッドとベッドの間にある電話に歩み寄ると、受話器をつかんで耳に当てた。しかし何も聞こえなかった。コウは受話器を戻すと、
「ダメだ。やっぱり政府にそこまでムダなエネルギーを使う気はないらしい」
「まあいいわ。何にせよ夕飯食べにまた降りなきゃいけないもの」
 コウは息を飲んだ。そういえば昼から何も食べていなかった。
「ぐ。また降りて登るのか? それなら僕は夕飯抜きに」
 ヒバリは即刻否定して、
「ダメよちゃんと食べなきゃ。せっかく他の星が食料最優先で支援してくれてるんだから。この星は今、まともに漁業もできないみたいだしね」
 結局コウはヒバリに負けた。ふたたび下までおりると、品数の少ないビュッフェ形式の食事をとった。部屋に戻る頃にはもうすっかりくたびれていた。
「このまま寝る」
 ふらふらになりながらコウはベッドになだれ込んだ。一日中慣れないことをして、ずいぶん疲労がたまっていた。身体が地面に沈んでいくような感じだ。
「私はシャワー浴びるわ」
 ヒバリは洗面所に向かった。ドアを閉める間際、思い出したように顔をつきだし、
「覗いたらそこの窓から叩きだすからそのつもりでいなさい」
 コウは目を閉じたまま、
「この心地いい疲労感を幼馴染の裸なんかで濁したくないな」
「あっそう!」
 そう言うとヒバリは洗面所のドアを思い切り閉めて鍵をかけた。
「鍵かかるんじゃないか。何考えてるんだか」
 つぶやいて、コウは天井をぼんやり見つめた。
 部屋はすっかり暗くなっていた。受付のシュンから受け取ったオイルランプだけが室内を照らしている。
 下で問い合わせたところ、洗濯はまとめて一階のサービスコーナーに置いておけとのことだった。洋服も多少なら貸し出せるとも言っていた。コウとヒバリはシュンに礼を言った。
 シュンは笑いながらこう言った。
「何、僕だけに感謝することじゃないよ。今はみんな困っているからね。助けあっていかないと」
 コウは人の順応力と生命力について考えてしまった。どんな状況に陥っても、そこから生きようとする力があらかじめ人には備わっているのだ。それはむしろ危機に際して発揮される本能で、生活に心配がなくなるほど力が弱くなる。
「何がいちばんいいんだろうな」
 コウは寝返りをうった。
 昔の人々も同じような問いを抱いたのかもしれない。日々便利になる暮らしの中で、反対に不自由になる心。
 どうすれば豊かになるのか? 
 幸福とは何か?
 まどろみながらそんなことを考えていると、バスルームのドアがノックされた。
「コウ。ちょっと」
 ドア越しにヒバリの声がする。
「どうした女王様」
 コウが眠い目をこすりながら言うと、
「誰が女王よ。それより、ねえ、そのへんにバスタオルない?」
 言われてコウは薄暗い室内を見渡した。整然としているので一目了然だ。
「ないな」
「クローゼットとかちゃんと見た?」
 見ていなかったので、反論する前にコウは中を確認した。二人分のバスローブとタオルが積んであった。
「従業員マジでいないのか。こういうの風呂場に置かないか、普通」
 コウはバスタオルを一枚とって洗面所のドアをノックする。
「あったぞ。ノブにかけときゃいいか?」
「待って」
 ややあって、解錠する音がした。ドアの隙間にヒバリの細い腕がのぞく。
「かして」
「ん」
 コウは一応中を覗かないように気をつかい、腕を伸ばした。
「ありがと」
 ヒバリとコウの手が触れた。まだ濡れたままだった。コウは不意に胸の鼓動が高鳴るのを感じた。
「押し入ってきたらけっ飛ばすからね」
「分かってるよ」
 沈黙があった。
 ヒバリが身体を拭いている気配がする。コウはますます心拍数が上がってきた。どうしてこんな反応が起きるのか、彼には分からなかった。
「ねえコウ」
「なんだ」
 緊張をさとられないようにしながら、コウは言った。
「昔はよくお泊まり会とかしたよね。誰かの家に集まってさ」
「よくそんなこと覚えてるな」
「なんか急に思い出したの。その頃よね、一緒に」
 言いかけてヒバリは口をつぐんだ。コウは、ヒバリがさっきフロントでシュンに言ったことだと思い当たり、
「そんなこともあったな。でもお泊まり会ならつい最近もばあさんの家でしてただろ」
「あ、それもそうね。はは」
 また二人は無言になった。ドアの向こうのかすかな物音だけがコウに感じられるすべてだった。
「ねえコウ、最後までできそう?」
「何の話だ?」
 コウは指先がぴりぴりした。長らく忘れていた感覚だった。
「仕事。ボランティアとはいえ初めてじゃない?」
 ヒバリの声が少しやわらかくなった気がした。
「ああ、なんだ。そのことか。うん、まあ何とかなるんじゃないか」
「何それ。もうほんとにそういうとこ変わらないんだから。ちょっとは甲斐性ってものを持ちなさいよ」
 元に戻った。
「わるい」
「珍しく謝ったわね」
 ヒバリは笑った。コウはなぜか安心した。
「謝らなきゃいけないことばっかしてきたからな」
 コウは言った。それが正直な気持ちだった。
「今までありがとう、ヒバリ」
「コウ」
 また間があった。のち、ドアがゆっくりと開いた。
 服を着たヒバリの笑顔があった。コウは心臓が止まりそうなくらい驚いた。ヒバリが初めて会った相手のように感じた。コウが動揺していると、
「!」
 ヒバリはコウを抱きしめた。突然だった。勢いあまって、コウは後ろの壁に背中をぶつけた。
「いって」
「コウ。バカ、ばかばか。私が今までどれだけあなたのこと……」
 ヒバリはコウの胸に顔をうずめた。濡れた髪が薄明かりに照らされた。コウは戸惑った。どうしていいのか分からなかった。
「ひ、ヒバリ?」
「ずっと心配だったんだもん。わたし……また、コウが」
 その声が震えていることにコウは気づいた。唇を真一文字に結ぶ。
 ヒバリはコウに頭を押しつけたまま下を向いて、
「また……今度はほんとうに死んじゃうんじゃないかって、レースの前までずっと、ずっと」
 ヒバリはコウの服がくしゃくしゃになるくらい強く抱きしめた。身動きもできず、どぎまぎするコウに、
「何か言いなさいよ。ばか」
「ごめん。悪かった。ほんとに」
 コウがなんとかそれだけ言うと、
「そんなんじゃ足りないもの。バカよ。大馬鹿だわ。私だけじゃなくて、ナオトもおばあちゃんも心配してたんだから、ほんとに」
 泣いているのを隠しもせず、ヒバリはコウをなじった。コウは自分までもらい泣きしそうになるのをこらえねばならなかった。
 その時、コウは気がついた。
 自分は今まで、ずっと感情を押し殺していた。
 落第してから今まで。まわりの意見などまったく耳にも入れず、ただただ目の前のことから遠ざかって生きていた。
 ほんとうはそんなのは生きているとも言えない。苦しくて、つらくて、やるせなくて。でもそんな自分を認められなかったから、何も感じていないふりをするしかなかった。
 しかし、本当はずっと打ち明けたかった。
「ヒバリ。僕は怖かったんだ」
 コウは声が震えるのを抑えもせずに、
「なにもかも怖かった。このまま世の中の全部に置いていかれるような気がして。ずうっと怖かった。ヒバリが今まで僕に言ってたことだって、ほんとうは胸に残ってた。でも何も言えなかったし、できなかった。……ごめん、謝ってすむようなことじゃないけど、ごめん」
 一気にそれだけ言うと、コウはじっとこみあげてくるものに耐えた。それ以上何か言ったら、もう持ちそうになかった。
 ごまかす代わりに、コウはヒバリを抱きしめた。いままで感じたこともないような温かさがそこにはあった。
「ばか」
 胸の中でヒバリが言った。そしてコウは気がついた。
 コウはヒバリが好きだった。
 どうしようもない自分をこんなにも思いやってくれる。何にも見返りがないのに。ただ幼馴染というだけで、こんなに心配してくれる。
 思えば昔からずっと好きだったのだ。今までの大切な記憶にはすべてヒバリが登場する。それをこの一年あまりの間に忘れてしまっただけだ。
「ヒバリ」
 コウは名前を呼んだ。ヒバリはコウを見上げた。涙に透ける瞳に、オイルランプの光が幻想的に反射する。
 ヒバリは目を閉じた。コウは唇を近づける。
 ふたりの唇が重なろうとした、その時、
「だめ!」
「うおっ!」
 ヒバリは両手で思い切りコウを突き飛ばした。遥か昔の国技、「スモウ」を彷彿とさせる見事なまでのツッパリだった。頭をぶつけたコウは、まるで星間飛行するような酩酊感をおぼえた。
 ヒバリは両手で赤くなった頬を押さえながら、
「私ったら何雰囲気に流されてるのよ。コウ! あんた甘いわよ。何言ってんのアホって感じだわ。たった一日手伝っただけじゃない。まだまだこれからよ。労働のしんどさと尊さを身をもって知ればいいんだわ!」
 おほほほほ、とヒバリは笑った。コウは一気に今までの感情が引いていくのを感じた。
「やっぱりヒバリはヒバリだ」
 コウは後頭部をさすりながらそう言った。

       

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