Neetel Inside ニートノベル
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 翌日からも、コウとヒバリは熱心に働いた。
 ガヴェインのもと、慣れない仕事をするのは大変で、コウは毎日のようにつまずいた。しかし投げ出すようなことはしなかった。何より、誰のためでもなく、人の役に立つことをしているのだという実感がコウを落ち着かせた。定時が来ても、コウはすすんで残業をした。勝手が分かってくると、たまに楽しく感じることすらあった。
「ああ」
 コウは声を発した。自分の技量ではどうしても解決できない場所に行き当たった。
「ガヴェインさん。ちょっとここを見ていただきたいんですが」
「どれ」
 ガヴェインは席を立ってコウのモニタを覗きこんだ。
「なるほど。確かにここは難所だ。一級を持っているものでも長い間経験を積んでいなければ解けないね」
「この頃はこういう個所が多い気がします」
 コウは言った。ガヴェインはふっと息をついて、
「そうだな。我々の担当領域が思いのほかはかどっているからかもしれない」
「あ、そうなんですか?」
「そうだ。君はよく気がつくし、一度失敗したことはもうつっかえない。優秀だね」
 そう言いながら、ガヴェインはキーを叩く。
「しかしこれはガウスがわざわざこのように不規則な配置にしたのかもしれないね。復旧作業者たちが意思の疎通をせずには解決できないように」
 コウは目から鱗が落ちるような気になった。
「そうかもしれません」
「何にせよこの復旧作業には彼の個人的な思惑を感じるよ。いつか停電になった時に、我々が混乱する様をあらかじめ思い描いていたかのようだ」
 そう言ってガヴェインは入力を終えた。コウは画面を睨みながら、
「これは到底僕にはできません。見ても何が書いてあるのかさっぱり」
「いずれ覚えられるよ。これでも私は君より長く生きているからね」
 ガヴェインは柔らかく笑った。
 それから二人はまた各々の作業に没頭した。コウは手が止まる箇所も多く、そのたびガヴェインに指示を仰いだ。
 コウは一年間何もしていなかったことへの悔いを初めて感じた。同時に、また勉強を再開したいとも思うようになった。それは彼にとってみれば驚くべき変化だった。
 やがて定時が近づいてくる頃、
「君は仕事に対しとても実直だね」
「そうですか?」
 ガヴェインはうなずいて、
「ああ。何かこう、しなければならないという義務感だけで動いていない感じだ。ちゃんと意思がともなっている」
 コウはなんだかこそばゆい感覚で、
「これまでずっと止まっていたので。少しでもいいから何か役に立つことがしたかったんです」
「ほう」
 ガヴェインはコーヒーを飲んだ。このごろは物資の支援も行き届いてきて、嗜好品も回ってくるようになった。
「セントラルタワーには有能な職員がたくさんいるがね、必ずしも人のために動いているものばかりではない。地位や名誉のために労働するのを責めはしないがね」
「自分のためだけに生きているとすぐに限界がきます」
 コウは言った。頭の中にウェブにいた頃の風景が浮かんだ。快適なだけで、他に何ももたらさない場所。そこにコウは長い間閉じこもっていたのだ。
 ガヴェインはカップを置いて、
「そうだな。我々は助け合って生きている。それは時代とか場所にかかわらず、いつだってそうだ。しかしそれをいつも心に留めおくことは難しい。私は疲れているとつい妻と口げんかしてしまう。そんな気はなかったはずなのに。いつもは多くのことに感謝していたはずなのに。そして翌朝になって思うのだ。ああ、ゆうべはひどいことを言った、とね。だから私は謝る。それが昔は素直に言えなかったものだよ」
 そう言うと微笑した。コウは、それまでただ上司だと思っていた人の厚みを見た気がした。
 ガヴェインは視線を上げて、
「ここでの経験もきっと君の役にたつだろう。いままで立ち止まっていたと言っていたが、それだって今の君をつくっているんだ。月並みな言葉ですまないが、無駄なことではないんだよ」
 コウは胸が熱くなった。
 どこかに残っていた塊が溶け、冷たく灰色だった日々が、淡い色彩にいろどられていく気がした。
「さ。作業を続けよう。今から一級技師の範囲も扱ってもらいたいんだが、挑戦してみる気はあるかね?」
「いいんですか?」
 ガヴェインはうなずいて、
「普段の仕事であればこんなことはできないが、これは臨時の業務だ。アウトプットがよければ過程は問わないんだよ。それに何にせよ私がチェックするし、今後の君のためにもなるだろう」
「ありがとうございます」
 コウは嬉しくなった。
「さ、それじゃ始めよう」
 ガヴェインはよく似合う笑顔とともにうなずいた。

 その日の夕方、食堂で夕食をとっていると、ヒバリとミツキがやってきた。
「ご一緒してもいいかしら?」
 ミツキの問いにコウはうなずいた。スープを飲んだコウは、
「そういやヒバリ、ミツキさんといることが多いよな。ブース近いのか?」
「近いもなにも、彼女が私の上司だもの」
 ヒバリは丁寧な仕草でミツキを示して言った。
「ああ、そうなんですか。すいません知らなくて」
「いいえ。忙しいものね」
 ミツキは笑って、「とても優秀な職員さんで助かってるわ」
「やだミツキさん。そんなことないですよ」
 ヒバリは手を振った。コウは目を半開きにして、
「どう考えてもお世辞だ。真に受けないほうがいいと思う」
「うるさいわねっ、受けてないわよ! それに私あんたよりは百倍マシだと思うのよね」
「それは認める」
 ミツキは声を立てずに笑い、
「二人ともいつも仲がいいわよね。ずっとそんな感じなの?」
 コウとヒバリの視線がミツキのもとで止まった。二人の顔がじんわりと赤らむ。
「そんなことないですよ。ただ腐れ縁なだけです」
 ヒバリは言った。続けてコウが、
「腐れ縁すぎて、彼女は引きこもってた僕をこうして外に連れ出してくれました。今では心から感謝してます」
「そんなこと言ってよく恥ずかしくならないわね」
「僕のために泣いてくれる人なんてヒバリさんくらいのものです。心から感謝してます」
「わーわかったわかった私が悪かったからやめて!」
 ヒバリは耳をふさいだ。ミツキはくすくす笑って、
「うらやましいわ。私にもそんな相手がいたら楽しかったでしょうね」
 コウはミツキに片手を差し出して、
「何なら今からでも僕が相手になりましょうか」
「コウ!」
 ヒバリがテーブルをげんこつで叩いた。ミツキは笑いを押し殺しながら、
「遠慮しておくわ。ヒバリさんより似合いの相手にはなれないと思うから」
「それは残念です」
 コウが分かりやすいため息をつくと、
「コウ、あとで楽しくお説教してあげるわ」
 ヒバリは指をぱきぱき鳴らした。

 そうして、セントラルタワーでの日々が過ぎていった。コウにとっては一日一日が濃密だった。大変だったが、充実していたし、楽しかった。
「よく働いているようだね」
 ひと月近くたったある日。コウが休憩室で一服していると、クローディア局長に会った。
「ええまあ」コウが言うと局長は、
「おかげさまでもうじき復旧できそうだ。あまりにも膨大な物量だったから、当初はどうなることかと思ったが、案ずるより産むがやすしだった」
「そうですね。僕もそう思います」
 コウが来た後にも百人以上の技師がタワー地下にやってきた。
 星も年齢も性別もさまざまな人々を見ているうち、コウは今までの自分がいかに小さな世界に住んでいたのかを思い知った。
 何人かとは話もした。コウが今までの自分のことを話すと、彼らはみなコウを責めずに「それも経験さ」とか「大したことじゃないよ」と励ましてくれた。
 クローディア局長は煙草の灰を携帯灰皿に落として、
「どうだった? ここでの生活は」
 ようやくめどがついたからか、局長には安堵の表情が浮かんでいた。コウはうなずいて、
「大変でした。毎日、仕事が終わるころにはくたくただし。ひさびさにやったことばかりで思い出せなかったりして。ガヴェインさんは僕にできるとことから回してくれたのでとても親切でした。本当に感謝してます」
 局長はゆっくりとまばたきをして、
「そうか。それはよかった。やっぱり辞めてしまうものも少しいてね。これだけ多くの星の技師が集う機会もそうないから、いい経験になると思うんだが」
「その人たちは別の場所で別の経験を必要としているのかもしれません」
 コウが言うと、局長はうなずいた。
「そうだといい。つまらないから辞めてしまうとか、そんなことで自分を閉ざさないでほしい」
 それから、局長と二言三言交わしたコウは、礼をして仕事に戻った。

 エターナルが復旧する――。
 メトロ・ブルーに住む人々の期待が日を追うごとに増していった。人々は「やっと電気が使えるようになる!」とか「今回の教訓を戒めておく必要がある」とか、「そもそもどうして永久機関が落ちたんだ?」とか、それぞれにささやきあった。
「やっとグラインドできるんだな!」
 そう言ったのはナオトだった。
「もう死ぬかと思ったぜ。一カ月間の俺の苦悩を日記にして綴ってたくらいだ。読むか?」
「いらない」
 コウはにべもなく言った。
 休日をもらったコウはウメの家に来ていた。急務とはいえ、何日も続けて働くのは健康に悪い、と局長はすべての技師に最低週一日は休むよう言いきかせていた。
 コウに断られたナオトはがっくりと肩を落とし、
「この前ヒバリが来た時も同じリアクションをされた。君たちそろいもそろって冷たいじゃないか! お兄さん悲しいぞ!」
 ナオトはこの一カ月間、いい具合にねじれていた。コウのようにふさぎこむのではなく、誰かれかまわず話しかけるというのがナオトらしかった。噂ではかなり迷惑な存在になっていたらしい。有名な乗り手だけあって話し相手には困らなかったが、さんざんスト―キングするのであやうく補導されかけたとコウは聞いていた。
「俺いっそウェブに自叙伝でも出そうかな。『空飛ぶ苦悩よ、こんにちは』ってタイトルで。どうだコウこのネーミング」
 ひらひらと手を振ってコウは返事に代え、テラスから室内に戻った。
「ばあさん元気か?」
「ぼうや、あたしの心配は必要ないんだよ」
 ウメは窓から吹くそよ風にあたっていた。
 電気が止まってナオトがいじけてからというもの、ウメは前よりむしろ元気になったとコウは聞いていた。
 うなずいたウメは、
「元気だとも。おっきいぼうやが今度はダメになりかけたからね、説教してる間にここまで来たようなもんさ。おちおち老いてもいられないよ」
 足の不自由なウメだったが、昔ながらの車椅子で軽快に動いていた。
「電動なんてのはあたしには必要なかったね。防風シールドも同じさ。自分の身は自分で守るよ」
 コウは思わず笑っていた。ウメはその表情を見て、
「ずいぶん明るくなったじゃないか。ちょっと前からは考えられないような顔をしてるよ」
「おかげさまで。迷惑かけました」
「これからもかけるんだから、かしこまった挨拶は抜きにしとくれ。あたしに言わせりゃ、あんたはまだ始まってすらないんだよ」
 ウメは手を振った。
「さて、お茶でも入れようかね」
 どこからか調達してきたガス式のコンロに水入りのポットを置くと、ウメは火をつけた。パチパチいう音が、静かな部屋に心地よく響く。
「ああぼうや。ラジオをつけておくれ。いつものだ」
「はいはい」
 コウは周波数を745に合わせた。ノイズに混じって、聞きなれたDJの声がする。
『はい。こちらエラ・マリンスノウのラジオ、氷河(フィヨルド)漂流記(ダイアリ)です! みんな元気かしら? もうすぐ電気がかえってくると聞きました。みんなはこの一カ月どんなふうに過ごしましたか。 いつもよりずっと不便だったけれど、私はこのひと月を忘れずにいようと思います。だって、大事なことがたくさん分かった一カ月だったから。それじゃあ聞いてください。「夏の庭」』
 ピアノソロによる軽快なポップソングが流れ出した。コウはこんなに素敵な音楽がこの世の中にあったのかと思った。
 コウはポケットから注射器を取り出した。フェードアウト。取り寄せておいた予備は、もう彼には必要のないものだった。
 コウは大きく振りかぶると、海の向こうまで思い切り注射器を投げ捨てた。

       

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