Neetel Inside ニートノベル
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 そして、その日がやってくる。
 セントラルタワー地下、永久機関(エターナル)制御室。
 すでに帰省した者以外、すべての技師たちが集まっていた。みな中央にある大型液晶モニタを見つめている。
「さあ、諸君」
 クローディア局長が両手を合わせた。
「いよいよこの時が来た。一カ月半もの間、皆ほんとうによく働いてくれた。こんなに多くの技師と仕事をするのはこれが最初で最後かもしれない。いや、記憶に残る素晴らしい日々だった。大変だったが、なんとかここまで来ることができた」
 すべての作業は完了した。昨日、局長が最後のプログラム工程を終えると、制御室には果てしない安心感が広がった。
「すべては今日これから、永久機関(エターナル)を再駆動させることではじまる。これは今回の我々の仕事の終わりではあるが、同時に諸君と、惑星メトロ・ブルーの新たな日々のはじまりでもある。これを機に今までの生活を見直してみるのもいいだろう。私としてはもう少し休暇を取りたい。今度リトル・フォレストあたりに避暑に行こうかと思っている」
 技師たちが笑った。局長はコンソール盤まで歩み寄ると、
「それでは永久機関(エターナル)、起動!」
 制御室内の臨時電源が消えた。室内がまったくの無音になると、液晶モニタがほのかに光りだす。
 ――DATE 03/16 3150 AM10:25
 ――METRO BLUE ENERGY SYSTEM『ETERNAL』
 ――PROGRAM READY
 コウとヒバリは息を飲んで行方を見守っていた。一年以上前の技師試験結果を待っている時よりよほど緊張した。
 画面がふっと消える。室内がざわついた。
 失敗したのだろうか? とコウが思っていると、画面が青く光りだした。間もなく、コウはそれが海と空を映したものであることに気がついた。
『――聞こえているだろうか、未来に住む人々よ』
 高い声が聞こえた。
『私はガウスだ。ガウス・レインブルー。この装置、エターナルの創設者だ』
 制御室内がどよめいた。
「ガウスか!」「まさか肉声が聞けるとは」など、技師たちはそれぞれにささやきあった。
『映像は私がいる2895年のメトロ・ブルーだ。すでに海洋化は取り返しのつかないところまで来ている。我々はこの事態をもはや止められそうにない』
 コウはモニタを食い入るように見つめていた。カメラ映像はセントラル・シティの周囲を撮影したもののようだった。今より命脈が太かったのか、陸地が多かったのか、緑がより多く残っている。
『私は絶望している。この先にどんな未来が待っているのか。そこにいる人々は幸福なのか。私は多くの時間、未来の惑星の行方について考えている』
 ハンディカメラの映像らしかった。一度揺れて、室内に入っていく。低い位置から、数百年前の映像がうつされる。研究室のようだった。
『これが開発中のエターナルだ』
 そこには小さな心臓のような、赤い光があった。とくとくと脈打つように、人口の光が明滅している。
『私はいま迷っている。他でない、この装置を実用化することについてだ』
 室内はざわめいていた。技師たちは互いに意見を交換しているようだった。クローディア局長は、黙ってモニタを見つめている。
『この映像を君たちが見ているということは、結果的に私は装置を世に放ったことになる。おそらくその場合、メトロ・ブルーは他の惑星が追いつけないほど暮らしやすい場所になるだろう。エターナルは複製が利かない。今後いかなる星もこのようなエネルギー源を有することはかなわない、私はそう確信している』
 ガウスはふたたび外に戻った。高層マンションの上から、遠くに青い海が見えた。
『この星は依然として美しい。それはこれからも変わらないだろう。しかし、人々がこの星に住み続けても、明るい未来があるとは限らない。私はそう考えている』
 ガウスはテラスのテーブルにカメラを置いた。椅子に座るような音がして、
『豊かになれば、人は反対に何かを失う。私の時代においても、その傾向は多々見られる。私はあえてこの言い方をするが、すでにネットの侵食によって、ものによる文化はほとんど終わりに近づいている。すべてを電子化することがどれだけ危険であるか。ある者はそのことに気がついているし、あるものは見過ごしている』
 ガウスは一呼吸おいて、
『結果として、人々は情報化するほうを選んだ。流れに身を任せたのではなく、たしかに選び取ったのだ。あらゆるものは質量を失い、データに置き換わった。作品は無限の収容空間をもつネットに放りこまれた。それはブラックホールだ。一度入ると出てこられない。引力に吸い寄せられ、人々はその中で新しい文明を生み出すかもしれない』
 コウはウェブのことを言っているのだと思った。
『それを進化と呼ぶものもあるだろう。しかし私はそう思わない。人間は決して観念の海に住んでいるわけではないのだ。物質による世界にいてはじめて生がある。意識のみが溶けだした場所に、いかなる価値もない』
 コウはうなずいた。まさしくその通りだと思った。
『ゆえ、私は悩んでいる。この装置を世に放てば、情報化、観念化はすさまじい速度で進むだろう。そして人々は忘れていく。かつて人間の暮らしがどのようであったかを。何が起こり、何が失われたのかを。それは忘れてはならないことだ。失くしてしまえば、もう取り戻せず、引き返すこともかなわない』
 ささやきはいつの間にかなくなっていた。誰もがじっと、ガウスの言葉に耳を傾けていた。
『私には考えがある。この迷いに対するひとつの回答だ。もし私がエターナルを世に放つ場合、この考えを実行しないわけにはいかない。それが人々のためだと私は信じている』
 ガウスは再びカメラを持つと、立ちあがって歩き出した。彼がいるのは、どうやらセントラル・シティのはずれにある高層ビルのようだった。
『それは次のようなものだ。エターナル駆動後、一定の期間……数百年が経った際に、エターナルのシステムをすべてダウンさせる。おそらくその頃にはこの星の生活はほとんどがエターナルに依存したものになっているはずだ。人々は大混乱を引き起こすだろう』
 室内がどよめいた。
「何てことだ」「ガウスがやったことだったのね」と声があがった。
『しかしそれは必要なことだ。その時人々が、ダウンプログラムを仕組んだのは私だと知れば、彼らは私をののしるかもしれない。それまで数百年生きた地盤を作ったのが私であったとしても』
 確かにそうだろう、とコウは思う。このような事態が起こらなければ、間違いなく今までの暮らしが続けられていたはずだ。コウはここに来ることもなかったし、ミツキ、ガヴェイン、クローディア局長や他の技師と話すこともなかった。ウェブにいた人も、そのまま閉じこもっているに違いない。
『しかし、私はエターナルを完全に停止させるつもりはない。プログラム再構築の手段を残すことにする。膨大な作業が必要になるが、人に善なる意思が残っていればやり遂げられるはずだ。そうだな……この映像は復旧完了時に流れるようにしておこう』
 ガウスは立ち止まった。彼のいる高層マンションからは、今よりずっと前のセントラル・シティが眺望できた。映像の中では夕方が近づいていた。
『とすれば、今これを見ているあなた方は復旧を無事に終えたはずだ。まずはおめでとう』
 ガウスはベランダのへりに、内側を向けてビデオカメラを置いた。そしてその前に立った。
 制御室から一番の驚きが起きた。
 ガウスは少年だった。それも、まだ十歳くらいにしか見えない。
「子どもじゃないの」
 ヒバリが言った。同じような反応がそこらじゅうであった。
『復旧には長い時間がかかったはずだ。その間、あなたがたは互いに助け合わなければ生きていられなかったと思う』
 ガウスの金髪が風になびいた。コウは彼の表情に、憂いのようなものを感じ取った。
『私の発明を使えば、ずっと快適に過ごすことはできる。しかし、それがない時間のほうが、多くの不自由はあるものの、より人間的で、精神的に豊かでいられるはずだ』
 室内にいる技師たちから深いため息が漏れた。嘆くというよりは、考えているような。
『エターナルは復旧する。これが終われば、あとはもう寿命が来るまで動き続けるはずだ。しかしどうか忘れないでほしい。ながい時間の中で、我々が何を得て、何を失ったのかを。これはただ一度の機会なのだ。私は人々が光を取り戻すと信じている』
 ガウスは礼をした。
『さらばだ。永久機関(エターナル)、再起動』
 間もなく室内に電気がともった。ガウスの映像をうつしていたモニタは、「OK」の表示とともに正常状態に復帰した。
「やったぞ! 元に戻ったんだ!」
 制御室にいる人々から賛嘆の声があがった。あるものは握手を、あるものは抱き合って復旧の喜びを分かちあった。
「戻った、戻ったわ! コウ!」
「うわっ」
 ヒバリはコウを抱きしめた。
「おい、ちょっ。ヒバリ!」
 コウは衆目を気にしたが、祝賀ムードの室内では大きく目立つこともなかった。
「だって嬉しいじゃない」
「そりゃそうだけどな。正直……恥ずかしい」
 ヒバリはコウを解放すると、両手を取って、
「よく頑張ったわね」
 コウの頬にキスをした。コウは耳まで真っ赤になった。

 エターナルの復旧はたちまちのうちに惑星中の電気をよみがえらせた。ものの半日で、電気が必要なものはほぼすべて元通りになった。コウが昼食をとりに食堂に上がる頃には、セントラル・シティの空を嬉しくてしょうがない様子のグラインダーたちが飛んでいた。
「興味深いビデオテープだったわ」
 ミツキが言った。ヒバリとコウとともに最後の昼食をとっている時のことだ。
「ガウスが少年だったというのもそうだけど、あれだけの功績を残した人物が葛藤していたなんてね」
 しかしヒバリは首をひねって、
「でもどうなのかしら。この一カ月とても多くの人が困っていたし、他の星にもずいぶん助けられたわ。そうなることが分かっていて停止プログラムを仕掛けるなんて、私には理解できないわ」
 コウはどちらとも言えなかった。確かに、街に出ればヒバリのような意見をたくさん耳にしそうだった。しかしガウスの言っていたことはコウにとってもっともだった。
 ミツキは長い髪を揺らせて、
「何にせよ、今後考えるべき課題でしょうね。特にこの星はウェブによる退廃化が問題になっているでしょう」
 三人はそれぞれ物思いにふけった。
「ガウスは今の時代をおおよそ見通していたみたいだな」
 コウはつぶやいて、
「そのうえで停止プログラムを組み込んだ。復旧不可能にすることもできたはずなのに、出口も残した」
 ミツキはうなずいて、
「とてもエゴイスティックな行為ではあるわ。今回のことで無視できない経済被害や負傷者だって出ているもの」
 そう言って笑い、
「それでも、私は彼の思想に心打たれた」
 ミツキとはその後で別れの挨拶をした。母星での仕事が山積しているらしく、至急帰省しなければならないとのことだった。
「また会いましょう。あなたたちを見てるのは楽しいしね」
 そう言い残すと、彼女は移動専用のグラインダ―に乗って颯爽と飛び去った。
「かっこよかったなぁ、ミツキさん。私もあんな風になりたいわ」
 ヒバリが言った。コウは、
「まず性格矯正からだな。幼馴染を罵倒するクセを直すところから始めたらどうだ」
 ヒバリはコウの頬をぎゅうっとつねり、
「どの口がそんなこと言うのかしらねー。これかなぁ?」
「いだだだ」

       

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