Neetel Inside ニートノベル
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 コウとヒバリはしばらく会うことなく過ごした。ヒバリは来る日も来る日もコウのことが心配でたまらなかった。しかし彼のもとに行くことがどうしてもできなかった。自分が行けば、反対にコウは心を閉ざしてしまうのではないか。そう思った。
 一度、トウジからヒバリに連絡があった。
『ヒバリちゃん、ひさしぶり。その後コウはどうだ? 俺のほうから連絡しても反応がなくてさ。たまには遊びたいんだけどな、あいつと』
 ヒバリは何と言うべきか迷った。真実をそのまま伝えるのは彼女にはためらわれた。
「うん、大丈夫だと思う。あの後私に謝ったしね」
 ヒバリは嘘をついた。トウジは電話越しに安堵して、
『そっか。それならよかった。もしかして何かあったんじゃないかって心配になってたとこで。ああいや、ごめん。平気ならよかった』
 トウジは気を遣っていたが、ヒバリはむしろつらくなった。
「ごめんね、心配してくれてありがとう。今度またみんなで会いましょう」
 それだけ言うのが精一杯だった。早く通話を終えたかった。ヒバリは嘘をつくのが得意ではない。
 また連絡する、と言ってヒバリは電話を切った。どうすればいいのか彼女には分からなかった。
 いっぽう、ナオトはレースに向けて順調にコンディションを整えていった。ナオトにはナオトで考えていることがあったが、誰にも言わなかった。
 やがてナオトの出場するレース当日になった。しかしコウは会場に現れなかった。
 グラインドレース世界大会の幕が上がる。

 澄みきった大気に真っ青な海が広がっている。今日もよく晴れていた。
「ご覧ください! 見渡す限りの青! 天気は快晴、死角なし! 奇跡の惑星メトロ・ブルー! グラインドレースワールドカップ、司会はわたくしウェストサイド放送局DJ、ラッキー。解説はおなじみBBことボブ・ボガネット!」
 海上のメインスタジアムに割れんばかりの拍手が響く。
「ようお前ら! 元気にしてたかぁ! がはははは」
 たくましい男、BBは両腕を突き上げて拍手に応えた。
「さあいよいよですねBB。年に一度のレース! どうですか今の心境は」
 司会のラッキーが上げる軽快な声に、BBは山に轟くような大音声で、
「がはは最高だ! 俺っちは昔を懐かしんでたところでぇ。グラインドのあの疾走感! 高揚! ようお前ら、盛り上がってるかあ!」
 数万の人でひしめく観客席がわいた。世界中、星系中から人が集まっていた。この時期だけメトロ・ブルーは渡航費用が安くなる。
「ご存じのように、BBはかつてのグラインドレースワールドチャンピオンであります。奇跡の三惑星制覇を成し遂げたのは後にも先にも彼だけでありましょう!」
 ラッキーが一息に言いきった。BBは、
「最高の瞬間を最高にご機嫌な奴らのレースとともに過ごせる幸福よ! 俺はこの時間に感謝するぜ! お前らはどうでぇ!」
 また観客席がわいた。それぞれに応援する選手の光子迷彩(フォトンカラー)や、トレードマークのあしらわれた帽子をかぶっていた。
「さあ今回のレース、なんといっても注目は二つの若き流星、ウィングとナオトでありましょう。ともに優勝候補ですが。ボブ、ほかに注目の選手はいますか?」
 ボブは興奮に息をあげて、
「俺としちゃ惑星ガイア・レイのミツキに注目だ。奴ぁえれえべっぴんな女だが、どっこい腕前は確かなもんよ。おめえらあいつの飛行に惚れんじゃねえぞ! 後はなんといっても前回王者のルイだ。奴の技巧、しなやかさ、卓抜した強さには誰も近寄れねえ!」
 会場が割れんばかりの大歓声にわいた。どちらの選手にもファンが多いことを物語っている。
「総人数一万人の大レース、参加するだけでも一生語れる話のタネとなります。さあ、それではここで前回の王者ルイ・ミルトンによるデモンストレート飛行です!」
 鳴りやまぬ歓声をぬって、緑の軌跡がすっと空に伸びた
 軌跡は海上に一本のあざやかなラインを描く。ひきつけられた観客たちは、水を打ったように静かになった。
 はじめ、人々はそれがグラインダーだと気づかなかった。深緑色のグラインダーは、やわらかなリボンのように弧を描き、くるくると回って上昇する。
 王者ルイの飛行は流麗だった。まるで天が人の姿をとって踊っているかのようだ、と観客の一人は思った。ゆっくりと飛んでいるかと思えば、いつの間にか速度を増して、驚くほど高く、遠くへ行っている。
 ふいに、ルイは空中で静止した。
 風が凪いだ。
 あらゆるものが息をひそめる。時間すら止まったかのように、誰もがじっと彼を見ていた。

 それはウェブにおいても同じだった。
 グラインドワールドカップの模様は、メトロ・ブルーや近隣の惑星のあらゆるメディアを通じて生中継される。
 コウは表情を変えずルイの飛行を見ていた。ウェブ内の都市、サクラシティでのことだ。
『すげえなあ。俺もここ、ウェブの中でならあのくらいできるのに』
 隣にいたフレンドの一人が言った。別の一人が、
『ふふ。そりゃここならたいていのことは思いのままだもんね』
 コウは特にチャットに加わることもなく、漫然とルイの飛行を見ていた。画面では分からないが、ここ数日でコウはずいぶんとやせ細っていた。目に光はなく、意識もおぼろだった。
 コウの口数が少ないことに気づいたのか、フレンドが、
『おいコウ、このところ元気ないな。もともとお前はダウナーだけど、最近ちょっと心配になるぜ。何かあったか?』
「……僕のことは気にしないでくれ」
 コウは儀礼的に思念を飛ばした。
『そうかい。ならいいけどさ。ま、ウェブの住人なんて誰でも何かしら問題抱えてるだろうし』
『そういうあなたはどうなのよ』
 女の子が言った。男のほうが肩をすくめ、
『さてね。それじゃ君は? 何なら僕が相談に乗ってあげてもいいけど』
 フレンドたちはレースの観戦もほどほどに談笑していたが、コウはもう長らくそうした輪に加わっていなかった。ちょうどヒバリが来なくなった日から。
 画面の中、王者ルイ・ミルトンによるデモンストレート飛行が終わる。

 拍手喝采が会場を包み込んでいた。
「ブラボー! すばらしい飛行だ。どんな飛び手もお前の繊細さにはかなわねえぜ」
 BBがルイの飛行をたたえた。誰もがうっとりする飛行だった。やまぬ興奮の中、
「さあ、レースは三十分後にスタートです。それまでの間、前大会のハイライト映像でお楽しみください」
 ラッキーがアナウンスすると、ホームスタンド前の超大型気晶モニタが映像を映し出した。

 ナオトは一番高い、関係者専用のデッキから会場の様子を眺めていた。
「相変わらずあっぱれな奴だな」
 ナオトがつぶやくと、それを待っていたかのように後ろから声がする。
「だが、グラインドレースは何が起こるか分からない。俺やお前が勝つ見込みも十分にある。そうだろう?」
 親友でありライバルのウィングだった。片側を刈り込んだ特徴的なショートカットは、一見すると女性にもみえる。彩度の高いカラーで縁取られた眼鏡の似合う親友。その笑顔にナオトは、
「もちろんだ。勝つつもりで来たからな」
 片腕でガッツポーズをつくった。ウィングは満足そうにうなずいて、
「あいにくだが勝つのは俺のほうだよ。お前はあのルイを適当におちょくってくれりゃいいの」
 自信をのぞかせる笑みを浮かべた。
 ナオトとウィング。同い年の二人は小さい頃からひたすら空を飛んで生きてきた。
 もっともグラインドに打ち込んだ時期など、一日のうち空にいる時間のほうが長かったくらいだ。ともに十代で惑星代表の座を射止め、今ではワールドチャンプの座を狙うまでになった。
 ナオトの武器はなんといってもスピードだった。青い弾丸と呼ばれる飛行は常にエネルギッシュで、疑うことなく大空へ飛び出していける。誰もが彼の無垢な飛行をうらやんだ。
 一方、ウィングの長所は変幻自在の器用さにある。それゆえ、コースを選ばず安定した力を発揮できる。今回の下馬評でも、ウィングのほうがナオトより優勢との予想だった。
「ま、どっちが勝っても恨みっこなしだよん」
 ウィングが言った。
「簡単には勝てねえよ。俺がいるからな」
 ナオトが笑った。

 五分後。
 無数の選手がアップをすべく周囲を飛び回る中、ナオトは観客席に向かっていた。
 関係者席の前のほう、ヒバリがウメと並んで座っていた。その隣に空席があることに気づき、ナオトは頭をかいた。駆け寄るとそこに座り、
「よう」
 ヒバリの肩をぽんと叩いた。ヒバリは驚いて目を見開き、
「あ。え、ナオト!? 今来て大丈夫なの? レースまであと二十分くらいでしょ」
 ナオトは首を振り、
「問題ない。朝早くから十分に温めてあるからな。それよりも」
 と自分の席を指さして、
「あいつはやっぱり来てないのか?」
 ヒバリはうつむいた。静かにうなずいて、
「来てない。あれから一度も会ってないもの」
 二人の会話を聞いていたウメが、
「あの子自身がほんのわずかでも変わらないと今のままさ。しかしそれにはきっかけがいる。こっちから強いたってダメなんだよ」
 ヒバリは誰の目にも分かるほど落ちこんでいた。
「私、どうしたらいいか分からなくて。このままだとまたコウがあんな風に」
 言いかけて下を向いた。ウメがヒバリの肩に手を回すと、ヒバリはふるえだした。
「俺にできるのはこのレースで勝つことだけだ」
 ナオトは言った。
「ウェブにも中継がいくからな。嫌でも見てるだろう。ウィニングランのあと、あいつにインタビュー越しで訴えてやるよ。目え覚ませこの野郎! ってな」
 ナオトはまだ何か言おうとしていたが、
「ヒバリ、君もあんまり気に病むな。いつものように笑ってるのが一番いい」
 立ち上がり、観客席から歩き去った。近くでファンからナオトに写真撮影を求める声がした。しかしナオトは答えなかった。

       

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