Neetel Inside 文芸新都
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35億のゾンビ
プロローグ (2011/8/24、末から14行加筆)

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 日本最大規模72,327席の観客収容能力を誇る屋外多目的競技場、日産スタジアム。スタジアムは今日も熱気に溢れていた。
 ただ、今日のスタジアムはいささか風変わりだった。競技は行われておらず、出入り口は全て封鎖。もちろん声援も聴こえず、苦しそうな呻き声が響くのみ。スタジアムはゾンビで埋め尽くされていた。

 ――誇り高く聳え立ち、他の追随を許さぬ高層ビル。
 ビルの上階に各国の首脳が集い、緊急サミットが開かれていた。
「ご覧の通り、ゾンビは増加する一方です。迅速に手を打たねばなりません」
 首脳の一人がモニタを指しながら言った。
「しかし……ゾンビなど現実に存在しうるのか?」
「こちらのスタジアムをご覧ください。ゾンビの隔離所として利用しています」
 モニタにスタジアムの映像が映し出された直後、部屋の随所で驚きの声が漏れる。
「クレイジー……」
「こんなにいるのか、その、ゾンビは……」
「これはほんの一部です。発見されたゾンビは各国・各地の収容所に随時隔離していますが、人員や収容所の不足等から、殆どのゾンビは野放しにされているのが現状です」
「……現在までに確認されているゾンビの総数は?」
「30億を超えるゾンビを確認しています」
 数人の首脳が絶望の声を上げる。
「30億……世界人口の半数近くに及ぶぞ」
「本日欠席されている首脳の中には、ゾンビと化した首脳もおられます。これだけ集まったのは不幸中の幸いでしょう」
「私はそのゾンビという呼び名が気になっているんだがね、彼らは本当に死人なのか?」
「正確には死んでいる訳ではありません。生きた人間が突然あのような変貌を遂げます
 変貌に至る原因は不明です。変貌した人間は、虚ろな目でどこかへ歩いて行く、他人に危害を加える等の行動に移ります
 そして変貌した人間に話しかけても反応がなく、意思の疎通が不可能です。以上の点からゾンビと呼ばれています」
「なるほど。しかしこの短期間に30億もの人間が……その変貌は感染するのか?」
「感染するかどうかも不明です。連鎖的に変貌していた地域も見られますが、今のところ変貌に規則性は見出されておりません。
 空気感染の恐れもあるとして調査中です」
「空気感染か、参ったな……」
「それで、どうする」
「私は一刻も早くゾンビを殺すべきだと考える」
「しかし……外見は人間と全く同じなんだ。大量虐殺は人道的に……」
「そんな心配をしている場合か? 最初のゾンビが確認されてから4日程度……4日で30億だ。
 空気感染が事実だとすれば、今ここに居る我々も危険だ。
 もし我々が感染すれば、世界は更なる混乱に陥るだろう。そうなってからでは遅いぞ」
「確かに……手を打つなら早い方がいい」
「他に意見のある方は?」
 部屋を沈黙が支配する。
「では多数決を取ります。本来であればコンセンサスを重視すべきところですが、現在の状況は世界規模の緊急事態であり、何より時間がありません。30億のゾンビを殺すことに賛同される方は挙手をお願い致します」
 首脳達は横目でお互いの顔色を伺い、ロダンのブロンズ像のように沈黙する。
 沈黙を破ったのは、モニタの前で現在の状況を解説していた首脳だった。モニタの前の首脳は真っ直ぐ前を向いて手を伸ばした。
 それを皮切りに次々と手が挙がった。手を挙げた首脳が、部屋全体の7割程度に達した時、軍事大国の首脳が声を荒げた。
「決まりだな! 私が手配しよう」

 まず各国のゾンビ収容所が焼き払われ、次に収容し切れなかったゾンビに対して攻撃が加えられた。変貌していない人間の避難よりも、ゾンビの殲滅が優先された。現在までに誰がゾンビと化したか、誰がゾンビに殺されたか、正確に把握する術はない。従って、ゾンビを殲滅する過程で人間を殺したとしても何の問題もなかった。
 “ゾンビ”に対する攻撃は徹底的に行われた。
 ――誇り高く聳え立ち、他の追随を許さぬ高層ビル。
 再びビルの上階に首脳達が集う。出席数は前回のサミットと同じ、一人も欠けていなかった。
「……報告は以上です。現在は攻撃を停止、上空からの生き残り調査に移っています」
「前回のサミット以来、新たに変貌した人間に関する報告は上がっておらん。変貌していない人間には念の為にもう少し待機して貰うが、未曾有の危機は去ったと言っていいだろう」
「実に迅速でしたよ、流石ですね」
「今更言うべきことではないが……本当にこれで良かったのかどうか……」
「良いも悪いもないでしょう。あの時決断しなければ、今日の世界に人間は存在しなかったかもしれない」
「確かにそうだが……我々が殺したのはエイリアンではなく、元は人間だったものだ」
「犠牲は出たが、あれは世界に必要な犠牲だ。むしろ最小限に抑えられたと喜ぶべきだろう。エイリアンか、ゾンビか……それだけの違いだ」
「ふむ……」
「生き残り調査の期間についてだが、しばらく……ん……」
 喋りかけた首脳を違和感が襲う。
「今……」
 顔を見合わせ、当惑を確認し合う者。眼球を忙しなく運動させ、原因を探ろうとする者。部屋中の人間が一様に違和感を感じていた。
「おい、今喋ったのは誰だ?!」
 一人の首脳が発した言葉に返事をする者は居なかった。首脳は部屋中の怪訝な表情の意味を探るように言葉を続けた。
「脳に直接意思をねじ込まれるような感覚を味わった……あれはまるで、夢の中で話しかけられるような……」
「私にも聴こえました……我々がゾンビと呼んでいた者は、ゾンビではないと……」
 ゾンビの殲滅に納得がいかない様子だった首脳が、その言葉を受けて、ビクリと体を震わせた。首脳の顔が蒼白に染まっていく。
 蒼白な顔の首脳が決心したように立ち上がり、カーテンの閉まった窓へと近づいていく。カーテンを勢いよく開けたその先は、暗闇だった。蒼白な顔の首脳が目を見開いたまま口を開く。
「今、何時だ?」
「……午前10時36分です」
 蒼白な顔の首脳は右肩に重心を乗せ、窓を突き破った。蒼白な顔の首脳は、反射する光を失った窓の破片を纏いながら、暗闇へと落ちていった。

       

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