Neetel Inside 文芸新都
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35億のゾンビ
一日目 (2011/8/24)

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 柔らかい陽射しが差し込む窓。
 
 このアパートの唯一の取り柄だった陽射しが、一瞬にして失われてしまった。
 窓の外には暗闇が広がっている。
 暗闇の中、体に染み付いた感覚で電灯の紐を引っ張り、ぼやけた電灯の光を頼りに押入れから懐中電灯を取り出す。窮屈さを感じるこの部屋も、こういう時は便利だ。
 懐中電灯を左手に握ったまま玄関の扉を開けると、少し遅れて二つ隣の部屋から伸太郎さんが顔を出した。
 このアパートには二人しか住んでいない。だから何か物音が聴こえると、必然的に音の主が動いている光景が目に浮かぶ。
「翔君、少し話したいことがあるんだけど、そっちに行っていいかい?」
「ええ、どうぞ」
 伸太郎さんは光源を持っていない様子だった。俺は手持ちの懐中電灯で、木造のくたびれた廊下を照らしてやった。

   *

「水でいいですか?」
「うん」
 冷蔵庫から取り出した水をコップに注いで差し出した。伸太郎さんはよっぽど喉が渇いていたのか、一息に飲み干してしまった。
「冷えた水は美味いねえ」
 空になったコップに再度水を注ぎながら、伸太郎さんの部屋には冷蔵庫がなかったことを思い出した。
「それで、話というのはね、この暗闇のことなんだけど……翔君には原因が分かるかい?」
「地球を覆うものが存在するからでしょうか」
「なるほど……翔君にも聴こえていたのか、ふむ、そうか」
「聴こえました。脳内に直接響くように言葉が」
「そう、それだよ。暗闇が訪れる直前、僕の頭にも言葉が飛び込んできた」
 傍から見れば頭のおかしな二人組みに映るかもしれない。もし一週間前の俺が今の会話を聴いたら、ただの戯言として片付けていただろう。俺達が異常だという事は理解していた。今の俺達は先日のゾンビ騒動を経て、少々の異常はすんなり受け入れることができた。

「お互いが聴いた言葉に違いがないか、一つずつ確認していこう。まず、僕達に言葉を伝えてきた存在は、地球外生命体と名乗った」
「合ってます。次に俺が聴いたのは、地球外生命体であることを証明する為に、今から24時間地球を覆うと」
「僕もそう聴いたよ。太陽、月、その他の星々、宇宙からのあらゆる光は24時間経過するまで地球の何処にも届くことはないと言っていた」
「異星人は、地球人のある願望に興味を持ったと言っていました」
「それは、自殺願望……自殺する生命体は宇宙規模で見ても非常に稀で…………すまない、話の途中だけど便所に行ってくる」
 伸太郎さんは、俺が手渡した懐中電灯を片手に、部屋の外にある共同トイレへ向かっていった。普段は常温水ばかり飲んでいるから、たまに冷水を飲むと結構な率で腹を下す。
 今のうちに異星人の言葉を整理しておこう。

 異星人には自殺の概念がなく、自殺のメカニズムも分からない。異星人に分かっているのは、自殺願望は感染するということだけ。このままではいずれ地球人が宇宙へ進出した際、自殺が宇宙へ感染する恐れがある。異星人は自殺の原因を解明しようと試みた。
 まず地球人の半数にあたる35億の人間の知能を低下させて自殺率を計測し、知能が正常な人間と比較することで、知能と自殺の関わりを調べようとした。しかし知能が低下した人間は意思の疎通が出来ず、原始的な行動を繰り返すことからゾンビ扱いされ、同じ人間に殺されてしまった。
 異星人はこの事から、地球人の自殺や同属殺しの要因は、過剰な自己防衛本能にあると考えた。今回の知能低下実験では種の半数が異常を来したが、異星人はこのような場合、種の存続を目標とする。しかし地球人は、個がそれぞれ、個の存続を目標としていた。地球人は種を犠牲にしてまで個を優先する。
 異星人は、地球人という種は他の種の存続を阻害する危険性を孕んでいると考え、地球人の自殺願望を取り除くことにした。
 願望を取り除く為の最も確実な方法、それは願望を実現させること。
 自殺を実現しやすい環境を与えることで、自殺願望を持つ地球人を篩いにかけ、結果的に種から自殺願望を取り除くことが出来る。
 異星人は種の為に自殺しやすい環境を作り出した。定めた期間は一週間、一週間以内に自殺した地球人はすんなり死ねるが、一週間生き延びた者は、いずれ訪れる死の直前に異星人によって意識を取り出され、その意識は孤立したまま永遠に存在し続ける。

   *

「うん、僕が聴いた言葉と全く同じだね」
 頭の中に響いた言葉の内容を伸太郎さんと照らし合わせたはいいが、いまいちそれに対する実感が湧かなかった。
「翔君はどう思う?」
「ゾンビ騒動から転じて異星人の来訪だなんて、今時三文小説のネタにもなりませんよ」
「しかし外に広がる暗闇を目の当たりにすれば信じるしかないだろう。問題は異星人が僕達に伝えた言葉の内容だよ」
 一週間以内に自殺しなかった人間は、死後、意識だけで永遠に存在し続ける。だが、そんな事が本当に可能なのだろうか。
「意識を取り出して永遠に生かし続けるだなんて、俺には信じられませんよ」
「僕も無茶苦茶だと思う。しかしそれが真実だとすれば、何もせずに一週間を過ごしてしまうと取り返しがつかない。真偽を確かめる術もない」
 確かに、実際に死ぬまで真実は分からない。もし死後に意識を取り出されたとしても、その意識は孤立してしまうから、他の誰にも伝える事が出来ない。本当に異星人が35億もの人間の知能を低下させたとすれば、人間の意識を取り出すことだって出来るかもしれない。

「僕達には、異星人が作り出した環境を放棄する自由もある。しかしその放棄は損失でしかない。僕達は自分の為に、この環境と真剣に向き合うべきだよ」
「そうかもしれませんね。伸太郎さんはどうするつもりです?」
「うーん、どうするかなあ……まあ、なるようになるんじゃないかな。ははは」
 俺自身もそうだが、この人も能天気なところがある。ゾンビ騒動の時だってそうだった。状況が分からないから慎重に行動しなければと言いながら、玄関の鍵を開けたまま眠っていた。
「そうだ、まずは状況を把握しなければ。ラジオの電池はまだあるかい?」
 開け放しにしていた押入れからラジオを引っ張り出し、つまみをゆっくりと回す。このアパートにはテレビが一台もない。伸太郎さんに至ってはラジオすら所有しておらず、今つまみを回しているこのラジオが俺達の唯一の情報源だった。

 ラジオから聴こえてきた声は、淡々とした口調でさっき俺達が照らし合わせたものと同じ内容の話を繰り返し、明日の午前10時36分までは暗闇が続くと予想されるので、事故を避ける為に出来るだけ出歩かないようにと呼びかけていた。
「やっぱり異星人の言葉は皆に聴こえたみたいだねえ」
「それじゃ政府も隠蔽しようがありませんね。ゾンビ騒動以上のパニックを引き起こしそうだ」
「もう都心はパニック状態かもね。何にせよ今日一日は動かない方がいいよ」
「そうですね。今日一日というか、もう一週間もこのアパートに缶詰ですけど」
 一週間前、バイト先の工場に辿り着くと、残っていた工員に工場の停止を告げられた。ゾンビの出現に世間が騒いでいるという事もその時知った。
 そしてラジオから流れてくる指示に従い、食料を買い込んで自宅に篭った。情報源の乏しさが幸いし、世間がいくら異常であろうと、俺の周りは平常だった。異常事態に対する実感が湧かない理由もその辺にある。
 ゾンビと呼ばれていたモノも、この目で一度たりとも確認することはなかったし、その元ゾンビが具体的にどうなったのかも知らない。ただ、ラジオの向こうで何かが起こっていた。

「しかし……異星人の思考はどうなっているんだろうか」
 伸太郎さんがでこぼこのきゅうりをかじりながら呟いた。
「思考というと?」
「異星人は苦痛を感じないのかなと思ってね。だって、地球人は誰だって死にたくなることぐらいあるだろう? 何故異星人には自殺という概念が生まれなかったんだろう」
「苦痛を感じる感情がないんだと思います。異星人の言葉から察するに、異星人はあくまでも種として行動しているようですから、個としての感情は持っていないのではないでしょうか」
「では翔君は、異星人は生死に対して何の恐怖も抱いていないと、そう考えているのかい?」
「そうだと思います。ただ、異星人は自殺が宇宙に感染する事を危惧していましたよね。感情がなく、意識を取り出すことが出来る異星人にとっても、死は一つの終わりであると言うことじゃないでしょうか」
「つまり意識だけで存在することは種の存続ではないと?」
「はい。それだけ意識が無力だと言うことかもしれません」
「なるほど……翔君の憶測が真実だとすれば、異星人は、無力な意識だけで永遠に存在し続けること、それを生きている地球人に伝えることが自殺の抑止力になると考えたのか」
「永遠の無力、それは地球人にとって十分な恐怖です。しかし個として存在する地球人にとってはただそれだけではなく、更に永遠の孤立が加わることにより、個の感情が恐怖を増幅させます」
「ふむ、その恐怖に押し潰された地球人は一週間以内に死んでしまい、結果的に自殺を選択しなかった地球人が種として残るということか」

 正直、こんな憶測を語ることは無意味かもしれない。しかし、この何もないアパートで他にやることもない俺達は、よくお互いの部屋に転がり込んで無意味な話題に興じていた。
 だからゾンビが出たって俺達にとっては無意味だし、異星人が来たって無意味だった。少なくとも、この世間とは程遠いアパートに腰を落ち着かせている限りは。

   *

「きゅうり、美味かったよ。それじゃ」

 無意味な話題も尽きかけた頃、伸太郎さんはそれだけ言い残して自分の部屋へ帰っていった。
 人類は……いや、俺と伸太郎さんはどうなってしまうのだろうか。このアパートで何事もなく一週間を過ごし、一生を過ごし、ただ死んでいくのだろうか。
 正直、異星人の言葉なんてどうでもよかった。それは俺にとって、ただ無意味な話のネタになっただけ。自分が自殺しようがしまいがどうだっていいのだから、他人の事なんてこの上なくどうでもよかった。
 さっき伸太郎さんが言った、なるようになる……という言葉。確かにその通りだ。何もしなくてもゾンビが湧くし、異星人だって来る。何もしなくても、なるようになる。それは俺に限った事ではなく、恐らく、全人類にとっても。
 電灯の紐を引っ張ると、何も見えなくなった。暗闇はまだ続いているようだ……少し眠っておこう。きっとまどろんでいるうちに物事は勝手に進み、勝手に終息しているに違いない。

   *

 ……どれぐらい眠っただろうか。口の中が気持ち悪い。
 電灯の紐を引っ張り、寝ぼけ眼のまま口を濯ぐ。ついでに顔を洗って窓を見やると、まだ外は暗闇だった。そういえば、伸太郎さんの部屋の電灯は正常に点くんだろうか。
 様子を見に行くことにした。もし伸太郎さんが眠っていたら、この薄壁アパートではちょっとした物音で起こしてしまいかねないので、懐中電灯で廊下を照らしながらそろりそろりと歩いた。
 伸太郎さんの部屋の扉に手をかけると、鍵が掛かっていない事が分かった。
 どうせこの部屋には何もないから、開け放していても平気だと言っていた伸太郎さん。とられるとしたら命ぐらいのものだと冗談を言って笑っていた伸太郎さん。この何もない部屋の中で、伸太郎さんは――首を吊っていた。

       

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