Neetel Inside 文芸新都
表紙

錯覚
対消滅

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 ただやかましいだけの下世話なワイドショーの音で目が覚める。目覚まし時計を見ると8時48分。嘘だろ、目覚まし鳴ったっけ。というか、子供も起こさずテレビもつけっぱなしで仕事に行くなんて、育児放棄もはなはだしい。とりあえずテレビを消して、ゆっくりと洗面所に向かった。焦る必要はない。幸い我が家は高校まで徒歩7分の公営住宅という好立地である。洗顔、歯磨きに2分。着替えに3分。ホームルームの9時にはギリギリ間に合う計算だ。間に合うのだから急がずに支度して家を出た。
 誰もいない通学路は実にすがすがしい。予想通り9時ちょうどに悠々と歩いて到着。堂々と教室に入り、出欠をとりはじめている担任の横を素通りする。「どうして家が近いのに毎日毎日お前は遅刻をするんだ。」とボヤかれたが、無視だ、無視。席に着くのと同時に出欠で俺の名前が呼ばれる。
「小森皆無。」
「はい。」
何食わぬ顔で答えた。
 いったい両親は何を思ってこの名前をつけたのだろう。皆無とは辞書をひくまでもなく、まったくなにもないことだ。この名前にふさわしいのは子供に無関心な俺の親のほうだ。親の無関心は、産まれたばかりの頃の俺の写真がアルバムにないことからも帰納的に証明できる。
 出欠が滞りなく終わって担任が出て行くと、一限が始まるまでのつかのまの時間を有効活用しようと生徒たちの大移動が始まる。いわゆる目立つ男子や女子の集まる多数派のイケてるグループでは、稲垣が明日二組の竹原さんに告白するという話題でもちきりだ。各共通の話題だけで盛り上がる(同じ趣味とか同じ部活等)マイノリティーの泡沫グループは、いくつかの集合を形作っている。例えば同じ女子サッカー部の栗田さんと飯田さんは、映画を見に行こうと計画している。そのどれにも属せずにうろうろしている奴が声をかけてきた。俺を同じ無所属と思って声をかけてきたのだろうが、俺はあえて徒党を組まないのだ。だから無視しようとしたが、相手も必死である。訪問販売のようなしつこさで無理やり会話を続けてくる。
「昨日のテレビ見た?マヤの予言って奴。12月21日に人類は滅亡するらしいから、もう勉強しなくていいのにね。」
唐突過ぎる。会話ができていない。こいつがクラスで浮いているのがよく分かる。おおかたオカルト好きグループの話していた話題を輸入してきたのだろう。この馬鹿がどうなろうとかってだが、目障りなので教えてやることにした。
「愚かだな。何でそんなものを信じられるんだ?」
「だってテレビで他の歴史上の事件は当たってるって言ってたんだよ。」
「あとづけだろ、そんなの。だったら俺が100%当たる予言をしてやるよ。12月21日に人類は滅亡していない。」
「えー、信じられないよ。」
なんでどこの誰が作ったかわからない妖しい予言は信じられて、素性明らかで公明正大なこの小森皆無の予言が信じられないのだろう。
「じゃあ、はずれたらどうする?」
「100%当たるって言っただろ。もし人類が滅亡しても『12月21日に人類は滅亡して、居ない』だから予言通りじゃないか。」
「そんなのインチキだよ。」
予言というものが解釈しだいでどうとでもとれるということを教えてやったのに、何も理解していない。こいつはもうダメだ。これ以上つきまとわれないようにわざと嫌われておこう。
「お前にあだなをつけてやろう。グーミン。どうだ、いい名前だろ。」
「ぽっちゃりしてるから?」
「愚民だからに決まってるだろ。自分でぽっちゃりとか言うな。お前のは小太りっていうんだよ。」
グーミンは下膨れの顔をさらに膨らまして、不平を言う。
「それなら君はホラフキンだね。」
 ホラを吹いてるつもりはないのだが、愚民どもは自分が理解できないことはすべて嘘だホラだと言う。とはいえ、グーミンにしては良い返しだったのでホラフキンと呼ぶのは許そう。
「だけどさ、話すの二回目でキャラかわりすぎ。朝しゃべったときはネコかぶってたの?」
 こいつは何をいっているんだ?まったくもって愚民の考えはよく分からん。お前としゃべったのは今が初めてだ。そもそも遅刻ギリギリで、今来た俺がいつ話をする余裕があるんだ。  本鈴がなって一限が始まってもこのモヤモヤが頭を離れなかった。考えごとをしながら授業を無難にこなすことなど俺にとっては造作もないことだが、指先に抜けないトゲがあるような不快感が残った。休み時間にグーミンに詳細を聞いてみよう。もし奴の思い違いだったらとっちめてやる。


 謎は深まった。休み時間中に問題は解決できるとたかをくくっていたが、一日中考えたが謎は解けない。グーミンの話しによると、今朝7時半ごろ登校中に俺の顔をした人間が話しかけてきたそうだ。「今日は雨が降るから、傘を持っていったほうがいいよ。」と。天気予報で雨なんていってなかったし、家に戻るのも面倒だったグーミンは無視しようとした。偽者とはいえ俺を無視したことに怒りを禁じえない。話を戻そう。それならと、偽者は傘を貸してくれたそうだ。実際あんなに晴れていたのに、昼過ぎから天気は崩れ帰る頃には大雨になっていた。
物的証拠がある以上、グーミンは嘘は言っていないだろう。傘も見せてもらったが、絶対に俺が持ってるはずがない花柄レースの傘だった。傘の柄のところには見慣れた俺の筆跡で小森皆無と書かれている。しかし俺はこれを書いた覚えはないし、そもそも傘に名前は書かない。グーミンが偽者にあったのは7時半、7時半といえば俺はまだ寝ている頃だ。誰かが影で俺の評判を落とそうとしている。一日かけて三つほど仮説をたててみた。


①実は双子だった説
 俺には双子の兄または弟がいて、今まで施設にあずけられていたという説。養育費に困っていた両親が隠し通してきたため、醜くゆがんだ性格で俺に対して復讐をしようとやって来た。両親に俺に生き別れの双子の兄弟がいないか聞いてみたが、いないと言われてしまった。念のため三つ子以上や実は父親が勇者の血を引いている等も聞いてみたが、案の定中二病発症者を見るような生暖かい目でやさしく否定されてしまった。


②ドッペルゲンガー説
 俺はオカルトにはこれっぽっちも興味がないので、グーミンに言われて初めてそういうものがあることを知った。なんでも自分の姿そっくりな怪異で、それを本人がみてしまうと死期が近いんだそうな。グーミンが俺の知らないことを知っていることに腹が立つので、放課後に図書室で調べてみた。意外にも著名な人物が似たような体験をしていると知った。なかでも興味深かったものを一例にあげておく。
 イタリア国王ウンベルト1世は体育大会に出席するためイタリア北部の街モンツァ市に訪れていた。立ち寄ったレストランで自分とそっくりの男が働いていることに気が付く。話を聞いてみると驚くほど共通点を見つけることができた。まず男の名前がウンベルト。誕生日も1844年3月14日午前10時30分と出生の時刻まで同じ。1866年4月2日にどちらもトリノという名前の女性と結婚し、その間に生まれたひとり息子の名前も同じビットリオ。即位した日の1878年1月9日はこのレストランが開店した日だった。ウンベルト1世は奇妙な運命を感じ、明日の体育大会に男を同席させることにした。そこで大々的に発表して男にしかるべき地位を与えるつもりだったが、それは叶わなかった。翌朝、男が銃の暴発事故で死亡してしまうからだ。しかたなく、ウンベルト1世はひとりで出席することにした。その日、1900年7月29日夜ウンベルト1世は暗殺者の狙撃によって殺されてしまった。


③二重人格説
 グーミンが俺の顔をした偽者を見たのが、ちょうど俺が寝ている時だった。俺の寝ている間に第二の人格が現れ、俺の体を支配したとしたら……。そんな馬鹿なことがあるわけないが、原因を究明するにはわずかでも起こりうる可能性をひとつひとつ潰していくしかない。幸いにも検証する方法は簡単だ。睡眠中の自分をビデオカメラで録画すればいいのだ。これはすぐにでもできるのでさっそくやってみた。


 俺は昨日撮っておいたビデオカメラを三脚から外して、再生してみた。遠足に行く前の子供のようにドキドキしてたから、布団に入ってから寝付くまではかなり早送りでとばさなければいけないだろう。しかしその予想は外れた。昨日は気が焦って8時にはもうベットには入っていたが、8時半には寝息をたてていた。どうりで今日4時に目が覚めるわけだ。静止画のようにまったく動きのない二時間分をとばす。10時4分、異変が起こる。部屋の中には気味の悪い謎の音が響き渡る。骨の軋むような音は次第に大きくなっていく。しまいには歯ぐきをむき出して、盛大に演奏しだした。お分かりいただけただろうか。不気味な音の正体は自分の歯ぎしりというオチだった。見たくはなかった自分の痴態を三倍速でとばす。1時48分、映像に動きがあり、すかさず再生に切り替える。ふとんを蹴りとばして、鼻の穴に小指を第一関節まで突っ込んでほじりだした。今度は右手をブリーフの中に突っ込んで、尻の穴をかいている。あろうことかその手を鼻にもってきた。その手で絶対に鼻をほじるんじゃないぞと画面に向かって訴える。録画した画面にそんなことをいったところで意味はないのだが、祈るような気持ちで。しかし現実は無慈悲だった。尻の穴をかいたその右手の小指を鼻の穴に突っ込んだ。
 オエェェェェ!!
 そのまま洗面所に直行して気の済むまで洗浄した。まったく、朝からすっかりテンションがさがってしまった。録画したテープは幸い誰かに見られる前に処分できたのだから、このことは忘れてしまおう。


 学校につくと女子達がヒソヒソと俺の話をしている。ようやくこの俺の魅力に気付いたのだろうとほおっておいたが、男子どもまでこちらをチラチラと見ている。そんなに俺が定時に学校にいるのが珍しいのだろうか。いつもとは何か違う教室。普段なら絶対に話しかけてこないイケてるグループの稲垣がなれなれしくしてきた。
「お前っていい奴だったんだな。今まで誤解してた。励ましててくれてありがとな。」
どういうことだ?いい奴だっていうのはまったくその通りだが、こんな奴を励ました覚えはない。
「誰かと人違いしてないか?」
「なにいってんだよ。照れ隠しか?昨日、失恋して夕闇の公園にたたずんでいた俺を励ましててくれたじゃないか。」
まったく昨日と同じ状況、やはり自分と同じ顔をした人間が確実に暗躍している。俺の評判を落とそうとしているに違いない。俺は自分と同じ顔をした人間の目撃情報を聞き込み、この偽者の正体を暴いてやることにした。まずはグーミンだ。
「おい、グーミン。昨日の俺の偽者とはどこで会ったんだ?」
「お、憶えてないよ。」
いくらグーミンがぼおっとしてても昨日のことを忘れるだろうか?
「じゃあ、身長とか顔の特徴とか服装とか、なんでもいいから教えろ。」
胸ぐらをつかんで返答を促す。
「憶えてない。憶えてないってば。」
グーミンは手を振り払って逃げてしまった。そんな様子を見ていた稲垣がすっとんきょうな声をあげた。
「なんだよ。小森はほんとはいい奴なのかと思ったら、いつもどおりじゃねーか。昨日のは別人か。」
だから最初からそうだといっただろうが。
「そういえば、昨日の小森君は髪の毛の色とか肌の色とか違ってたよね。別人だったんだ。」
栗田さんが話に割って入ってきた。栗田さんは女子サッカー部の中でも一番かわいいのでこのクラスでも狙っている奴はいるだろう。まさか栗田さんと話す機会が巡ってこようとは。いかん、ただでさえ俺のイメージが崩れているんだ。俺は動揺を悟られぬよう、聞き役に徹した。
「その俺似の別人はどんな奴だったの?」
「身長は小森君と同じくらいで、髪型も同じ前分けだけど色が真っ白なの。若白髪じゃないよね?脱色してるのかな。目は切れ長で、口は口角があがってて、肌は浅黒かった。服装は真っ白い学ラン。どこの学校なのかなぁ。」
身長は俺と同じだから168.4cmか。肌は俺が青白いのと対称的。身長、髪型、顔は意外は正反対。みごとに2Pカラーだ。俺と正反対だから反小森皆無と呼ぶことにしよう。
「そいつとは、どこで遭ったの。」
「友達と西口で待ち合わせて映画見に行く途中だったから、デパートの近くかな。そこでいきなりくどいてきた。」
おのれ、反小森皆無め。もう許さん。奴をこのまま野放しにはできない。幸いおおよそ絞り込めた。奴の主な活動範囲は駅前から西側、駅、デパート、公園、映画館を結ぶ四角形の中にすっぽりと納まる。あとはしらみつぶしにさがしていくだけだ。さっそく放課後に駅の西口にやって来た。家とは反対方向なので帰りに駅より西側によることはめったにない。そうでなくても西側の浮ついた感じがいやなのだ。俺はカップル達が跋扈するカラオケボックスとゲームセンターを横目に見ながら通り過ぎていった。四角形の周囲をぐるぐると回りながら、少しずつ包囲網をせばめていく予定だったが、ものごとが予定通りに進むことはまれである。先にいいわけしておくが三日は頑張ったのだ。しかしめぼしい手がかりは見つからず、グーミンはなぜか妨害してくるし、クラスメイトたちも露骨に協力を拒んでくるようになった。反島崎皆無捜索開始から三日目、俺は早くも飽きてきてデパートの中で涼んでいた。一直線に書店のコーナーに向かうと、いい塩梅に椅子が置いてあったのでそこに腰を落ち着けた。見れば他の客も同じように座って読書にいそしんでいる。どうやらこのデパートは、立ち読みならぬ座り読みOKなところのようである。駅前から西側などチャラついていて行かず嫌いしていたが、ここはなかなかの穴場だ。今後もひいきにさせてもらおう。思わぬ収穫に気をよくして、もはやドッペルゲンガー探しなんてどうでもよくなってきた。
 読書にふける俺を聞き覚えがある声が強制的に現実に引き戻した。近くの席でグーミンが誰かと談笑しているではないか。あいつ、俺以外に話し相手ができたのか。ここからでは後姿しか見えないが見知った奴ではないようだ。見なかったことにして目を本に戻した。自己分析すると俺は好悪が激しすぎるようだ。興味がない人間には見向きもしない。それでいいと今まで思ってきたが、さっき考えていたことを思い出した。行かず嫌いで自分の選択肢をせばめていたこと、これは人間関係についてもあてはまる。もしかしたら、グーミンは深く付き合えばなかなか面白い奴なのかも知れない。まあ、それはないか。
「おい、グーミン。」
そう話しかけて、グーミンの対面に座っている人物をちらりと見た。そこには自分と瓜二つの顔をした人間が座っていた。グーミンがあわてて俺の前に覆いかぶさる。ついに見つけた。こいつこそ反小森皆無に違いない。グーミンがかばっているところを見ると、やはりグルだったということか。
「ホラフキン、あっちで話そう。」
「うるせえ、俺はそっちの俺と同じ顔した奴に話があんだよ。」今にも飛び掛ろうかという剣幕に押されてグーミンはとんでもないことを口走った。
「それ以上近づかないで。二人とも光になって消えちゃう。」
こいつは何をいってるんだ?グーミンが馬鹿なのはもとからだが、こんなことをいう奴ではなかった。騒ぎを聞きつけて、どこからともなくクラスメート達が集まって、俺の周りをぐるりととりまいた。こいつらまで既に手なずけていたというのか?
「彼は反物質の人間なんだ。」
グーミンの口から一生でるはずのない言葉が飛び出した。反物質?ドッペルゲンガーよりはまともないいわけだがグーミンの口から言われると、胡散臭さを通り越して可笑しさがこみ上げてくる。しかし笑っているのは俺だけでクラスメイト達の眼差しは真剣そのものだ。
 俺はクラスメイト達の包囲を虚をついて反島崎皆無に向かって突進した。ぎこちなく殴りかかった俺をまったく同じポーズで反島崎皆無も迎え撃つ。拳がぶつかり合って、光とともに消滅が始まった。まるで俺の目の前に鏡があってそれに飲み込まれるように体が消滅していく。
 グーミンだけに言われても納得できなかったが、さすがにクラスメイト全員が嘘をついているはずもない。反小森皆無は丁寧な口調で説明しだした。17年前に素粒子の加速衝突実験で俺と反小森皆無は偶然対生成されたこと。生後一ヶ月まで研究室にいたが人道的見地により、それぞれアメリカと日本の研究者の夫婦に引き取られたこと。今までは決して二人が出会わないように知らないうちに管理されていたこと。反小森皆無が何かに惹かれるように日本に留学してきたこと。接触を恐れた研究者達から反小森皆無に真実が告げられたこと。そして俺が探し始めたのを妨害するために、クラスメイトに事情を話して協力してもらったこと。
 宇宙にはかつて物質と正反対の電荷をもつ反物質が存在したことは俺も知っている。しかし反物質は物質と衝突すれば光となって消えてしまう。そうか、みんなは俺が反島崎皆無に触れて消えてしまわないようにしていたのか。普段あれだけ悪態をついている俺をみんなが助けようとしていたなんて。俺は自分の小ささを痛感した。これでいい。消えてしまいたいくらい自己嫌悪に陥ってしまったのだから。一分と経たないうちにもう右半身が消えてしまった。クラスメイトたちが俺のために泣いている。こんな俺のために。グーミンなんて馬鹿みたいにわんわん泣いている。ついに首だけになってしまった反小森皆無にみんなは駆け寄った。あれっ?
「反小森、消えるなよ。」
空を仰ぐもの。
「まだ話したりないよ。」
悲嘆にくれるもの。
「俺達、お前のこと絶対忘れないからな。」
反小森皆無はそれをニコニコしながら聞いている。
「私、あなたが好きだった。」
どさくさにまぎれて告白する奴までいる。わずか三日間でそんなに親密な関係を築いたというのか。
「消えるなよ。」
「うわー。」
「やだよ。」
みんなは俺が消滅しないように反小森皆無と会わせなかったのではなく、反小森皆無を消滅させないためだったのだ。俺はそのことを悟ると、誰に見取られることもなく静かに消えていった。

       

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Neetsha