Neetel Inside 文芸新都
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トイレ戦線異状有り

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.10分休みと俺
 「今日はここまで」
 数学の教師が三限目の終礼を告げると、俺は一目散に教室を出た。いつも通りのルーティンワーク。
 不自然にならないよう、かつスムーズに教室を出る所作を俺は熟知していた。
 ここで俺が向かうのは、クラスの側近にあるトイレではなく、音楽室や理科室が立ち並ぶ西棟のトイレだ。速足で片道2分。往復4分。
 俺がなぜ、わざわざ西棟のトイレまで行くというと、単純に落ち着くからだ。やはり、10分休みは他クラス含めて、多くの人間が便意を満たしにやって来る。連れションとかいう訳の分からないコミュニケーションも横行し、トイレ内は喧騒に包まれる。
 そこで、西棟のトイレという訳である。
 最初の頃やらかしてしまったのが、他クラスで音楽室、理科室の授業がある場合、行きの道で人に見られて厄介なことになり、西棟のトイレも人が多くなってしまうということだ。自分のクラスで音楽室や理科室へ移動する場合も同様だ。
 俺は、全学年、全クラスの時間割を調べ上げ、これらの事象が起こらないコマを調べていった。やはり、その数は多くなかった。だが、よく考えたら、理科室は実験の時しか使用しないのでその頻度は少ない。それを鑑みたら、行けるコマ数は増大した。他学年の実験は把握できないが、同学年が実験する頃合いは把握できる。他学年が理科室を使用する場合も、階が違うので、クラスへ戻る集団とも出くわしにくい。色々と考え、現在行ける安全な時間帯を選択し、トイレで安息を図りに行っている。
 それでも、可能な限り、行けるとき全て、行くわけではない。午前に一回、午後に一回と決めている。いわばリスク回避。
 もし、仮に毎時間席を立ったとして、俺の席の近くの連中が「あいつ、すぐにトイレ行くなぁ」と噂し、それが流布して、ひいては『ウンコマン』等といった稚拙なあだ名いじめが蔓延ってしまう可能性は摘み取らなければならない。いじめ芽は出てしまったらそこで負けなのだ。一度貼られたレッテルを剥がすのは容易ではないことを俺は知っている。
 幸いなことに、高校に入っていじめを受けたことはない。本当に幸いなことに、うちのクラスには目立つような不良はいないし、いじめをやるように見える人間はほとんどいない。だが、人間何を考えているかはわかったものではない。注意しすぎるに越したことはないのだ。
 到着した。さっと入ると、中には誰もいなかった。
 これで誰かがいると少し厄介なのだ。一人ならどうとでもできるが、二人だとキツい。一人の場合だと、対象が個室で大をしてるか、小便をしているかだが、前者なら匂いを我慢して個室へ、(顔を見られることがない)、後者なら自分も小便をするフリをして相手が退出するのを待てばいい。さも、尿の切れが悪い風をして。そう、あまり個室に入るのは見られたくないのだ。これもリスク回避で、「そういえば、あそこの個室はなんか使用中が多いな……もしや、あいつがいつも……」等と感付かれたら色々とマズい。本来なら同じ個室を使い続けるのはそういった意味で避けたほうがよいのだが、そこは譲れなかった。奥の窓側の個室こそ至高なのだ。
 二人の場合は『小便してるフリ』が出来ないから厄介なのだ。俺の経験から、二人以上の場合は駄弁って長く滞在している場合が多い。二人以上いるときは即座に小便をするかフリかをして即座に帰ることにしている。
 やはり、ここは落ち着く。静かな室内に、隔たれた個室。偶に、イレギュラー、つまり西棟トイレに用を足しに来る迷い子がいたが、隣の個室で大をされなければ問題はない。むしろ、誰かが来る、そのスリルはいささか楽しめた。
 許された時間は5分近くだけだったが、安息だ。十分の。
 時計を見る。ちょうど30秒前に着席に入るようにトイレを出て調整するのが俺の正義《ジャスティス》だ。移動中は時計を見ない。いわばこれはゲーム。本当にちょうどに着席できるとなんとも言えない達成感を得ることができる。
 ちっ、今日は4秒オーバーか。

 俺がわざわざ遠いトイレまで行って、時間を潰し始めたのは、他でもない10分休みが苦痛だからというただそれだけのことだった。
 大抵の人間は、「あー、やっと終わったー」と息を吐いて、次の授業まで友達と喋くったりして、安穏を図るのだが、俺にはそんな相手はいなかった。
 そう、一人も、である。もう、二年生になるが、一年生の時も同様であった。理由は恐らく二つある。
中学の経験からか、他人との接触が怖くなり、或いは面倒になってしまい、他人へと関心を示さなくなり、自分の殻へ閉じこもった。二つ目は俺の持つ雰囲気だろう。恐らく憮然としたその顔は誰も話しかけるな、というそういった表情が常ににじみ出ているに違いない。いや、もうこれ以上は言及すべきではないか。
 とりあえず、そんなこんなで、10分休みは、話し相手がいないので、手持無沙汰なわけだ。俺自身、少しは寂しかったが、別に無理にそういった奴を探す必要はないと思っていた。
 ウチの高校は校則がやたらと厳しく、あらゆる機械、ゲームとか、携帯とか、もちろんMP3プレイヤーとかも全て没収の対象になって、厳しく処罰される。
 そういった類の暇つぶしが出来ればまだマシなのだが、いかんせんできないとなると、本を読むとかそれくらいしか出来なくなる。
 しかし、周りはかなりうるさい。いや、実際そこまで、我慢できないくらいうるさいという訳ではないのだが、どうしても会話が耳に入ってしまうのだ。
 その大抵が下らない恋愛の与太話だったり、昨日テレビがどうだ、とか微塵も面白くないどうでもいい話だったりするのだが、どうしても耳に入ってしまうのである。偶に、笑いのツボに入ってしまうことがあり、仏頂面を維持しながら笑いをこらえたりしている。
 最初は本を読んでいたのだが、すぐに全く集中できないことに気付く。いや、でも『読んでるフリ』をすればそこそこの時間は流れるのだが、『本当に俺は読んだフリをできてるのか』と考えると焦燥感が出るのだ。わかるだろうか。つまり、『俺は誰かに本を読んでるフリをしているとバレるかもしれない』という不安がありながら『本を読んでいるフリ』をするのがとても嫌になったということだ。
 例えば、隣の田山。
 こいつは、俺と同様一人で10分休みを過ごしていることが多いが、普段からぼーっとしている奴というキャラ判定がなされた結果、あまり一人でいても不自然ではないし、偶に会話に入れられたり、ネタにされたりして、おいしいポジションをもっており、その気になれば女子とも絡んでいる奴だ。
 こいつが実は、どこを見ているかわからない目で、俺のことを観察していたりしたら……?
 考えすぎなのはわかっているが、俺はそういう性質なのである。そういう人間。色々考えすぎてしまうのだ。
 同様に『勉強してるフリ』も駄目。そもそも、10分休みにまで勉強してる奴ってどんだけがり勉なんだという話になってくる。誰かにノート貸してとか、宿題移させろとか言われるのはそれだけで勘弁だったし、俺自身勉強に意欲がない。
 行きついたのは、『寝たフリ』だった。これは究極奥義。寝るポーズにもいろいろあったが、俺は顔を腕ごと突っ伏せる寝方を取っていた。顔を覆って、外界から自身を隔離しようという寸法だ。
 理には適っている。田山らその他大勢に表情を読み取られることはないし、そのまま10分待てばよいのだ。
 しかし、そうは上手くいかない。
 まず、眠くない。
 眠い時もあるがそうでない時の方が多い。俺は睡眠は家で十分にとるタイプの人間だ。
 そして、さらに聞こえる会話声。益々研ぎ澄まされる聴力のせいで、下らない会話がどんどんと耳の中に垂れ流される。
 最も厄介なのが、起きるタイミングだ。
 例えば、教師が来たと同時に顔を上げるとなると、『あ、こいつ寝たフリだ』と誰かに嘲笑気味に思われる危険性があるので、そう正直にやるわけにはいかないのだ。
 かといって、目をこすりながらさも、今まで眠ってましたとか、そういった演技をするのは体力がいるし、時間を見計らうのも難しい。
 こういった暇つぶしをいくら考えたところで意味がないだろうと考えたので、俺はクラスの外に答えを導き出したというわけだ。
 ただ、やはり午前に一回、午後に一回にしかトイレに立たないことにしているので、教室で過ごすときは様々な暇つぶしをローテーションして上手く使っている。
 トイレ以外に行くところがあればいいのだが、10分の範囲で、誰にも見られないところなると全くないのだ。どこに行っても誰かがいる。俺は人の目が気になるのだ。西棟のトイレが行動範囲の限界だろう。
 
 午後、俺はまたも西棟へと足を向けた。
 あと、一限で家に帰れる。今日は何をオカズに抜こうか、と妄想を膨らませていたら、あっという間に5分経過していた。危ない危ない。
 さっさと授業を受けて帰ろう。そう思った矢先だった。俺は個室の押し戸にかけた手をさっと引っ込めた。
 いる《・・》……。誰だ。気付かなかった。いや、気づかないなんてことあるだろうか?いくら、妄想トリップをしていたとはいえ、ここにいる俺は常に物音には敏感になっているはずだ。そこに疑いの余地はない。『誰かが来た』のならまだわかる。
 いつからそこにいるんだ……?
 

       

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